救援
「………悪趣味、極まりないなあ」
不意にどこからか聞こえたその呟きに、今まさにレティ(ミーア)の首を締めようとしていたウルリーケははっと顔を上げた。
「ミーア!!」
その動きで呪縛が解かれたように、エルトリンデを支えたままダリエスがミーアをウルリーケから引き離す。
「重畳重畳、どうやら間に合ったようだの」
同時に彼らが背にした大窓が粉々に砕け、額に黒の一本角を戴いた少年が姿を現した。
「貴様……ラウ・ハン!」
「ほう、我を知っておるか」
ぎり、と歯噛みするウルリーケをせせら笑うように、ラウは顎を上げる。その背後から、ステファーノとクラウ、続いてナルファとセオが姿を現した。
「セオ様!?どうして……」
「ナルファ様!ステファーノ……カーシャが!カーシャが……」
神の登場に驚愕するダリエスを押しのける勢いで、カーシャを抱えたエルトリンデが二人に縋りつく。
「わたくしを庇ってくれたのです!……ああ、どうしよう……どんどん息が浅くなって……」
「……これは……」
見れば、ぐったりと意識を失ったカーシャは息も絶え絶えで、顔色は驚くほどに悪い。
「よくないね。セオ様、ちょっと力を貸してもらえるかい?」
「……なるほど、そういうことですか」
カーシャの治療をナルファに任せ、彼女が浴びてしまったお茶を検分したステファーノは、らしくもなく剣呑な目つきでウルリーケを睨んだ。
「これはニーヴヴを含み、人を操るためのお茶ですね。人やエルフには耐えられる量ですが、体の小さなカーシャさんには致命的でしょう。それに、この香。これはいつぞや国境の砦で騎士たちを操ろうとした企みでも使われたもの。……そうですか。あの企みやシャノワ姫暗殺未遂も、コンポジート家に起こった災厄にも、あなた方が……この城が関わっていた、ということですか」
「コンポジート……の……」
怒りを滲ませるステファーノの言葉に、呆然とクラウが呟く。
それは、イズマイアの家族を襲った悲劇。
魔女に操られた母が王宮で父とその友人を殺し―――その場で討たれた事件。
「そう……か。マレーネを操った、アマンダの使った茶か。つまり、すべてはエリザベートと……ひいてはナイアスの差し金だったということだな……?」
にやり、と嗤ったラウの気がざわりと揺らぐ。
「……さてさて……これは困ったぞ。貴様らを許せぬ理由がひとつ増えてしまったではないか。……ふむ、どうするか……」
そう言って、言葉とは裏腹に泰然と腕を組むラウに、どこからかかかるもう一つの声。
『駄目ですわよ?ラウ殿下。その女はわたくしの獲物のはず』
「!!」
ゆったりと優しい、それでいてどこか底冷えのするようなその声に、はっとウルリーケが顔色を変える。
「判っておるわ。相変わらず血気盛んな奴め……誰も、ぬしの獲物を横取りなどせぬよ」
苦笑し、ラウは懐から小さな―――直径3センチほどの、深い海色の水晶玉を取り出した。
「ほれ、ぬしの獲物だ。好きにするがいい―――エドナよ」
『恩に着ますわ、ラウ殿下』
その言葉とともに、水晶玉から凄まじい量の水が溢れる。
と、次の瞬間は水は跡形もなく消え失せ、その場に現れたのは、豊かな青い髪を緩やかに波打たせ、白から青へと色の変わる衣装に身を包んだ、美しい女性の姿だった。
「……っ…エドナ・プルーナ!!!」
「やっと逢えたわね。一族の面汚しさん?」
ぎりぎりと歯ぎしりをし、憤怒の形相で睨みつけるウルリーケを軽くいなし、魚人族の女王エドナ・プルーナは涼し気な瞳でにっこりと微笑んだ。
ラウたちがサロンに乱入するより少し前。
仲間たちに連絡がつかないことに不安を覚えつつも、颯太とレティは中庭に面した大窓のひとつから東棟に侵入を果たしていた。
「ソータ様、こちらですわ!この階段を上がれば、東の塔へ行けるはず!」
レティの案内で階段室に入りながら、颯太は油断なくあたりを見渡した。
小さな城、といっても城は城。いざ侵入するとなると、それは結構広い。
とはいえ、騎士団のみんながいい仕事してくれたのか、拍子抜けするほどに夢幻城の中は人気がなかった。ここまで来るのだって、運悪く侵入した時に鉢合わせしてしまった侍女をレティの魔法で眠らせてソファに寝かせてきたくらいで、邪魔らしい邪魔は入っていない。
「ソータ様?」
「ああ、いや……あまりにも誰もいないからさ。ちょっと気になっちゃって……」
「確かに……でも、事前の調査でも、夢幻城は使用人の数も少ないというとことでしたし……エリアルド様たちがすでに魔導士たちを制圧したそうですから、ある程度は拘束されているのではないでしょうか……」
颯太の言葉を受けて、レティも不安そうにあたりを見渡す。
そうかもしれなけど………だったら、騎士やエルフたちの姿も見かけないのは何故だろう……?
