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転移陣


 それより少し前のこと。

 

 「………今のは……」

 ダリエスたちには同行せず、図書館で証拠集めを手伝っていたフェリドは、ふと感じた違和感に顔を上げた。

 「フェリド殿?」

 「ああ……いや……」

 言葉を濁したものの、胸に残る名状しがたい感覚に、フェリドは眉を寄せる。

 何か………空間が歪んだような、ぞわりとした気色悪さ。()()()

 城内にいる彼には知りようもなかったが、それは魔王が領域を異界に繋げた瞬間だった。


 「なにか……?」

 「いや、大丈夫だ。続けてくれ」

 心配そうにこちらを窺う騎士にそう言って、フェリドは文献の精査を再開する。探しているのは、この城と黒の礼拝堂を結びつける証拠。そして、他国召喚の証拠。

 すでにいくつかの証拠は見つかっているが、決定打に欠けている。エリザベートやナイアスの自白はアルたちに任せるとして、なにか確実な証拠となるものを発見できればいいのだが……。


 ややあって、どうしても拭えない焦燥感にフェリドはとうとう音を上げた。

 「すまん、ここは任せていいか?」

 騎士や仲間のエルフに断りを入れ、図書室を後にする。


 ……なんだ?何をした?アーサー……いや、コンラート。


 どうにも嫌な予感がする。

 それに……一瞬、ほんの一瞬感じたのは、ここにいるはずのない娘、()()()()()()()()ではなかったか。

 じりじりとこみ上げる焦りに突き動かされ、フェリドは足を進める。


 ―――図書室が、黒衣のエリザベートの訪問を受けたのは、そのわずか数分後のことだった。

 




