彫像
「こちらにいらっしゃいましたのね、アルフォンゾ様!」
不意にかけられた明るい声に、アルはびくりと肩を揺らした。
「……エリザ……ベート殿……」
振り向けば、重厚なタペストリのかかった廊下の向こう、ほんの5、6メートル離れたところにエリザベートが侍女も連れずに佇んでいる。
「どうかなさいまして?」
「ああ、いや……あなたはサロンの方にいらっしゃるとばかり……」
不思議そうな視線に言葉を濁しながら、アルはさりげなく手の中の手紙をポケットに滑り込ませた。
「だって……アルフォンゾ様がなかなか戻ってきてくださらないんですもの」
可愛らしく拗ねてみせるエリザベートの態度に変わった様子はない。だが……言い知れぬ違和感に、アルは密かに眉を寄せた。
またしても「化粧直し」をしたのか、その出で立ちは一変している。
サイドを残し、きちんと結い上げられた金の髪、その髪を飾る、黒曜石の房飾りのついた黒銀の櫛。髪の間から覗く耳には、揃いの黒曜石の耳飾りが揺れている。
ほっそりしたその身には光沢のある漆黒のドレスを纏い、白い手首から喉元までは、同じく漆黒の繊細なレースに包まれている。
指に光る指輪の深紅以外、黒一色の装いは、彼女の白い肌に映えて美しくはあったが―――彼女は、黒のドレスを嫌い、夫の葬儀ですら喪服を拒否したのではなかったか?
それに……彼女に声をかけられるまで、まったくその存在を感知できなかった。
いくら無害な女一人とはいえ、この俺が……しかも、敵地のど真ん中で背後を取られた……?
「ねえ、アルフォンゾ様?」
「っ!」
目まぐるしく考えを巡らせるアルの隙をつくかのように、いつの間にか距離を詰めたエリザベートがアルの腕に触れる。
衣服越しでもわかる、その手の冷たさと悍ましさに思わずアルはその手を振り払っていた。
「アルフォンゾ様?」
「ああいや、姫君があまりに美しいので、この果報者は見惚れていたのですよ!―――なあ?アルフォンゾよ!」
「あ……ああ」
驚いたように目を見開くエリザベートに、咄嗟にロデリックが場を取り繕う。
「まあ!アルフォンゾ様ったら……」
それでも、口ごもるアルの反応を照れ隠しとでも取ったのだろう、エリザベートは頬を染め、はにかんだようにもじもじと身をくねらせると、うっとりとアルを見上げた。
「……こ、公爵夫人?立ち話というのもなんですし。どうですかな、サロンの方へ戻られては……」
「あら、無粋ですのね。ロデリック様。ようやくお会いできた愛しいかたを見つめていたい、女心の邪魔をなさるなんて…」
放っておけばいつまでもアルを見つめていそうなその様子に、横やりを入れたロデリックを、ちょっと上目遣いで睨んで。
それからエリザベートは気を取り直したように謎めいた微笑みを浮かべた。
「でも……そうね、そろそろ頃合いですし……参りましょうか。みなさま」
「エリザベート殿?」
それだけを言い遺すと、エリザベートはすっと先に立って歩き出す。
「エリザベート殿!サロンは……」
「いいえ。こちらでよろしいのですわ。……騎士の皆様もお待ちですわよ」
「!?」
くすくすと小さな笑いとともに放たれた言葉に、アルたちははっと息を飲んだ。
騎士たちと連絡が取れないことは、エリザベートの前で話題にしていない。
それなのに彼女がそれを知っているということは―――。
「で…殿下!」
唇を噛み、足早に後を追おうとするアルの腕を、慌ててエリアルドが掴む。
「危険です!ここは、我々だけで!」
「……いや、あの女は俺が行かなきゃ承知しねえよ」
囁くエリアルドを押しのけるようにして、アルは先に立って足を進めた。
エリザベ―トが導く、夢幻城の闇の奥へと。
一方、潜入に成功したフェリシアは、ひとり東棟の2階へと足を踏み入れていた。
「……それにしても、人気のない城ね……まあ、こっちとしては好都合だけど」
つい、そんな感想が漏れてしまうのも無理はない。
なにしろ、潜入した時に侍女らしき人間の気配を察知した以外、誰とも行き当らないのだ。エルフらしい気配はやり過ごしているから当然としても、侍女や使用人も見当たらない。
―――それってどうなの?使用人、ちゃんと仕事しろよ!
