黒の呪い 3
「公爵、きみの悪い癖だよ?それは。カナンの姫君のときといい、きみは秘密主義が過ぎるきらいがあるね」
彼が小さく首をかしげると、さらりと長い黒髪が揺れる。
背の高い、その細身の体を包むのは仕立ての良い黒の騎士服と黒いブーツ。腰には見事なつくりの剣を佩き、胸元では不釣り合いなほどに質素なペンダントが薄青い光を放っている。
「……オル……グ……どの……?」
一瞬、不思議そうに目を瞠り―――次の瞬間、ゼラールは絶望とともに思い出した。今の彼が誰なのか、を。
「……口出しは無用だ」
「まあ、そう言わないで。せっかく約定を結んだ仲じゃないか」
不機嫌そうなナイアスをものともせず、魔王はにこやかに笑いながらこちらへ歩いてくる。
「約…定……だと?」
「そうだよ。まあ……一種の賭けみたいなものかな?公爵がカナンの王となった暁には、彼の願いをひとつだけ叶えてあげる、って」
愕然と呟く呟くゼラールにもにっこりと微笑みかけ、魔王は僅かに青を遺す金の瞳でちらりとナイアスを見た。
「言葉の足りない公爵を代弁するとね。きみの奥方は、触れてはいならない夢幻城の秘密に触れてしまったのさ。夢幻城の地下にある、黒の礼拝堂で行われていることを、エリザベートの『おひめさまの秘密』を知ってしまった。あの場所で、レヒトの悲劇を引き起こしたあの馬鹿が召喚されたことも、エリザベートが呪いの儀式を行って今誰を呪っているのかも……ね。それを止めようとして、彼女は逆上したエリザベートの手にかかったんだよ」
「な…なんだと!?」
恐怖も忘れ、ゼラールは弾かれたように身を起こした。
「召…喚……?召喚だと?で……では……あの悪魔を呼び出したのは……他国召喚を行っていたのは……」
「そう、きみの甥っ子だ。その前は、きみの弟も……かな。それ以前も直系以外のカナンの王族や公爵家の人間は、多かれ少なかれ他国召喚に関わって来たんだよ。闇に紛れ、こっそりと……表には知られないように、直系王族には内緒にして各国に根を張りながら……ね」
「……なん……と………いう………エイダス……!!おまえという奴は……」
がらがらと音を立てて、ゼラールの中のたいせつな弟との思い出が、親愛が崩れていく。
よろよろと玉座に倒れ込み、頭を抱えるゼラールを冷たく見下ろし、魔王はさらに残酷な事実を突き付けた。
「それだけじゃないよ。エリザベートはあそこで邪魔者を呪い殺そうとしてきた。きみの大事だった舞姫や、エンデの王妃をね。もっとも、実際はきみの弟とおれが手を下したんだけど。ともかく、彼女たちが死んだことで妙な自信を付けたあのおひめさまは、今度は聖女を呪い殺そうとした。そしてそれが上手くいかないとみるや、きみの奥方に協力させようとした。……それが、奥方の死の原因。あの城の秘密だ」
「……あ……ああ………」
呻き、髪を掻き毟るゼラールを見て、魔王は恍惚とした笑みを浮かべる。
その嘆きこそが、自分にとっての喜悦であるかのように。
「それから…もうひとつ。きみの娘―――カナンの姫とは思えぬほどに善良なあの姫君は、世界樹の剣で見事に自らの命を絶った。公爵を王とするため……というより、この身体を救うため……かな。なにしろ、公爵との約定には、黒髪のぼうやの開放も含まれているんだから」
「なに!?」
予想もしなかった話に、思わずゼラールはナイアスと魔王を見比べた。
「な……何故……そなたはエンデミオンの王子たちを疎んじていたはずではないか!それなのに……何故そんな…オルグ殿を助けるような真似を……」
「……シャノワのためですよ。伯父上」
頭を軽く振り、ナイアスは気を取り直したように口を開いた。
「私とて鬼ではない。ただ殺すだけではあまりに不憫でしょう?ですから……価値をつけてやったのですよ。あの子の命に。あの子が納得して命を捧げるような、あの子が望む代償を、ね……」
「よくも……ぬけぬけと……」
取り澄ましたようなナイアスを睨み、ゼラールは玉座のひじ掛けを握り締めた。
ナイアスは……この卑怯者は、シャノワの想いを利用したのだ。
オルグを救うため魔王の前にすら身を投げ出した、シャノワの一途な恋心に付け込んで、その命を棄てさせた。自分の望みを叶えるため、たった一人の従兄妹を死に追いやったのだ。
「……ああ……そんなに力を込めては、また傷口が開きますぞ?伯父上。どう足掻こうと、あなたは私に王位を譲るしかないのです。……さあ。おとなしく、王璽をお授けください。私とて、無駄に伯父上の苦痛を長引かせたくはないのです」
「黙れ!!この痴れ者が!!」
怒りに震え、ゼラールは叫んだ。
腹を押さえた指の間から、再び血が流れ落ちるが、もはや痛みも感じない。
「誰が………誰が、貴様のような裏切り者に王位を渡すものか!!実の母と通じ、無力な姫を殺し、己の欲のために魔王に与した愚か者め!!殺すならば殺すがいい!!だが、私を亡き者にしたところで、貴様が貴族議会で認められるなどあり得ぬぞ!この、カナンの面汚しが!!」
