黒の呪い 5
誤字修正しました(2024/03/02)
「……わた…しが………王家の…血筋では…………ない……だと……?」
堅牢な王城が崩れる音が響く中、蒼白になり、ナイアスは震えながらコンラートを見やった。
「……うそ……だ……嘘を言うな!魔王!私は王族だ!王弟エイダスとエリザベートの息子だ!!その私が王家の血を引いていないなどと……戯言を言うな!!」
「簡単なことだよ。公爵。……きみは、エイダスの胤ではない。それだけのことじゃないか」
にっこりと微笑んで、歌うようにコンラートは囁く。あたかも、小さな子供に言い聞かせるように。
「エイダス王子にも言われたんだろう?お前など、息子ではない、って。それなのに、これっぽっちも疑わなかったのかい?」
「あれは……あんなのは、ただの口論だ!!憎まれ口にすぎない!だいいち、私が父の子ではないというなら、わたしの父は誰だというのだ!!あのエイダスが、エリザベートに近付く男を見逃したとでもいうのか!!」
「ナイアス、ナイアース……忘れたのかい?エリザベートには、もうひとり、夫がいただろう?ほら、エイダスと彼女を共有していた、先々代のメギド公爵……ダイムラー公が、さ」
足許を流れる粘液をものともせずナイアスに近付いたコンラートは、長い黒髪を揺らして呆然と目を見開く彼の顔を覗きこんだ。
「エリザベートに執着していた彼はね。呪いをかけたのさ。忠実な侍女の助けを借りてね。エリザベートが自分を忘れないように。永遠に自分の存在を刻み込むために。彼女の最初に産む子供が、自分の胤であるよう、彼女の体に呪いをかけた。おかげで彼女の身体は二度と子供を望めなくなったけれど……その呪いによって、きみが―――ダイムラーとエリザベートの息子である、きみが生まれた。もっとも、当のエリザベートはそんな彼のことなんか、完全になかったことにしちゃってるみたいだけど」
酷い話だよねえ、と笑いながら、コンラートはくるりと身を翻し、反対側からナイアスを覗きこんだ。
「………エイダスはさぁ。そんな呪いのことなんか知らなかっただろうけど……やっぱり何となく、予感めいたものを感じてたんじゃないかなぁ。だから、まだ物心がつく前のきみに、極秘裏に王家の痣の刺青を施した。幼いきみが、自分には王家の痣がない、だなんて無邪気に暴露する前に。それが証拠に、きみ、痣を隠せないんじゃないかい?薄くすることはできても、シャノワ姫みたいに、消し去ることはできない。………違うかい?」
「……痣……を……」
無意識に、ナイアスは左の脇腹を―――王家の痣が浮かぶ場所を握り締めた。
その衣服の下、少し腰に近い位置の肌には、くっきりと痣が浮かび上がっている。
確かにナイアスはその痣を見えなくすることができなかった。だが、それはナイアスが色濃く王家の血を引いているから、のはずだ。そのはず、なのだ。
「エイダス王子は、きみの出自を疑いながらも、それを口には出来なかった。それを口にすれば―――それは、最愛の奥方であるエリザベートの不義を告発することに繋がるからね。だから……余計に彼は聖女を欲した。エリザベートの身体を治し、もう一度……今度こそ、確実に自分の子供を産んでもらうために」
「……うそ……だ……嘘だ!!」
振り切るようにそう叫び、ナイアスはコンラートの胸倉を掴み上げた。
「嘘だ!それが本当なら……何故貴様は約定を結んだ!!私が王家の血筋ではないというのなら………カナンの王になれぬというのなら、約定自体が成り立たぬではないか!!」
「………おれは…嘘は言っていないよ。公爵」
慌てるそぶりもなく、穏やかにコンラートは微笑んだ。
「おれが提示した条件はただひとつ。『きみがカナン最後の王となること』だ。それが成就さえしたら、おれはきみの望み通り赤毛のぼうやを手に入れ、この黒髪のぼうやを開放するつもりだったよ?魔王は約定に関しては嘘をつかないからね。…………だけど……」
くすり、と金と青の瞳が嗤いを浮かべる。
「きみは、自分でそれを台無しにしてしまった。王璽に固執するあまり、きみを王にする唯一の手段を―――シャノワ姫を死なせてしまった。馬鹿だよねえ。王妃様はなにもエリザベートを殺そうとまではしていなかった。たとえ一時的に修道院に閉じ込められたとしても、王位を継ぎ、シャノワ姫を始末したあとで改めて彼女を迎えに行けばよかったのに」
