約束
周歩廊は異様なまでの沈黙に包まれていた。
アルの伝えた真実に、エリザベートは凍り付いたように動きを止めて。
ただただ、そのアイスブルーの瞳で瞬きもせずにアルを見つめていた。
「………ア…ル……トゥール……?」
「そうだ。俺はアルフォンゾじゃない。生き写しだとは言われているが、俺はアルフォンゾの息子だ。父は死んだ。もう11年も前に。母とともに、魔王の手にかかって命を落したんだ」
長い長い沈黙の末、ようやく絞り出されたようなエリザベートの声に、アルは重々しく頷く。
「よく見てくれ。エリザベート殿。俺は父じゃない。よく見れば、別人だということが判るはずだ。あなたはお母上の遺した呪縛に囚われ、真実から目を背けているだけだ」
「そうだよ、エリザベート」
まだ痺れの残る足を叱咤し、どうにか立ち上がりながら依那も言葉を添える。
「あたしはまだこっち来て1年だから、アルフォンゾさんに会ったことはないけど……でも、あんたの絵画の間を見たから判る。確かに二人ははよく似てるよね。……でも、それでも、アルはアルだよ!アルフォンゾさんじゃないんだよ!」
「っお黙り!!」
「!!」
「エナ!」
握った拳を震わせ、歯を食いしばっていたエリザベートが叫ぶのと同時に、その身体から溢れた黒い波動が依那と、格子の中のアルとエリアルドを弾き飛ばした。
凄まじい衝撃に依那は数メートルも吹っ飛ばされて床に叩きつけられ、黒銀の格子がぎしぎしと悲鳴を上げる。
「エナ!大丈夫か!エナ!」
「…く…っそ……」
数歩よろめいたものの、格子に縋るようにして叫ぶアルの姿が、ちかちかとぶれて見える。力の入らない手足に悪態をつきつつ、依那はゆっくりと近付いてくるエリザベートを睨み上げた。
「本当に……あなたは息をするように嘘をつくのね」
「ああっ!」
美しい顔を壮絶な憎しみと怒りに歪め、エリザベートは依那の手を踏み躙る。
「嘘はあなたの専売特許ですものね。嘘つきの魔女さん。……でも駄目よ。お母様のお手紙を捏造しても、アルフォンゾ様を洗脳してあんな、心にもないことを言わせても、わたくしは騙されない。だって、わたくしはおひめさま!魔女の力なんて通用しない、世界一のおひめさまなんですもの!!そうよ、アルフォンゾ様はおひめさまであるわたくしのものであるべきなのよ!!」
「エリザ……ベー…ト……」
ぐりぐりと手を踏み躙られる痛みを、エリザベートの身勝手への怒りが上回る。
「いい加減、現実を見なさいよ!!アルフォンゾさんは亡くなったの!アルはアルであって、あんたのものじゃないの!!どうしてわかんないの!!」
「黙れと言っているでしょう!!」
怒鳴る依那を足蹴にし、エリザベートはずらり、と剣を抜いた。いつの間にか手許に忍ばせていた、『屠殺の黒剣』を。
「エリザベート!」
「嘘はもうたくさん。もっと早くこうするべきでしたわ。おひめさまが直接手を下すのは気が進まなかったのだけれど……真実の愛のためですもの。あなたが死ねば……あなたさえ倒せば、アルフォンゾ様は今度こそわたくしのもの!!」
「エナ!!」
先程エリザベートの放った黒い波動の残滓が、起き上がろうと足掻く依那の四肢を絡め取る。
実体化しようと光るアルタの紋章を覆い隠すように纏わりつく。
「死ね!嘘つきの魔女!!」
『屠殺の黒剣』を振りかざし、エリザベートが依那に飛び掛かる。
―――シャノワの居間で、ジュリアが作り出した映像の中にフェリシアとジュリアが見たのは、まさにこの瞬間だった。
「エナ!!!」
大事な友達の危機に、フェリシアは悲鳴を上げる。
「エナ!!エナ!!ねえ、ここはどこ!?どこなのよ!!」
咄嗟に転がって初撃を避けた依那にホッとする間もなく、フェリシアはジュリアの肩を掴んで喚いた。