……などと胸の裡でごちつつ廊下の角を曲がったフェリシアは、そこに立っていた人影にぶつかりそうになって、思わず小さく悲鳴を上げた。
慌てて飛び退って距離を取り、腰の短剣に手をやりつつ相手を睨みつけたところで、その正体に息を飲む。
「…ち……彫像?」
それは、等身大の騎士の彫像だった。
白大理石でできているのか、白一色の表面はなめらかで、傷ひとつない。
緊張の面持ちも、腰の剣にかけた指先も、波打つ髪のうねりまでおそろしく精巧に作り込まれた彫像は、なまじ顔が整っているだけに不気味としか言いようがなかった。
「なにこれ……」
おそるおそる伸ばした指で、そっとその彫像の腕に触れてみる。
冷たく固いその感触を確かめて、フェリシアは頭に浮かんだ馬鹿げた考えを振り払うように首を振った。
あまりに精巧なその造りに、もしや人が彫像に変えられたのでは………と思ってしまったのだ。
「……それにしても、悪趣味ね。あの女、アルにご執心なんだっけ……?」
だからなのか、ご丁寧にその彫像はエンデミオンの騎士の礼装を纏っていた。
「エンデミオンの騎士の彫像を侍らせて、アルの妃にでもなったつもり……?うわぁ、気持ち悪っ!!」
自然とぞっと走った身震いを自分を抱き締めるようにしてやり過ごし、ぶつぶつと文句を言いながら桜貝に念を込める。
―――シャノワ!どこにいるの?シャノワ!
小さなその貝を両手で包むようにして呼び掛ければ、その貝はふわりと光を帯びる。
「……近いわ!上ね!!」
張り巡らせた探知魔法に確かにその光の相方を認めて、フェリシアは階段に向かって走り出した。
―――おかしいわ……どうなっているの?この城……
豪華な廊下を駆け抜け、階段に到達するころには、フェリシアの中の不安は拭い難いほどに大きく膨らんでいた。
まず、人の気配がいっさいない。
いくら少人数の城とは言え、表敬訪問の一行を出迎えた使用人の数は侍女だけでも4、50人はいたはず。それに加え、騎士が12人、エルフだって兄様たちを除いても10人は入城しているのに。
おまけに、あの彫像。
あの後、フェリシアはもう2体、同じような彫像に出くわしていた。
いずれも何かを警戒するかのように身構えたような立ち姿で、エンデミオンの礼装を纏って。
しかも、その彫像はまったく見当違いの位置に―――廊下の真ん中とか、窓際とか、普通ならあり得ない位置に配置されていたのだ。
「やだやだ、もう!この城気持ち悪い!ナイアスも、よくこんなとこにいられるわね!」
泣き言を言いながらようやく階段に辿り着き上を目指そうとしたフェリシアは、ふと………本当に何気なく、下を―――1階の階段を見下ろした。
ちょうど階段のはじまりのあたりと、親柱の白鳥の彫刻が目に入って―――フェリシアは目を疑った。
「…………う……そ……」
ざっと音を立てて血の気が引くのが判る。
次の瞬間には、フェリシアは声にならない悲鳴を上げながら階段を駆け下りていた。
階段の上り口に佇む、あの白い彫像のひとつに向かって。
「マルクス!!!」
階段に片足をかけ、心持ち振り向いたようなその彫像は、紛れもなく旅の仲間―――マルクスのものだったのだ。




