呪いの発動
「え……?わ、判るって……チュチュ、だって、チュレインさんと話なんてろくに……」
「むー、もう忘れたですかー?エナー!」
慌てる依那に、チュチュは唇を尖らせる。
「エナが、アルタの力を貸してくれたですよー?星天弓で、チュレインとチュチュを繋いでくれたですー!」
「あ!!あ……あのとき、の……?」
言われて、やっと依那は思い至る。
触れ合うこともできずお互いを思って苦しむ二人に、何もできないのかと悔しさに唇を噛んだあのとき。
アルタ自身が急かすようにして星天弓を具現化させた。
「あれは、どっちかっていうとヴェリシアの意志だったかもしれないですー。でも、おかげでチュチュはチュレインと心を通わせることができたのですー。想いも記憶も、全部繋がって……共有できたですよー……」
そう言って、チュチュは大事そうに胸のあたりを押さえる。
「……チュレインは逝ってしまいましたがー……そのこころの、大事な部分はチュチュのここに在る、のです。もう、二度と絶対に、離れ離れにはならないのですー……」
「……チュチュ……」
その淋しそうな、それでいて満ち足りたような微笑みに、つんと鼻の奥が痛くなって目が熱くなる。でも、一生懸命目を見開いて、依那は泣くのを堪えた。
「……そうそう、黒の呪いの話だったですねー」
そんな依那の変顔(?)に笑いながら、チュチュは話を切り替える。
「黒の呪いの発動は、カナンの王家が絶えたからですー。もともと、そういう呪いだったのですから―」
「絶えた!?」
その言葉に、思わず涙も忘れて依那は立ち上がっていた。
「絶え…た……って……そんな!!じゃあ、シャノワは!?ロザリンドさんは!?」
「ロザリンド……ああ、あの魔人にされた子だね?彼女は王位を継げないんじゃないかな?カナン王の血を引くとはいえ、王位継承権は認められてないだろうし」
「あの子なら、数には入ってないですよー。一度人ではなくなった以上、王位を継ぐ資格はなくなりますしー……それに、カナン王も彼女が王位継承争いに巻き込まれることを良しとしてなかったみたいです―」
口を挟むナルファに頷いて。
「それから……カナンのお姫様、ですがー……」
少しだけ言い淀み……それでもチュチュは続けた。
「残念ですがー……あの子は亡くなったそうですー。魔王から黒髪王子の身体を取り戻すため、公爵を王にするために、世界樹の剣で自ら命を絶ったと」
「みず……から……?」
「エナ!?」
ふらり、と依那はよろめいた。
さあっと血が下がり、視界がぶれるのが判る。
―――自ら……命を絶った……?自殺した……ってこと?だれが?シャノワ……が?
「エナ!この馬鹿もの!ちゃんと息をせんか!」
「とにかく、座って!気をしっかり持って!」
「えな!おみず!!」
今にも倒れそうな依那を、ワリスが、ナルファが慌てて座らせ、それまで大人しく話を聞いていたラピアが世界樹の露のグラスを差し出す。
震えてそのグラスを受け取ることすら覚束ない依那が、それでもナルファに支えられて水を飲もうとするのを確認し、ステファーノはチュチュに向き直った。
「では……シャノワさんは自害されたということですか?でも何故!!公爵とは、ナイアスのことでしょう!?なんでシャノワさんがナイアスのためなんかに命を棄てなければならないんですか!!ナイアスを王にすることと、オルグ殿下の解放と、何の関係があるんですか!!」
彼にしては珍しく、語気荒く詰め寄るようなステファーノにチュチュはびくりと肩を震わせた。
「え…えっと……なんか、魔王とそういう約定を結んでたらしいですー!公爵がカナンの王様になったら、黒髪王子の身体を返す、ってー。だから、カナンのお姫様は自害したですー。カナンのお姫様が生きていては、公爵が王位を継げないから」
「魔王と!?」
「なんと!!世界を裏切ったというのか!!」
「そんなの……!!」
ぎょっとする青と赤の世界樹を遮るように、依那は涙ながらに叫んだ。
「そんなの、最初の予定通り、シャノワと結婚すれば王様になれたんじゃない!!結婚して、王様になったらすぐに離婚でもなんでもすればよかったじゃない!!なんでシャノワが死ななきゃいけなかったのよ!!」
「カナンのお妃さまが、エリザベート?って人を排斥しようとしたから、ですー」
困ったように眉を下げ、チュチュはチュレインから受け継いだ記憶を少しずつ説明する。
「カナンのお妃さまは、公爵とお姫様が結婚したらエリザベートを遠くへ追いやろうとしてましたー。だから公爵はお姫様と結婚できなかったのですー。それで、お姫様が自害するよう仕向けたみたいなのですー。お姫様が死んで、公爵が王璽とやらを手に入れて王になれば、黒髪王子を返してやる……って……」
「そん…な……」
顔を覆い、依那はがくりと膝を付いた。
魔王に奪われた、オルグ。彼を取り戻すことは不可能に近いだろう。
現に自分たちが世界樹や霧の精霊の知識を集めても、確実な方法は見つからなかった。
だけど……だからといって、そんな……!!
