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母の手紙


 

 「わたくしに……渡すべきもの……?」

 真剣なアルの声に、エリザベートは一瞬不思議そうな顔をして。それから見る間にその頬を薔薇色に染めた。

 「まあ……何かしら!アルフォンゾ様?『王の心』以外にも、わたくしに贈り物を持ってきてくださったの!?」

 期待に目を輝かせ、エリザベートは依那のことなど忘れたかのように檻に縋りつく。

 「……ああ。貴女のお母上、シェンツ子爵夫人……マルガレーテ・シェンツ殿からの最期の手紙だ」

 それに動じることもなく固い声でそう言って、アルは古びた手紙を差し出した。


 「まあ!お母様の?」

 驚いたように声を上げはしたものの、エリザベートは残念そうに手紙を見つめる。

 「その字は、確かにお母様の字ですけれど……どうしてアルフォンゾ様がお母様からのお手紙を?」

 「貴女の……公爵家の忠実な侍女から託された」


 宝石とか花束とか、なにかもっと素晴らしい『王子様からおひめさまへの、愛の贈り物』を貰えるに違いない、と思い込んでいたらしいエリザベートにとって、母からの手紙は期待外れだったのだろう。

 差し出した手紙を受け取ろうともしない彼女にため息をつき、アルは封筒を開く。


 「……では、僭越ではあるが俺が代読させていただこう。……構わないだろうか?」

 ちょっと拗ねたような顔をしつつもエリザベートが頷くのを確認して、アルは取り出した便せんに目を落とした。






 白い階段が、果てもなく続いている。


 それを駆け上がりながら、颯太は隣を走るレティにちらりと目をやった。

 「レティ、大丈夫?少し休もうか?」

 「いいえ!」

 息を弾ませながらも、じっと前を見据えるレティの目は険しい。

 「……レティ……?」

 らしくないその姿に、颯太は眉を寄せた。


 目指す場所―――大聖女像が安置されているのは魔王の居室だ。どんな罠があるかもわからないし、魔王本人が待ち構えているかもしれない。

 オルグの残り時間も、『聖女の涙』の発動までの時間も、一刻の猶予もないのも判っている。覚醒したチュチュの指輪のおかげで疲れることはないし、早く早くと気が焦るのも判る。

 だけど……それを差し引いてもレティの様子はおかしかった。

 まるで、()()―――()()()()()()()()があって、必死にそれから目を背けているみたいに。


 「急ぎましょう!ソータ様!!」

 「う…うん!」

 戸惑いつつも頷いて、颯太も僅かながら速度を上げるレティの後を追った。

 





