覚悟
《 ……判っているな、セオ。あれは挑発だ 》
重苦しい沈黙を破ったのは、思慮深いエスタスの声だった。
《 惑わされるな。奴は、我ら神々が決戦に干渉できないのを知っている。そのうえでお前を誘い出そうとするのは、お前にさらなる絶望を与えるためか―――七大神の一角を滅し、世界の均衡を崩すのが目的か、そのどちらかだ 》
《 エスタス…… 》
あまりに尤もな火の神の言葉に、セオはぐ、と拳を握り締める。
神々は……特に七大神は、消滅を許されていない。
精霊や、ごくごく神格の低い神々のように代替わりをすることも、アスナスのように神の座を降りることも。
創生神アルスが去り、アスナスと星女神ヴェリシアが消えた今、この世界の均衡は七大神の肩にかかっていると言っても過言ではないのだから………。
「……っ……だったら!!」
無力感に苛まれつつ、セオが絶望を受け入れようとした瞬間。
「だったらぼくが……ぼくが行く!!ぼくを中へ入れて!!」
一歩前に踏み出しながら、白の世界樹がそう叫んだ。
「ナルファ!?」
『ナルファ!!』
それにぎょっとしたのは青の世界樹ワリスとレ・レイラだ。
「何を言う!決戦に干渉できないのは貴様も同じことだろうが!!」
『そうですわ!!世界樹とて、魔王に立ち向かったらどうなるか!!』
「それでも!ぼくなら回復の指輪を辿ってソータたちに行きつくことができる!確かに魔王との戦いに参加はできないけど、みんなの傷を癒すことくらいならできる!」
反対する二人にそれ以上の声で怒鳴り返し、ナルファは燃える瞳でセオを見上げた。
「キッチェが教えてくれた……覚醒したぼくらは、上位精霊と同等の力を得たって。できないって先入観があるだけだって!!だったら……ぼくは、諦めたくない!仲間たちのことも、他のみんなも!!諦めて仲間が死ぬのを見ているくらいなら、やれること全部やって消滅した方がましだ!!」
《 し……白…… 》
「ならば、わたくしも!!」
ナルファの決意に気圧され言葉もないセオの足許に、駆け出して来たエレが平伏する。
「烏滸がましくはありますが、わたくしは筆頭レティシア様に次ぐ霊力を持つ小聖女!!決してナルファ様のお邪魔はいたしませぬ!なにとぞ、わたくしも中へお送りください!聖女様の御恩に報いるため、一人でも多くの方の命を救いたいのです!!」
「で……では、わたくしも!!」
「わたくしも!!」
必死に訴えるエレに、イサドラが、アビゲイルが同じように声を上げた。
「エレ様ほどの力はありませんが、わたくしはあの大聖堂に1年以上も囚われた身!道案内ぐらいは出来ましょう!」
「わたくしは、呪いの解呪には長けております!きっとお役に立てます!!」
「では俺も!俺たち獣人は鼻が利くし、大聖堂に潜ったこともある!!それでなくとも、小聖女たちの護衛くらいは出来よう!」
「「「セオ様!!」」」
まとめ役として本陣に残っていたジャズルも名乗りを上げ、セオに詰め寄る。
《 ………判った…… 》
数瞬の逡巡ののち、梃子でも譲らないと言わんばかりの彼らの顔を見渡してセオはため息をついた。それを聞いて、その頃には10人以上になっていた志願者たちは顔を輝かせる。
《 ただし、連れていくのはナルファとそこの小聖女……そして、獣人の族長、それだけだ 》
《 セオ!? 》
だが、続く答えにエレとジャズル以外の者は落胆し、不穏な気配を感じたエスタスが割って入った。
《 連れて、って……お前、まさか…… 》
《 ………俺も、行く 》
動揺する友人の目を真っすぐに見据え、セオはきっぱりとそう断言した。
《 セオ!! 》
