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エノクのたからもの 2


 「な……なに!?」

 「ステファーノ!?」


 水晶が放った光は、まっすぐに水面を貫く。

 と、同時に音を立てて泉の水が波打ち、割れてステファーノの前に道を作った。彼のいる浅瀬から―――泉の中央へと。


 「……ふぅ………っとと……」

 唖然と立ち尽くす世界樹と精霊の前で、ほっと息をついたステファーノは足を引きずりながらよろよろと水の壁に挟まれた道を辿り、ちょうど水晶の真下から何かを拾い上げた。

 「ス…ステファーノ!?」

 「ちょっ……大丈夫なの!?アンタ!!」

 その頃になってやっと我に返ったふたりが駆け寄って来るのに、ステファーノはいつもののほほんとした笑顔を向ける。

 「ああ、お二人とも。やりましたよ、ほら!」

 「ほら、じゃないでしょおおお!?」

 「とにかく、岸へ!手当が先だろ!!」

 気が抜けたのか、笑顔でへたり込むステファーノを、ナルファは抱え上げるようにして岸へと向かった。泉の底から何かを拾い上げたせいで、また神気に満ちた水が溢れ、これ以上ステファーノが傷つくことをおそれたからだ。

 だが、この場に宿る神気には、もはやステファーノを害する気はないようで、泉の水が元へ戻ったのは彼らが泉を出てしばらくしてからのことだった。


 「……もう……どんだけ無茶すんのよ!アンタはぁ!!」

 「す……すみません」

 あまりの無茶ぶりにさっきまでの涙も引っ込んだのか、中空に仁王立ちになったキッチェに叱られつつ、ステファーノは頭を掻く。

 「ほんとに……下手したら死ぬとこだったんだよ?」

 その彼の手足の傷を癒しつつ、ナルファはその酷さに眉をしかめた。


 泉の水……いや、あまりに濃厚な神気に浸食されたステファーノの足や手は爛れ、肉が削げ、骨が見えている個所すらある。

 酸の海に飛び込んだような、耐え難い激痛だっただろうに………それでもこの人間は、『エノクのたからもの』、とやらを得ようとした。それは、ルルナスを倒すためか、それとも………


 「……さすが、『()()()()()()()()()()()()()()()()……といいうことか……」

 「……ナルファさん?」

 ぽつりと呟いた言葉を聞き咎めてか、不思議そうな顔をするステファーノににこりと笑って、ナルファは彼の傷を癒し終えた。

 「わあ!ありがとうございます!!ナルファさん!!」

 「いい!?痛いとこあったら今のうちに言っとくのよ!?」

 「やだなあ、もう大丈夫ですよ!……それより……」

 怒っていただけなのに偉そうなキッチェから念を押され、ステファーノは恐縮しながらそっと右の拳を開く。

 「……これが、冷たい石。『大賢者エノクのたからもの』です」


 その掌にあったのは、ちょうど少年の手で握り込めるくらいの、小さな平たい石だった。

 澄んだ薄花色から紺青へと移り変わるその表面にはいくつもの白い筋が走っている。

 歪な長円形をした青い石の表面は、すべすべしてはいるものの、きちんと加工、研磨された痕跡は一切ない。綺麗ではあるものの、とても名だたる大賢者の『たからもの』とは思えない、子供の宝箱に入っていそうな、素朴な石だった。


 「これが………ルルナスの言ってた、良いもの……?」

 おそるおそる、その石に手を伸ばしたキッチェは、石に触れるなり慌ててその手を引っ込める。

 「ほんとだ!冷たい!てか、ひんやりしてる!!」

 「え!?ほんと!?」

 驚いて石に触れたナルファは、言われた通りひんやりしたその温度に目を丸くしつつ、そっとステファーノの掌からその石を摘まみ上げた。


 「これが………『エノクのたからもの』……」


 微かに凸凹はあるものの、滑らかな表面。それは、エノクが大事に大事に磨き、肌身離さず身に着けていた証だろう。


 「多分……蒼玉石(サファイア)……なんじゃないかな。宝石の価値はぼくにもわかんないけど」

 「金目のモンなの?」

 返された石を大事そうに布でくるんで懐にしまうステファーノを覗きこみ、キッチェはなんとも俗物的なことを問う。

 「それなりの細工をすれば……ですね。きちんと磨いたらおそらく(スター)が出るでしょう。星蒼玉石(スターサファイア)なら、ただの蒼玉石の倍以上の値が付きますよ」

 興味津々と言ったその様子に苦笑しつつ答えたステファーノは、不意に表情を引き締める。


 「でも、この石の価値はそんなものでは測れません。エノクからルルナスに贈られた、友情の証。いわば、エノクの形見のようなもの。ルルナスにとっては、喉から手が出るほどに渇望するものでしょう」

