姫君たちの戦い 3
「わたくしがシンシア様を!?なんて酷いことをおっしゃるの!!」
怒りに目を燃やし、エリザベートはばん!と両手をテーブルに叩きつけた。
「エリ……」
「いくら勇者さまでも許せないわ!!シンシア様は、おひめさま!わたくしと同じ、おひめさまだったのよ!」
咄嗟に宥めようとしたエルトリンデを払い除け、ぎらぎらと輝く瞳で颯太を睨みつける。
「よくって!?シンシア様はわたくしの大事なお友達なの!そうよ……お友達だったのよ……同じおひめさま同士と思うからこそ、あの踊り子の魔女を呪い殺して、ゼラール様のお妃さまにしてあげたのに……シンシア様ったら……あの騎士さんと踊り子の魔女のことばかり……わたくしの恩も知らないで……あまつさえ……呪具を奪おうとなんてなさるから……」
唇を噛み、わなわなと震える手を握り締め、半ばうわ言のようにエリザベートは呟く。
「おひめさま同士、わたくしを助けると言ってくださったのに……一緒に儀式を……そうよ、おひめさま二人がかりなら……今度こそあの嘘つきの魔女をやっつけられるはずだったのに……シンシア様……いいえ、わたくしは悪くない……悪いのは、土壇場で裏切ったシンシア様のほうだわ……」
焦点が合わぬ虚ろな目を瞠り、ぶつぶつと呟くエリザベートの異様さに、誰一人声を上げることすらできなくて。
広いサロンはしん、と水を打ったように静まり返った。
「エ……エリザベート様……?」
ややあって、勇気を振り絞ったエルトリンデが、聞き取れぬような低い声で独り言を繰り返すエリザベートにそっと声をかける。
『リンジー!!』
その肩の後ろで、ずっと身を潜めていたカーシャが微かな悲鳴を上げた。
カーシャやエイヤをはじめ、騎士たちにくっついて紛れ込んだ妖精たちは、皆、同じ能力を持っている。
「中継」というその力で彼女たちはこの城で見聞きしたすべてを本陣のドーリャ婆に送り、族長としての能力をフル稼働させたドーリャ婆から女王レ・レイラへ、そして主要メンバーへと情報が伝達、共有されているのだ。
その、忠実な友人の小さな温もりに力を貰い、エルトリンデは恐る恐るエリザベートの肩に手を伸ばした。
「エリザベート様……では……シンシア様は、あの黒い礼拝堂へいらっしゃったのですね?そして……儀式の様子をご覧になった……?」
優しく肩を擦り、小さい子をあやすように声をかけると、のろのろとエリザベートは顔を上げる。
「……いいえ……儀式は……していないの………シンシア様ったら……わたくしのとっておきの呪具を……呪具を……」
「まあ……壊してしまったの?」
「いいえ……でも……大事な方陣の布を……ひどいわ、あれは儀式に必要なものだったのに……」
ふるり、と唇が震え、アイスブルーの瞳に涙が浮かぶ。
「あのひどい大嘘つきの魔女は、可哀想な精霊さんを殺して入れ替わっただけでなく、聖女様を名乗っているのよ?だから、一刻も早くあの魔女を呪い殺して、アルフォンゾ様をお救いしなければならなかったのに……ああ……どうして……シンシア様はあんなことを……」
「……では……シンシア様は……その儀式をさせまいとなさったのね……」
しくしくと泣き出したエリザベートの肩の上でぎゅっと手を握り締め、エルトリンデは思わず天を仰いだ。
……ああ……やはり、シンシア様は―――あのかたは。
あのかたは、敬愛する方の尊厳を、舞姫シャノワ様の魂を救おうとなさったのだ。
大恩あるエナ様を護ろうとなさったのだ。
カナンの王妃として、これ以上の非道と邪悪を許すまいと、たった一人で立ち向かわれたのだ―――!
「……それで……エリザベート殿は、どうなさったのですか?その方陣の布とやらは、とでも大事な品だったのでしょう……?」
声も出せないエルトリンデに代わり、向かいからダリエスが恭しくエリザベートにハンカチを差し出す。
「ええ!それはもう!だから、わたくしもさすがにかっとして……そうしたら……あの剣が……青く光る剣が……」
「!剣……?青く光る剣が!?」
僅かに息を飲み、ダリエスは身を乗り出した。
青く光る剣―――それは、フェリシアがシンシアに渡した、世界樹の剣ではないのか!?