「エナ!!逃げて、エナ!!」
「黒の礼拝堂の中よ!!ここなら……もしかしたら……」
「ジュリア!?」
思いつめたような目で、ジュリアは両手をその映像に翳す。
「黒の礼拝堂は、魔王の領域でもあるの!もしかしたら、ここなら繋がるかもしれない!」
そう叫び返し、全神経を映像に集中しようとした、その瞬間。
『おいたは駄目だよ。ジュリア』
優し気な、それでいて厳しい声とともにふっと映像が消える。
「!!」
「そんな!」
『覗き見くらいは見逃したけど……聖女はおれの獲物だ。手出しは許さないよ?』
息を飲む二人の耳を冷徹な声が打ち、ごとり、と音を立てて大理石の天板が真っ二つに割れた。
「……………」
声を上げることもできず、二人は呆然と割れたテーブルを見つめてへたりこむ。
突き付けられた圧倒的な力に体が芯から震え、息をすることすらままならない。
それでも我に返ったのは、フェリシアの方が早かった。
震える手を握り締め、数回大きく深呼吸して息を整える。
「……ジュリア……さっきのは、黒の礼拝堂だって言ったわよね?それって、あの中庭のやつでしょ?あそこは魔王の領域なのね?」
「え……ええ……」
魔人である分、彼女の方が魔王の怒りの波動の影響が大きかったのだろう、真っ青な顔でジュリアはどうにか頷いた。
「完全に魔王の領域というのではないけれど……こちら側との繋がりはあるわ。だから……引き寄せることはできなくとも、少しでも干渉できればと思ったのだけれど……」
だが、そのジュリアの全力も魔王に弾かれてしまった。
おそらくもう、ジュリアにできることは―――ない。
「………姫……さま……」
悔しさに血が滲むほどに唇を噛み締めて手の中の木の実を握り締めるジュリアの横で、へたりこんでいたフェリシアが立ち上がった。そのまま窓へ近寄り、大きく開け放つ。
「……フェリシア……?」
突然の行動にジュリアが声をかけるより早く。
「風の槍!!!」
フェリシアは窓の外、広がる海に向かって風魔法を放った。
「フェリシア!?」
驚くジュリアに構わず、風魔法を、雷魔法を、持てる大魔法を片っ端からぶっぱなす。
「ちょっ……何をしてるの!気でも狂ったの!?」
慌てて止めに入るジュリアを押しのけ、フェリシアはなおも魔法を放った。
「フェリシア!!」
「だって、エナたちはこの下にいるんでしょう!?」
羽交い絞めにされ、フェリシアは怒鳴り返す。
「あんた、言ったわよね!?以前は階段で行き来できたって!ってことは、切り離されてるとしても、ここは夢幻城の上にあるんでしょう!!だったら、そんな壁、ぶっ壊せばいいのよ!!」
「フェリ……シア……」
唖然と、ジュリアは目の前の亜人の姫を見つめた。
そんな馬鹿な、と。
そんなことをして、魔王の逆鱗に触れたらどうするの、と。
常識的な自分の一部が呆れる反面、はっと胸をつかれる自分がいる。
窓の外の、移り変わる景色は魔王がシャノワのために用意した目くらましだ。それを破るなんて考えたこともなかったが―――もし、それが可能なら。それが、できるとしたら。
「………エナ……!!」
いつしか、フェリシアは泣いていた。
「約束……したの!何があっても、絶対助けに行くって……どんなに離れてても、駆け付けるって!!エナと……シャノワと!!だから……だから……っ…」
泣きながら、残る魔力のすべてを練り上げ、自分が持つ最強の魔法を放つ。
「お願い!力を貸してよ!シャノワ!!!」
悲痛な叫びとともに放たれた極大魔法が、激しい雷を放ちながら虚空へ吸い込まれていく。
放電が、ぱちぱちと火花を散らしながら消えていく。
そして。
次の瞬間、不意に室内は青い光に包まれた。