「そん………な………」
「………ねえ、公爵?おれがいつ、約定を違えた?おれは、嘘を言ったかい……?」
にい、と唇を歪め、コンラートはナイアスの目を覗きこむ。
「なにも、嘘は言ってないよねえ?きみが、勝手に、勘違いしただけ……だよねえ?」
「……う………うわああああああ!!!」
底知れぬ金の深淵に覗きこまれ、ナイアスはコンラートを突き飛ばした。よろよろと後退り、階に足を取られ倒れ込む。
「……っ……黒……の………」
仰向けに倒れたナイアスの目が、真っ二つの王座の傍に佇み、こちらを見下ろす黒の王―――黒の世界樹の姿を捕らえる。
「……わた………私……は……私は……王弟……エイダスの…息子……私こそが……カナンの…王……に………」
〈 ………そなたには、無理だ 〉
温度のない瞳でナイアスを見下ろし、黒の世界樹はその懇願を斬って捨てた。
〈 資格も、資質もない。………さらばだ。愚かで強欲なカナンの民よ。………滅びるがいい 〉
その瞬間。
遠く離れた霧の森で、声も立てず緑の巻き毛の少女が倒れた。
白の塔に護られた蟲の王国で、青い巨木に抱かれたエルフの王宮で、緑の樹々に囲まれた赤の広場で、3柱の世界樹たちが声を失い、空を見上げた。
「…………チュ……チュ…?」
震える声でナルファが呟き。
「………そんな………そん……な……」
ワリスががくりと膝を折り。
「…………………っ」
拳を握り締めたジョルムが目を閉じる。
―――同時に。
黒の王のその言葉を待っていたかのように、王都そのものの大地が抜けた。
黒い粘液が、玉座と成り果てても黒の世界樹が抑えていた怨念が、間欠泉のように噴き出し、崩壊する建物を、奈落へと落ちていく人々を飲み込んでいく。
「!!!!」
いかに強固な王城と言え、建つべき大地がなければ存在のしようがない。
ぽっかりと足許に口を開いた地獄へと続く縦穴に悲鳴を上げるナイアスを尻目に、コンラートの愉し気な笑い声が響き渡る。
「素晴らしい!!太古の怨念がこれほどのものだとは、ね。想像以上だよ、黒の世界樹……いや、黒の王と呼ぶべきかな」
中空に浮いたまま、コンラートは何故か残った玉座の階の上に端然と佇む黒の王と、階にしがみつくようにして難を逃れたナイアスを眺める。
「……ありがとう。黒の王。きみは、素晴らしい仕事をしてくれた。伐られてもなお、3000年もの間、巨人族の恨みと絶望を少しも損なうことなく抑え込んでくれた。おかげで……ごらん。溢れ出した怨念は、カナン王都に留まらず、この醜い世界を喰らい尽くすだろう」
「………世界を……」
ナイアスは震えながら顔を上げ、あたりを見回した。
見渡す限り、周りには何もない。
重厚な王城も、見慣れた城下町も、尾根を切り開いた街道も、教会も、広場も、王都そのものが消失し、そのすべてを飲み込んだ真っ黒な暗黒だけがナイアスが座り込んだ階―――その、一段下に広がっている。
「……ひ………ひいいいいいい!!!」
それが、ナイアスの耐えうる限界だった。
引きつったような悲鳴を上げ、ナイアスの身体はふっと掻き消えた。
「………おやおや……。公爵は逃げちゃったみたいだねえ」
やれやれ、と言わんばかりに肩を竦め、コンラートは顔を上げる。
王都の……いや、王都があった場所の外れでは、地表に湧き出した粘液が木々や草を溶かしながら王都の周りに点在数る小さな村を飲み込もうと蠢いていた。
「……まあ、所詮はお坊ちゃま、だ。あんなものかもねえ。赤毛のぼうややあの勇者のぼうやがもう少し骨があればいいけれど……」
ため息交じりに呟いて、コンラートは黒の王に向き直り、優雅に一礼した。
「……では、おれもお暇するとしようか。黒の王よ。きみを伐採し、貶めたカナンが崩壊する様を心行くまで愉しむといい。…………じゃあね」
そう言い置いて、魔王もその姿を消す。
〈 ………………… 〉
じっとその姿を見送り―――黒の王は、残った玉座から黒の呪いがじわじわとその範囲を広げていくのを見つめた。
〈 …………カナンの崩壊………か…… 〉
感情の見えぬその声だけが、音も、命も失ったカナン王都に響いて………消えた……。