《 見ろ。空間がほとんど凍結している。ここまで断絶が進んでは、こいつらだけを送り込む方が難しい。俺が行くしかないんだ。幸い、コンラートもそれを望んでいるようだしな 》
《 馬鹿を言うな!!お前をおびき寄せ、消滅に追い込むための罠に決まっているだろうが!! 》
《 それでも……だ 》
薄く笑い、セオは自分の腕を掴んで止めようとするエスタスの手をそっと外させる。
《 俺も……諦めたくないのだ。アルのことも、あの小さな勇者と型破りの聖女のことも………そして……破滅に向かおうとしているあいつのことも 》
……そう。
3000年前、自分は約定に囚われ、この手を放してしまった。
絶望の闇に堕ちたあいつを見捨ててしまった。
その罪が贖えるとは思わない。ただそれでも……もし、もう一度、向き合えるなら。
《 ……小さな勇者が教えてくれた。直接戦わなければ、神を宿したアルでも魔王と向き合うことはできるのだと。ならば……俺は、もう一度あいつに会いたい。戦うためではなく、救うために…… 》
《 ……セオ…… 》
静かに凪いだその瞳に、エスタスはかける言葉を失った。
後悔と自責に沈んだ昏い瞳ではなく、前を見据える強い瞳。
こんな目をした彼を見るのは、いったいいつぶりのことだろうか―――3000年前のあの時以来、彼は今にも消えてしまいそうなほど思いつめた目をしていたのだから。
《 ………よし、判った 》
《 ニーヴァ!? 》
だが、責務と感情の間で揺れるエスタスの隣から、ニーヴァがセオの胸を軽く小突き、許可を出してしまう。
《 ……ただし、約束しろ。絶対に消滅すんな、生きて帰って来い。あいつらも連れて、だ。オレの可愛いいとし子といとし子の忘れ形見を死なせやがったら、ぶっ飛ばすだけじゃ済まねえぞ? 》
《 ……それは、怖いな…… 》
《 だろう?……さ、判ったんならとっとと行け。お前が帰ってくるまで、この空間はなんとかオレとエスタスで保持してやっから。な? 》
《 ……しかたないな、こうなったら私が何を言ってもお前はきかないだろう? 》
物騒な激励に瞠目しつつも目許を和ませるセオと、にっかり笑って自分を振り返るニーヴァを見比べて、苦労性のエスタスは深いため息をついた。
「無理いってごめんね、ワリス。でも、ぼくは出来るだけのことをしたいんだ。それに、複数の別身体を出せないぼくには、レイラや亜人のみんなの取りまとめを手伝うことはできないから……」
「ナルファ……」
話がついたらしい神々の傍らでは、ナルファがワリスに後のことを託している。
「……仕方ない奴だ。むちゃくちゃなとこまであの聖女に似おって……よいか!貴様も絶対に生きて帰るのだぞ!せっかく4柱揃った世界樹の絆を崩したら、承知しないからな!」
「………うん、判ってる」
これ見よがしにため息をつきつつも送り出してくれるワリスにぎゅっと抱き着いて。ナルファはその耳許でそっと囁いた。
「……スフィカを頼むね。もしぼくに万が一のことがあったら、グ・ラ・スリエから南に100キロくらい行ったところに、ぼくの枝を挿し木してあるから……」
「ば……馬鹿を言うでない!あんな蜂どもの面倒なぞ見切れんわ!そんなことになってみろ!真っ先にその小枝をへし折ってくれるからな!!」
「あはは、怖い怖い!」
血相を変えて詰め寄る青の手からひらりと身を躱し、ナルファは笑顔でセオの許へ駆け寄る。
《 ……では、行ってくる 》
もう一度、見守る人々の顔を、神々を、世界樹を見渡して。
セオはナルファとエレ、ジャズルを連れて今まさに閉じようとしている空間へ―――魔王の待つ異界へと身を投じた。