「ええ……剣が………」
涙を拭きながら言いかけたエリザベートは、その瞬間、不意に凍り付いたように動きを止めた。
「エリザベート殿?」
「エリザベートさん?」
固唾を呑んで見守っていた3人の前で、エリザベートの瞳がまるで膜でも張ったように光を失う。
凍り付いた表情が抜け落ち、完全な無表情となって―――と、また次の瞬間、まるで何事もなかったかのように彼女は瞬きし、溜まっていた涙が雫となって頬を転がり落ちた。
「……突然、刺客が………あの嘘つきの魔女が放った刺客が、襲い掛かってきましたの!あの魔女は、わたくしたちおひめさまが二人がかりで祈れば自分が退治されてしまうと気付いたんだわ!だからその前にわたくしたちを……シンシア様は、わたくしを庇って……ああ!!なんて酷い!お可哀想なシンシア様!!」
「エ…エリザベートさん?」
唐突にわっと泣き伏したエリザベートに、颯太たちは呆気にとられた。
明らかに脈絡がなさすぎる。
シンシアへの恨み言を口にしていたエリザベートと、シンシアを想って泣きじゃくる今のエリザベートはまるで別人だ。
「まあまあ、姫様!」
その時、それまでずっと黙って控えていた侍女が二人、エリザベートの許へ駆け寄った。一人が跪いてアルフォンゾの名を出し、エリザベートを泣き止ませようとする間に、年嵩の侍女が深々と一同に頭を下げる。
「誠に申し訳ございません。姫様は妃殿下のことになるとつい……なにしろ、あまりに衝撃的な記憶は、ご自分の思うように塗り替えてしまう方ですから……」
「!!」
まっすぐにダリエスの目を見てそう言った侍女は、中座する非礼を詫び、エリザベートを抱えるようにしてもう一人の侍女とともにサロンを出ていく。
「……なるほどな。そういう、ことか……」
「……ダリエスさん?」
その背中を見送ってソファに深く座り直したダリエスとサロンのドアを見比べて困惑する颯太に、ダリエスは深いため息をついた。
「今の侍女の言葉。……あれは、告発だよ。シンシア様の死について、エリザベートの言うことを信用するな、っていう」
「えっ!?」
「都合の悪い真実は、記憶を塗り替えてしまう……ということですわね……」
驚く颯太に、もう一人のエルフもため息をつき、頭痛を抑えるように蟀谷に手を当てる。
「……主人に対して不利になるようなことは口にせぬよう、厳しく制限されているのでしょう……ということは、おそらく……」
「……じゃあ……やっぱり……」
「……シンシア様……」
沈痛な面持ちで口を閉ざすエルフたちに、年少の二人は言葉を失った。
シンシアの死の理由と、彼女を殺した、本当の犯人。
予想はしていたとはいえ、突き付けられた真実はあまりに残酷で……。
誰ひとりそれを口にすることもできぬまま、重い沈黙が部屋を支配した。
エルトリンデが引き出した真実は、即座に仲間たちにも伝えられた。
「……シンシア様!!!」
「嘆くのは後にせい!今は俯かず前を見よ!」
全速で城に向かいながらも聞いたばかりの悲報に呻く依那に、ラウの叱責が飛ぶ。
「判ってる!!……判って…る……けど……っ」
それに叫び返しながらも、依那は溢れる涙を拭い、嗚咽を噛み殺した。
だって、シンシアは、自分のせいであの城へ行ったのだ。
自分がナイアスとエリザベートの密通を教えたから―――だから、シンシア様はそれを確かめに、あの城へ乗り込んだ。自分がもっとうまく立ち回っていたら……シンシア様ではなく、ゼラール王に直接進言していたら、シンシア様は今も生きていたのではないか?もっと早くあの城に調査の手が入って、シャノワだって助けられたのではないか?
打ち消そうとすればするほどそんな思いが渦を巻いて、胸を締め付ける。
「エナさんの所為じゃありません!シンシア様は、カナンの王妃として行動なさったのです!!」
すぐ隣、クラウに背負われたままステファーノが叫ぶのにも、素直にうなずくことができない。
「だったらなんで…っ……なんでもっと大人数で踏み込まなかったのよ!エリザベートを捕らえて、あの城から引きずり出して……そしたら、きっとシンシア様は……っ…」
八つ当たりだと自覚しながらそう叫び返した瞬間。
突然彼らの目の前の大地に巨大な裂け目が生じた。