「……と、りあえず!先を急ごう!!ここでモタついて間に合わなかったらシャレにならない!」
「そ、そうですわね!先を急ぎましょう!!」
―――気を取り直して階段を駆け上がり始めた二人は知らない。
つい先ほどまで………ウルリーケが回収するまで、たった今二人が立ち止まっていた、まさにその場所でマルクスが石にされたことも。
辿ってきた廊下のそこかしこで、石にされたエルフや騎士がいたことも。
何も知らぬまま、二人は東の塔へ向けて階段を駆け上がっていく。
崩壊寸前の『聖女の涙』の発動を、最強の『穢れ』の発動を止めるために。
そして、大サロンでは。
「貴様……どうして……マーマンは立ち入れないようにしていたはずなのに……」
目の前に現れたエドナから飛び退って距離を取りつつ、ウルリーケは呻く。
「ええ、そんなところだろうと思っていましたわ。ですから、少々窮屈でしたけれど、殿下に協力をお願いしましたの」
そんなウルリーケとは裏腹に、エドナは落ち着き払って青い髪を整えた。
「なにしろ、同族がしでかした不始末ですもの。女王のわたくしが見て見ぬふりをするわけにはいかないでしょう?」
「抜かせ!この盗人が!!」
かっとしたように叫び、ウルリーケは右手を一閃する。その指先から溢れ出した水が無数の氷の矢となって一同に降り注いだ。
「ああっ!!」
「ナルファ様!!」
咄嗟にミーアとダリエスがカーシャの治療を行うナルファたちを庇い、ラウとクラウが身構える。
だが、氷の矢は誰の許へ届くことなく瞬時に蒸発した。
「っ!!」
「本当に、礼儀を知らないのね。同族として恥ずかしい限りだわ。あなたのお母さまは何も教えてくださらなかったのかしら」
「だ…黙れ黙れ、黙れッ!!」
あっさりと攻撃を無効化したうえ、わざとらしくため息までついて見せるエドナに、ウルリーケは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「ぬ……盗人のくせに!!母から女王の座を奪った、泥棒の、偽物のくせに!!わたくしは知っているのよ!母様が言ってたもの!!本当は、マーマンの女王になるのは母様のはずだった、って!!」
何度も足を踏み鳴らし、喚き、盲滅法に水魔法を撃つ。
「母様は女王になるはずだった!!それなのに……お前たちが母様を追い出し、女王の座を奪った!!母が……そしてわたくしが就くはずだった、女王の座を!!」
「……そう。あなたのお母さまは、そんな世迷言を娘に吹き込んだのね」
そのすべての攻撃を打ち消し、エドナは深いため息をついた。
「……だからなの?女王になれなかったから……だから、拗ねて、世を恨んで……マーマンの誇りを貶めるために、あんな女に………魔王に与したというの?」
「ッ…馬鹿に、するなっ!!」
憐れむような、穏やかですらある声で尋ねられ、ウルリーケはさらに顔を紅潮させた。
「女王の座など……ッ……そんなもの、誰がいるか!!そんなもの、どうでもいい!わたくしは……わたくしはただ、お館様のために!あの女を地獄に落とすために……」
「……そのために……世界を裏切り、マーマンの誇りを踏み躙ったというのね……?」
その瞬間。
すっと空気が変わった。
二人のマーマンを取り巻く気温が急激に下がり、細氷がきらきらと舞う。
ぱきぱきと微かな音を立てて、絨毯に、シャンデリアに薄い氷の膜が張る。
「……ラウ殿下、セオ様?皆様をお願いしてもよろしいかしら……?」
振り返りもせずに問う声は、その空気よりも冷たい。
「おう、なんなりと好きにするが良い」
「感謝しますわ」
飄々と返すラウと言葉を背中で聞き、エドナはその迫力に飲まれたように立ち尽くすウルリーケに向かって一歩踏み出す。
「……わたくしを、偽物と言ったわね」
もう一歩踏み出した足の下で、氷がぱきりと砕ける。
「偽物かどうか………その身で確かめるが良いわ」
ゆうるりと細められた瞳の中で、青白い炎が揺れた。
今年最後の更新です。
お付き合いいただきありがとうございました。
楽しんでいただけてたら幸いです。
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