「……やれやれ……そうまでおっしゃるのなら、しかたありませんな」
真っ青な顔で、それでも射殺しそうな目でナイアスを見据えるゼラールに、ナイアスは芝居がかった仕草で肩を竦めた。それから大きくため息をつき、そのゆるく流れる髪のひと房を弄びながら―――おもむろに口を開く。
「………………ロザリンド・ハルヴァール」
「!?」
はっと息を飲むゼラールに、ナイアスは妖艶に微笑んだ。
「王璽のありかは、彼女に訊くとしましょう。王璽が王の間のどこかに隠されていることは判っているのです。伯父上亡きあと、彼女ならば王璽を呼び出すことができるでしょう。なにしろ、下賤な踊り子の娘とはいえ、彼女はただ一人の直系なのですから」
「………やめろ……」
「伯父上の落とし胤であるロザリンドと甥である私が婚姻を結び、カナンの王位を継ぐ―――それならば、小うるさい貴族議会も文句のつけようがないでしょう。あの無粋な騎士団長との婚姻など、破棄させれば良い。なに、断るようならあの男を殺せばいいだけのこと。王位継承という大義の前では、たかが騎士ひとり死んだところで、何の問題もない。いや、いっそのこと、ロザリンドが逆らわぬよう、精神を壊してしまう方がいいかもしれませんな」
「止めろ!!ロザリンドは関係ない!あの娘は王位継承権も持たぬ他国民だぞ!それを……」
「それでも、カナン王家の直系ではありませんか」
氷のような声で、虫けらを見るような目で、ナイアスは激昂する伯父の言葉を斬って捨てた。
「伯父上が素直に王璽を渡さぬ以上、ロザリンドを王妃に据えるしかないのです。……それとも……観念して王璽をお渡しくださいますか?」
「………くっ……」
ゼラールの脳裏に、在りし日の―――裾を翻し、鮮やかに舞うシャノワの姿が甦る。
目を輝かせ、頬を紅潮させてそれを見つめる、若き日のシンシア。
おずおずと―――震えながら、『私が……お判りになりますか?』と訊ねた、初対面のロザリンド。
『今度は、わたくしたちがロザリンドを護り抜かなくては』そう言って、自分の手を握ったシンシアの微笑み。
『あの子をお願い』―――遺品の中の、シャノワの願い………。
「………………わかった……」
血が滲むほどに拳を握り締め、膝を屈する以外、ゼラールに何ができただろう………。
勝ち誇ったように唇を歪めるナイアスに背を向け、ゼラールは玉座に向き直った。
「・・ ・・・ ・・・・・・・・……」
王にだけ口伝される呪文を唱え、玉座の背もたれの上、王冠を示すカナンの紋章に触れる。と、軽やかな鈴の音とともにカナンの紋章とその両脇の竜の彫刻が割れ、小さな小匣が姿を現した。
「おお……それが………」
「…………王璽である」
その匣を押し戴き、ゼラールは興奮に頬を染める甥を振り返った。
「…………約束せよ。ナイアス。カナンの良き王になると。ロザリンドには手を出さぬと」
「もちろんです、伯父上」
階のすぐ下まで進み出て、ナイアスは恭しく膝を付いた。
「誓います。あの娘にはいっさいの手出しをいたしません。カナン王室とは無関係の者として、すべての繋がりを断ちましょう」
「……うむ……」
重々しく頷き、ゼラールはナイアスに王璽を下賜するため、階を一歩一歩降りた。
無言のまま面白そうにその様子を見守る魔王に、ちらりと一瞥をくれる。
魔王は、約定に関しては嘘をつかぬと聞く。
オルグレイの開放がナイアスとの約定に含まれるのなら、きっとその約束は果たされるだろう。
そうすれば、きっとあの聡明な王子と、神を宿した勇敢なその従兄弟―――そしてあの勇者と聖女が、ナイアスの野望を挫いてくれる。この憎むべき男に、制裁を加えてくれる。
……願わくば、この記憶がオルグ殿に継承されればなお良いのだが……すべてを他国に託すなど、王のすることではないが……な……
自嘲に唇を歪めつつ、ゼラールは苦しい息を整え、言った。
「ナイアス・メギド・ル・カナン。カナン王ゼラールの名において、そなたに王位を継承する。カナンのため、民のため、その身を尽くすことをここに誓い、その証として、王璽を受けるが良い」
「………謹んで拝命いたします」
頭を垂れ、厳かに応えたナイアスに、小匣を手渡した、瞬間。
ずしゅっと濡れた重い音とともに、ナイアスの剣がゼラールの胸を貫いた。
「…………!!」
「……感謝しますよ、伯父上。これで私が次の王だ」
声も立てられず崩れ落ちた伯父の身体から剣を抜き、ナイアスは倒れ込むその身体を蹴り倒す。
床に転がる前にすでに息絶えたその身体を見下ろし、ナイアスはこみ上げる嗤いを抑えようともせず哄笑を上げた。
「やった!!とうとう、手に入れたぞ!!王璽だ!!これで私はカナン王となる!!ああ、エリザベート!!君の望みを叶えてあげられる!!!」
狂ったように笑うその姿を眺め、魔王―――コンラートがやれやれ、と言わんばかりに首を振ったとき。
〈 …………王璽を持つ者よ 〉
魔王と、王を弑した者と。
二人しかいないはずのその空間に、凛とした声が響いた。




