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たいせつな、もの


 「……確認させて」


 自分を見つめる金の瞳をまじまじと見つめ返した後、依那は目を伏せ、ぽつりと呟いた。

 「『聖女の涙』は……悪意は溢れ出したのね?颯太は、間に合わなかったのね?」

 「ああ。実際、際どいところだったけどね。この魚人の女王様が一族の面汚しを始末し損なっていなければ、おれは魂の半分ごと、大聖女像を失っていただろう」

 言いながら、コンラートはちらり、と俯くエドナの様子を窺う。

 嚙み切った唇から零れる血を拭こうともしないあの女王は、たとえここで生き永らえたとしても、生涯自分を責め苛むに違いない。

 「そう……」

 依那は、深く深く息を吐いた。

 「シャノワは……本当に死んだのね?今度こそ、間違いないのね?……そして……」

 ゆっくりと、顔を上げる。

 「……オルグさんは………()()()()()……のね……?」

 涙ながらのその問いに、コンラートはにい、と唇を吊り上げた。








 黒銀の檻の中、アルもそれを感じていた。

 突然その場に膝を付いたアルに、エリアルドが慌てて駆け寄る。

 「殿下!どうなさいました!殿下!!」

 「……オル……グ……?」

 衝撃のあまり眩む目を瞠りながら、アルは呆然と呟いた。


 身を切られるような、自分の一部が無理矢理引きちぎられるような、名状しがたい痛み。喪失感。


 思い出したくもないが、この感覚には覚えがある。あのとき―――試練の旅で味わった、最悪の感覚。

 間違いない。

 今、……()()()()、彼は―――アルの、たいせつな、たったひとりの従兄弟は。


 声にならない絶叫を上げて、アルは拳を石畳に叩きつけた。

 「殿下!?どうなさったのですか!いきなり…」

 「……オルグが……逝った……」

 振り絞るような声に、エリアルドも息を飲む。

 「で……殿下……それ……では……」

 「………ああ。俺たちは、間に合わなかった。間に、合わなかったんだ……畜生……」

 「………そん……な……オルグ殿下………」

 俯いて肩を震わせるアルの隣で、エリアルドも呆然と立ち尽くす。

 「大変!大変だよ!赤毛王子!!だんちょー!!」

 身の丈を超える剣をなんとか抱え、エイヤが血相を変えて飛び込んで来たのは、その時だった。


 「……エイヤ?どうした」

 「赤毛王子!大変、大変なんだよ!!」

 気力を振り絞って顔を上げたアルの顔色の悪さに一瞬怯んだエイヤだったが、それでも必死の形相で訴える。

 「『穢れ』が!!真っ黒の、とんでもなく濃い『穢れ』が、もくもくって!!お城のてっぺんから溢れ出して来たの!!」

 「なんだって!?」

 「なんですと!!」

 妖精が齎した報告に、アルもエリアルドも顔色を変える。

 「『穢れ』が……?まさか、『聖女の涙』が飽和したのか!」

 「し…して、ソータ殿は!外の状況は!!」

 「ソータは判んない!!ただ、お城はどんどん崩れちゃってる!ここに押し寄せてくるのだって、時間の問題だよ!」

 「くそっ!!」

 舌打ちをし、アルはエリザベートが空けた格子の穴から剣を受け取った。そのままエリアルドとエイヤを下がらせ、思いきり剣を一閃する。

 触れた人間の生気を吸い、魔法を封じる黒銀の格子は、その一撃にあっけなく崩れ落ちた。

 「行くぞ!」

 「はい!殿下!!」 

 抜き身の剣をひっさげたまま、彼らは走り出した。


 『穢れ』の渦巻く外ではなく、下へ―――魔王のいる、地の底へ向かって。


 





 「さあ、どうするんだい?聖女」

 聖地では、絶望に立ち尽くす一同に向かって、コンラートが優雅に髪を掻き上げたところだった。

 「こうして立ち話してる間にも、『穢れ』はどんどん広がっていくよ。………ほら」

 手を一振りして、彼は中空に外の映像を映し出す。

 「おお!」

 「うそ………」

 そこに広がっていたのは、無残としか言いようがない光景だった。


 さほど人がいないのだけが唯一の救いかもしれない。

 だが、あれほど美しかった夢幻城は崩れ、溶け落ち、手入れの行き届いた前庭は見るも哀れな状態になっている。

 湖の側の樹々も半数以上が溶け落ち、芝生も喰い尽くされて妙に青黒い土を晒していた。


 「なん……という……あれが……もし……外へ出たら……」

 「世界は、終わるだろうね」

 呆然と呟いたラウの言葉を捕らえて、コンラートは微笑む。

 「ここはおれの領域だから、まだ勢いが弱いんだよ。だけど、外へ出たら……。『穢れ』は、凄まじい速さで世界中に広がるだろう。そうなったら、手が付けられないだろうね。聖女、たとえ覚醒したきみの全霊力をもってしても、そのすべてを祓いきるなんてことはできない。……だって、()()()()()()()()()()んだから」