 「……わたくしの愛しい娘、エリザベート。美しい、世界一のおひめさま、可愛い可愛いエリュージャへ」

 しん、と静まり返ったチャペルに、アルの声が響く。


 「!お母様……!!」

 その愛のこもった書き出しを聞いて、エリザベートもアイスブルーの瞳を潤ませる。

 「ああ……そうよ……お母様はいつもわたくしをそう呼んでくださったわ。可愛い可愛いエリュージャ、って……」

 黒銀の格子に身を凭れさせ、うっとりと目を閉じるエリザベートをちらりと見やって、アルはその続きを読み上げた。



   わたくしの生きる喜び、愛しいリーゼ。


   お母様は、あなたに謝らねばなりません。

   ああ、愛しい子。わたくしの、可哀想なエリュージャ。

   お母様はあなたに嘘をついたのです。


   無理矢理エイダス様に嫁がされて、日に日に狂気に堕ちていくあなたを、

   お母様は見ていられなかった。

   たとえ偽りでも、少しでも希望をもってほしかった。

   あなたに、生きてほしかった。


   可愛い可愛いエリュージャ。

   お母様は間違えたのです。

   ほんとうにあなたのことを想うなら、アルフォンゾ王のことは諦めて、

   エイダス様の愛を受け入れるよう、そう説得するべきだった。

   酷いやり方ではあったけれど、エイダス様の愛は本物だったのですから。


   ああ、ごめんなさい。可愛いエリュージャ、わたくしの愛しいリーゼ、わたくしの生命。

   お母様は気休めを言ったのです。


   あなたとアルフォンゾ殿が神様の決めたもうた運命の相手だというのは、真っ赤な嘘。

   あなたの王子様は、アルフォンゾ殿ではありません。

   ()()()()()()()()()()()()()()()()のです。


   アルフォンゾ殿とエミリア王妃のご成婚を聞き、嘆き悲しんで狂気のまま彷徨い歩くあなたに、

   少しでも平穏を与えたかった。

   可愛いナイアスを顧みてほしかった。


   ああ、わたくしの愛しいリーゼ。どうかこの愚かなお母様を許して。

   まさか、あなたがあの嘘を、信じ込んでしまうなんて。

   まさか、エミリア王妃を呪い殺そうとするなんて。

   お母様の気休めが、嘘が、あなたを縛り付けてしまうなんて。


   可愛い可愛い、わたくしの娘、愛しいエリュージャ。

   どうか、これだけは信じて。

   お母様は、あなたを救いたかったのです。

   でも、アルフォンゾ殿の死で、あなたは心を閉ざしてしまった。

   お母様の懺悔も耳に届かなくなってしまった。


   可愛い可愛いエリュージャ。

   お母様はもう永くないでしょう。

   あなたを縛り付けた苦しみ、エミリア殿を呪わせてしまった苦しみ、

   その苦しみが日々お母様に伸し掛かってくるのです。

   愛しいリーゼ。

   いつの日か、あなたがナイアスの献身で正気を取り戻すことを祈って。

   あなたにお母様の声が届くのを祈って、この手紙を遺します。


   どうか、アルフォンゾ殿のことは諦めて。

   もう一度言います。


   あなたとアルフォンゾ殿は()()()()()()()()()()()()()()()のです。

   どれほど待とうとも、アルフォンゾ殿があなたを迎えに来ることはないのです。

   あのかたは、もうとっくに、エミリア殿とともに黄泉路へ旅立たれたのですから。


   わたくしの愛しい子、美しい、世界一のおひめさま。

   どうか、もう誰かを呪うのはやめて。

   あなたを愛するあまり、嘘をついたお母様を、()()()()()()()()()()()()()お母様を許して。

   そして忘れないで。


   お母様と、そしてナイアスがあなたを愛していることを。




 「……………哀れで愚かな母、マルガレーテ・シェンツ…………以上だ」


 ゆっくりと手紙を読み上げるアルの声を、その場の全員が黙って聞いていた。

 その後悔と嘆きに満ちた手紙が終わっても、誰も動けなかった。声ひとつ、上げられなかった。


 「…………嘘………ですわよね……?」

 長い長い沈黙の末、声を発したのはやはりエリザベートだった。

 彼女は目を見開き、身じろぎもせずじっとアルとその手の中の手紙を凝視している。

 「嘘ではない。今聞いたとおりだ。これが、貴女のお母上の遺した遺筆だ」

 「嘘!!」

 鋭く叫んで、エリザベートは格子の隙間から差し出された手紙をひったくった。そのまま、狂ったような目で内容を確かめる。何度も、何度も。


 「……うそ……嘘よ……そんな……お母様が嘘をつくなんて………アルフォンゾ様がわたくしのものじゃないなんて……!!」

 よろよろと数歩後退り、エリザベートはまだ立てない依那を凄まじい勢いで振り返った。

 「……お前ね!嘘つきの魔女!!お前がこんな偽手紙をアルフォンゾ様に渡したのね!!」

 「待て!エリザベート!手紙をよこしたのはウルリーケだ!第一、ついさっきこの城に侵入したこいつ(エナ)に、そんな暇あるわけないだろう!?」

 「そうよ!それにお母さんの字だって言ったの、自分じゃん!」

 檻の中からアルが叫び、依那も掴みかかってくる手から逃れようと声を上げる。


 「呼び方とか、事情とか、あたしが知るはずないでしょう!?あんたのお母さんがいつ亡くなったかも知らないのに!!」

 「お黙り!!お前以外の誰がいるというの!!わたくしに嘘をついたんだもの!!お前が捏造したのよ!この嘘つき!嘘つき!!」

 「エリ……」

 口汚く罵るエリザベートの平手をまともに食らって、依那は倒れ込んだ。その身体をエリザベートは踏み躙ろうとする。


 「エナ!」

 「エナ殿!!」

 アルも、黙って控えていたエリアルドも、思わず声を荒げた。

 「やめろエリザベート!エナじゃないと言っているだろう!お前は()()()()()()()()()、無実の娘を足蹴にするのか!!」

 「そんな!アルフォンゾ様!」

 涙ぐみ、エリザベートは格子に縋りつく。

 「あんまりですわ!アルフォンゾ様!!……ええ、そうよ、お母様は耄碌していらっしゃったんだわ!もうお年でしたもの!!だから、ご自分でも何を書いているかお判りではなかったのよ!でなければ……あんな……あんな……」

 「……エリザベート……」

 狼狽え、今度はすべてを母のせいにしてでも妄想にしがみつくエリザベートを、アルは信じられない思いで見つめた。


 「お前は……あの手紙を見ても、まだそんなことを言うのか……?あの涙の跡が残る……切実な手紙を見ても……?」

 「だって……だって、あり得ませんわ!あなたがわたくしの運命ではないなんて!わたくしのものではないなんて!!それに……ええ、そうよ!アルフォンゾ様が亡くなったなんて書いてあったではありませんの!あなたはここにいらっしゃるのに!!!」

 「………エリザベート」

 泣きながら叫ぶエリザベートに、アルは小さく息をついた。濡れたアイスブルーの瞳を覗きこみ、きっぱりと告げる。


 「子爵夫人のおっしゃる通りだ。()()()()()()()()()()()。俺はその息子―――アルフォンゾの息子、アルトゥールだ」



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