 そして今。


 大サロンでの戦いなど知る由もないアルたちは、エリザベートに連れられ西棟の最深部にある階段室へと導かれていた。

 階段室は西棟のどん詰まりにあり、煌びやかな東棟とは真逆に何の飾りもない、殺風景な場所だった。その少々手狭な階段を、エリザベートは黙って降りていく。

 「……さ、こちらですわ」

 やがて、彼女が立ち止まったのは、地下2階にある重々しい扉の前だった。


 「……ここが……?」

 「ええ。西棟の転移陣はこの中ですわ」

 言いながらエリザベートは扉を開き、一行を招き入れる。

 天井の高い、細長い部屋は暗く、まるで小さな礼拝堂のように真ん中の通路を挟んで両側に黒檀のベンチが並んでいる。

 室内には締めきった場所特有のかび臭い匂いがして、お世辞にも状態がいいとは言えなかった。

 「こちらはあまり使われていなかったのですかな?」

 「ええ。わたくしは自分の部屋のものを使っておりますし、ナイアスの私室にあったものは陣自体が消えてしまいましたから……」

 ロデリックの問いに答えながら、エリザベートは両側の壁に点々と燈る燭台の灯りにのみ照らされた通路を進み、やがてその最奥にある転移陣の前で立ち止まった。


 「……これが……」


 それは直径50センチほどだろうか。

 大人一人が立てる程度の小さなもので、通常の転移陣とは異なった複雑な文様を描いている。だがその陣は淡い光を放ち、機能していないようには見えなかった。


 「エリザベート殿?だがこれは機能しているのでは……」

 「………ええ、()()()()()()()ね」

 落ち着き払ったエリザベートがそう答えた、その瞬間。


 「「「!!」」」


 小さかった陣は突然床一面を覆うほどに広がった。


 「しまっ……」

 成す術もなく、踏みしめようとした足許が存在を失う。

 一瞬の浮遊感ののち、彼らはエリザベートごと見知らぬ場所に転移していたのだった。




 浮遊感は、ほんの一瞬のことだった。

 足許に石畳の感触を覚えるとともに木が燃える匂いが鼻をつき、アルはゆっくりと顔を上げる。

 「……ここは……」

 転移先は、どこか荘厳なチャペルのような場所だった。


 石畳の床、空っぽの祭壇、その両脇の、腰ほどの高さから天井近くまで伸びた、アーチ形の細長い窓。

 祭壇の後ろにかけられた幕も、柱も、壁も、高い天井も、祭壇に並ぶ蝋燭までそれらすべてが()()()()()()()()()()いる。

 光源となるのは祭壇の蝋燭と、半円形のチャペルの壁際に設えられた、4つの大きな篝火だけ。

 その灯りのおかげで、どうにか人の顔が判るくらいの薄暗さは保たれている。


 「ここは……まさか……」

 「ええ、黒の礼拝堂の中ですわ」

 独り言に返事を返され、アルたちははっと弾かれたように振り返った。


 「嘘をついてごめんなさい。アルフォンゾ様」

 見れば、扉のないチャペルの入り口の傍に、黒衣のエリザベートがひっそりと佇んでいる。

 「ナイアスの私室の陣が消えてしまったのは本当ですけれど、他の陣は、ここへは繋がっておりますの」

 「そんな……いったい何故そのような嘘を!?」

 「だって……ここは、おひめさまのとってもたいせつな場所なんですもの」

 思わず声を荒げたロデリックに、エリザベートは目を伏せた。

 「アルフォンゾ様お一人ならまだしも……あの勇者は、いまだ嘘つきの魔女の影響を受けているのでしょう?そんな相手を、ここへ連れてくるわけには参りませんわ」

 「嘘つき?嘘つきの魔女ですと!?」

 堪らず口を挟んだ騎士に向かい、エリザベートは重々しく頷く。

 「みなさま、まだ騙されておりますのね。あの、聖女を名乗る女。あの女は、とんでもない嘘つきの魔女ですのよ?わたくしの許に現れた、生まれたての可哀想な精霊さんを殺し、入れ替わったの。そして畏れ多くも聖女を騙り、アルフォンゾ様のお近くに入り込んで……アルフォンゾ様の愛を……王の心を横取りして……エミリアと同じ……アルフォンゾ様とエンデミオン王妃の座を、もう一度わたくしから奪うつもりなのよ!!!」

 言い募るうちに興奮したのか、エリザベートはぎりぎりと歯を食いしばった。

 その怒りで手に持った薔薇の燭台が震え、嫉妬に歪むエリザベートの顔を不気味に照らし出す。なまじ普段が楚々として美しいだけに、その醜悪な表情は見る者の背筋を凍らせた。


 「ま……魔女ですと!?あなたがおっしゃっているのは、聖女エナ様のことですか!?あのかたは、紛れもなく、召喚された聖女様ですぞ!?」

 「そ、そうです!エナ様が魔女などととんでもない!!」

 「エナ様は星女神さまと光の神の加護を、世界樹の信愛を受けた御方!!いったい、何を根拠にそのような!!」

 「すべてあなたの思い込みではないか!!」

 「まあ!!あの女!!アルフォンゾ様に取り入っただけではなく、こんな騎士たちやエルフの王族にまで魔手を伸ばしているのね!」

 そのあまりの落差に気圧されたのも一瞬、気を取り直した騎士たちとロデリックは、口々にエリザベートに異を唱える。だがその抗議に耳も貸さず、エリザベートは息を飲み、心底嫌そうに身震いをした。

 「ああ、嫌だ!なんて汚らわしい!!なんて悍ましくて、いやらしくて、浅ましいのかしら!!あの女はこうやってエンデミオンを乗っ取るつもりなのね!!」

 「エリザベート殿!人の話を……」

 「なんて可哀想な騎士様!エルフたち!あの魔女に誑かされてしまうなんて!世界一のおひめさまのわたくしにそんな口をきくなんて……ああ、あの魔女に魂まで汚染されてしまったんだわ!!」

 宥めようとするロデリックを振り払い、エリザベートは一、二歩後退る。


 「あの魔女は、わたくしをなんの力もない、無力なおひめさまだと侮っているのでしょう!?だとしたら大きな間違いよ!!わたくしは、魔女の悪意に抵抗もできない、か弱いおひめさまではないの。()()()()()()!?()()()()!!!」


 声高らかにそう叫び、エリザベートは燭台を掲げた。

 同時に、祭壇の後ろに掛けられていた幕が、音を立てて落ちる。

 そして、その奥に佇んでいたのは。


 「「「!!」」」


 息を飲む音が、重苦しい空気を切り裂く。


 思いのほか広い、祭壇の後ろの空間。

 そこに佇んでいたいくつもの影を、篝火が照らし出す。


 それは、連絡が取れなくなっていた―――騎士たちやエルフの、変わり果てた姿だった。






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