 ぎゅっと石を納めた懐を握り込んで。

 「……この石があれば、魔王を誘き出すことも……いえ、あわよくば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だとは思いませんか?」

 「っ!!」

 「アン……タ…!!」

 その言葉に息を飲むナルファとは裏腹に、キッチェはさっと青ざめた。


「やっぱり……その石を使ってソータたちにルルナスを……あのかたを討伐させるつもりなの!それは越権だわ!傍観者!」

 「ちょっ……キッチェ?どうしたの、いきなり?」

 突然激昂したキッチェに驚いて宥めようとするナルファの手を振り払い、キッチェは叫ぶ。

 「知恵を貸すのは良いわ。黒髪のあんちゃんからコンラートを引っぺがす方法を一緒に考えるのも、「ほんとうのおはなし」をともに探索するのも、まだ許容できる。でも……これは駄目よ!ステファーノ!()()()()切り札を探し勇者たちに与えることは、勇者陣営への過剰な肩入れとなる!()()()()()()()()よ!!」


 ぐ、とキッチェは左の拳を握り込んだ。

 「キッチェ!?」

 「……その石を、渡してちょうだい。ステファーノ!」

 驚くナルファを無視し、キッチェは固い声でステファーノに迫る。

 「……渡したら―――どうするんですか?」

 「決まってるでしょ!………その石を砕く。あのかたには申し訳ないけど、仕方ないわ。お願いよ、ステファーノ。……あたしに、()()()()()()()()()()()()()()()!」


 静かなステファーノの問いかけに、キッチェは悲愴な目で言い放った。

 きぃぃぃぃぃ……ん…、と微かな唸りがして、その拳に青い光が宿っていく。


 「……()()()()……そうだったんですね、キッチェさん……」

 ため息をつき、ステファーノは今にも張り裂けそうに気を張るキッチェに一歩近づいた。


 「来ないで!気付いてたなら判るでしょう!?あたしが()()()()()()()()()()か!!早く石を渡して!!お願いだから!!」

 「……石は、渡せません。キッチェさん」

 「ステファーノ!!」

 「………でも……」

 悲鳴のような声を上げるキッチェの青く光る拳に、そっとステファーノは手を伸ばす。


 「傍観者としての権限を逸脱する気も、ありません。この石はソータくんたちには渡しません。だから……もう二度と、()()()()()()()()()()()()()んですよ」

 「………え………」

 穏やかな言葉とともに、宥めるように左拳を包まれて、キッチェはぽかんと―――いっそ、あどけないとすら言える表情で目を瞠った。


 「言ったでしょう?ぼくは、()()()()()()、と。この石を、戦局を動かす切り札にはしません。ぼくは―――賭けてみたいだけなんです。エナさんが見た、ルルナスの幻に。あなたたちが知る、控えめで穏やかな……優しいルルナスに」

 「……それ……じゃあ……」

 「………ええ。ぼくは傍観者としてのお役目を全うします。あなたに、もう二度とあんなことはさせません。……いいですね?」


 キッチェは、ただステファーノの顔をじっと見つめた。

 その手に宿った光がふっと消える。

 と、同時にその身体は骨が抜けたようにくたくたとその場に頽れた。


 「キッチェ!?」

 慌ててその小さな体を掬い上げたナルファの手の中で、キッチェは言葉もなくただはらはらと涙を流す。

 「…………いったい……何が、どうなってるの……?」

 すべてわかったような二人のやり取りに、取り残されたナルファはただ戸惑うしかなくて。


 泣き続ける霧の精霊を抱いたまま、白の世界樹は説明を求めて傍観者を見つめるしかなかったのだった。






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