 そうだろう?と首を傾げて、コンラートはナルファとセオに目をやった。

 「君たちも、だ。いろいろと屁理屈を付けてこんなとこまで来たけれど……『穢れ』に干渉することは、魔王への敵対行為に繋がる。封印が解ける前の、ドリュアス最上位としての世界樹ならまだ対抗の手段はあったかもしれないけど、上位精霊となった今の世界樹には、禁則事項が適用される。要するに……手詰まり、というわけさ」


 《 コンラート…… 》


 歌うように、優しく紡がれる残酷な現実に、ナルファも拳を握り締めるしかない。

 確かに、魔王の言うことは正しい。

 覚醒した聖女(エナ)でも―――星天弓で広範囲の『穢れ』を払ったとしても、大元の大聖女像が悪意を吐き続ける限り、際限のないいたちごっこだ。


 だけど、と必死で考えを巡らせていた時。

 「…………そうだね」

 不意に依那がぽつりと漏らした肯定の声に、ナルファは弾かれたように依那を見た。

 「エ…ナ?!」

 「確かに、そうだよね。悲しいけど、悔しいけど……人の悪意に限りはないのかもしれない。どんなに良い人だって……必ず、黒い感情がある。人がいる限り、それはなくならないのかもしれない。……でもね」


 少し眉を寄せ、切ない表情で淋し気に顔を上げた依那は、もう泣いていなかった。

 ただ、淡々と静かに言葉を紡ぐ。


 「……それと同じだけ……人はには優しい気持ちや、誰かを大事に想う気持ちがあるんだよ。それは、どんな悪い人にだって。あなただって、そういう気持ちを持ってるんでしょう?」

 「……さあ?」

 くすりと笑って、コンラートは肩を竦める。

 「そうだね。3000年前はそんな感情もあったかもしれない。……だけど、その心はエリシュカの命と一緒に失われてしまった。判るかい?お前たち人間の悪意と欲が彼女を死なせ、おれを魔王にしたんだ。そのおれに、今更性善説を説くの?もう、情なんてもの、かけらも持ち合わせていない、魔王であるこのおれに?」

 「だったら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の?」

 コンラートの揶揄に揺らぐことなく依那はアルタを抜いた。

 清浄な気がまるで浄化するかのように聖地を満たす。


 「シャノワは、本当に善良で……優しくて、芯が強かった。あの子の中に……エリシュカ様に似たものを見たんじゃないの?だから……()()()()()()んじゃないの?」

 ひたり、と、依那は白銀に輝く細剣の切っ先をコンラートに向けた。


 「さっき、()()()()()()()()()()()()()、って言ったよね。あなたの魂の半分が宿ったはずの、『聖女の涙』じゃなく。あなたが本当に大事なのは、エリシュカ様の姿を模したオリジナルの大聖女像。……それは今も、エリシュカ様を愛してるからじゃないの?」

 「………お前に……何が判る……ッ…」

 その問いに、初めてコンラートの優位が崩れた。

 噛み締めた歯の間から、血が滴るような声を絞り出す。

 「知った風な口をきくな!お前のような小娘が、そんな綺麗事でおれを説得するつもりなのか?」

 「ううん、そんなつもり、ない」

 だが、依那はあっさりと首を振った。

 「だって、判らないもの。コンラートさんの絶望も、エリシュカ様の後悔も、あたしなんかには計り知れない。ただ……それが、とてつもない哀しみから引き起こされたってのは判る。……だから、あたしは……」


 その時、依那の言葉を遮るかのように聖地の暗闇の奥で、何かが崩れるような音がした。

 「!!今のは……」

 「ああ、『穢れ』が黒の礼拝堂にも到達したみたいだね」

 続く破壊音に、コンラートはどこかほっとしたような顔で天井を振り仰ぐ。


 「さあ、押し問答をしている時間はもうないよ?聖女。その剣でおれに勝てるか、やってみるといい」

 挑発するように笑って、コンラートは依那に向き直った。

 





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