「……それなのに……あの娘がそこまでしたというのに……それが叶わなかったというのか!公爵は王璽を手に入れられなかったのか!?」
シャノワとも少なからず面識のあるワリスが、怒りを目に拳を握り締める。
「……王璽を得て王になれるのは、王家の血を引く者だけなのですー……」
「!?そんな…でもナイアスは……」
低く告げたチュチュに眉を顰たステファーノは、次の瞬間ひゅっと音を立てて息を飲んだ。
「………そう……か…………そういう、ことか……!!」
「ステファーノ?」
「傍観者!!?」
青褪め、どさりと椅子に腰を下ろすステファーノに、皆の視線が集中する。
だが、ステファーノはそれにも気付かぬようにしばし頭を抱え、深く息をついた。
「………そういう……こと、………だったのか……」
「ス…ステファーノ?どういう…ことだい?なにが、そういうこと、なの?」
顔を覆って泣きじゃくる依那と、目を伏せるチュチュ、椅子の背に深く凭れて天を仰ぐステファーノを見比べ、ナルファはおろおろと声を上げる。
「ステファーノ!!」
「……ナイアスが、王弟エイダスの子ではなかった……ということですよ」
「え!?」
疲れたような声でそう言ったステファーノに、依那までが弾かれたように泣き濡れた顔を上げた。
「成婚当初、エリザベートは夫であるエイダスと、その結婚を後押しした宰相ダイムラー公……当時のメギド公爵に共有されている、という噂がありました……。おそらく、それが真実だったのでしょう。ダイムラー公は数か月後に病死しましたが……何らかの方法で、エリザベートの胎内に胤を遺した……ナイアスは、エイダスではなく、ダイムラー公の胤だった、ということです。そして、そのことを誰も―――ナイアスですら、知らなかった。だから、ナイアスは……魔王との約定に従い、シャノワさんとゼラール王を弑し、王璽を手に入れることでカナン王になろうとした。それが……魔王の罠だと気づきもせずに……」
「………あ……」
「なん……と…いう……」
張り巡らされた用意周到な罠に、思わず世界樹たちは言葉を失った。
真実を知らず、自分を王族だと、国王の甥だと信じていたナイアス。
そんな彼は、罠に気付くこともなく安易な方法に飛びついてしまったのだ。それだけが、エリザベートを失うことなく、確実に王になる方法だと信じて。
「で……でも!それじゃあ……魔王は……コンラートは知ってたっていうのかい!?当の本人も、国王も知らなかった秘密を!?」
「……知っていた……いや、教えられた、のでしょうね。ただひとり、それを知り得た人物から」
ため息をつき、ステファーノは傍らに置かれた水のグラスを飲み干した。
「夢幻城には、ダイムラー公の時代から公爵家に仕える、ウルリーケという侍女がいます。マーマンの血を引き、強大な魔力を持ち、ダイムラー公に忠実だった彼女ならその真実を知り得た。いや、ダイムラー公が死んだ後もエリザベートに子を産ませる方法を、彼に伝授したのも彼女かもしれません。公が死んだ時期とナイアスの誕生に乖離があったからこそ、ナイアスはエイダス王子の子だと、誰もが信じたわけですから……」
「……魔王は言ってましたー。なんて面白い見世物だろう、って。公爵が王になるには、シャノワ姫が唯一の方法だったのに、公爵は王璽に固執するあまり、自分でそれを台無しにしてしまった、ってー……そんなこととは知らない公爵は、王璽を受け取って王を殺し、黒の呪いを発動させてしまったですー」
「……そん……な……そんなの……って………それじゃあ……それじゃあ、シャノワ……は………」
シーツを掴み、依那は泣き崩れる。
そんな彼女にかける言葉を見つけることもできず。
ナルファとワリスはただ依那の肩を擦るしかなかった。




