王妃の戦い
静かな室内に、ミュリエル夫人のすすり泣きだけが響く。
主人の死の真相を知って嘆き悲しむ老侍女を痛まし気に見つめ、ひとつ頭を振って気持ちを切り替えると、アルは真剣な顔でステファーノに向き直った。
「………で。あの女はまだその儀式とやらを続けていると思うか?」
「……いいえ。それはないでしょうね……」
ため息をつき、ステファーノはソファに座り直す。
「シンシア様が最期にどこまでエリザベートの儀式に打撃を与えたかは定かではありません。でも、ぼくはかなりの損害を与えたのではないかと思っています。……少なくとも、シャノワ殿の―――呪具は、破壊したと」
ちらり、と慟哭するミュリエル夫人を見て。
「……その左手に、骨の欠片のようなものを握り締めていたとのことですから……」
そっと抑えた声でステファーノは言った。
それは、ことを隠蔽しようと奔走したウルリーケが見落とした、小さな証拠のひとつだった。
賊に侵入された形跡と乱闘やシンシアが殺されたとされる場所の捏造、正門前の従者の始末―――それらの偽装工作やエリザベートの狂乱に忙殺され、シンシアの亡骸については滅多刺しにされた胸の傷を修復する時間しか取れず、細かいことは部下に任せてしまった。
そのせいで……見逃したのだ。
シンシアが、死んでも離すものかと握り締めた、シャノワの遺骨の一部を。
「……それに、ナイアスが夢幻城につきっきりなことも。彼も馬鹿じゃない。夢幻城襲撃がお粗末な筋書きだということは判っているはずです。本来なら王城でそれなりの地固めをするべきなのも。その彼がエリザベートの傍を離れないということは―――それだけ、彼女の状態が悪い、ということでしょう」
「……あのこも、怪我した…ですかー?」
「いや………どちらかといえば精神的なものでしょう。なにしろ、大事なおひめさま同士で、協力してくれると思い込んでいたシンシア様にお気に入りの呪具を破壊されたうえ、手にかけることになったのですから。もとより異常をきたした精神には、大打撃だったはずです。それに……その身も無傷というわけにはいかなかったようですよ」
不審そうなチュチュに、ステファーノは緩く首を振った。
「ナイアスは、エリザベートの錯乱を理由に夢幻城への立ち入り調査を拒んだそうですが……一国の王妃が殺されたのです。はいそうですか、と納得できるわけがない。侍医を代表してベクスウェル伯がエリザベートを診察し、まともに聞き取りができる状態ではないことを確認したそうです。そのときに、顔が、顔が、と叫んでいたそうですよ。傷ひとつない頬を狂ったように擦り、ここに傷がある、あの魔女の剣に傷つけられた、醜い傷が……と」
「魔女の剣……?」
「おそらくは、シンシア様が多少なりと傷を負わせたのでしょう。傷自体はすぐに治療したのでしょうが、彼女の狂った心には、深手が残った―――ミュリエル夫人、シンシア様は、ただ殺されたのではありませんよ。あのかたはたったひとりで勇敢に立ち向かい、シャノワ殿の尊厳を取り戻し、敵に傷を負わせたのです。ご立派な最期でした」
「……アズ……ウェ…ル…卿……」
まだしゃくりあげながら、ミュリエル夫人は顔を上げる。
「そう……そうでございますね……おひいさまは……妃殿下は、ご立派に王妃として戦って……亡くなられたのですね……」
震える声で、それでも微笑もうとする夫人を見て、ナルファもほっと安堵の息をついた。
「……でも、今の状態がいつまで続くかは謎なのですー。このまま脳みそボーン!ってなってくれれば楽ですがー、あのこが水底のおんなのこなら、そう簡単にはくたばらないと思うですー」
「そ……そうだね。実際の効果はないとしても、またその嘘つきの魔女とやらを呪われても……ねえ…」
見も蓋もないチュチュの言葉に苦笑しつつ、ナルファは人の子の顔を見比べる。
「その、呪われている3人の見当はつかないのかい?」
「そうだな……あの女の呪い自体に効果はなくとも、奴の背後にはナイアスがついている……。シャノワ殿の暗殺といい、無害とは言い難い。……ステファーノ?」
ナルファに頷いて考えるように顎に手を当てたアルは、隣で難しい顔をするステファーノに気付き、彼の顔を覗きこんだ。
「……それについても……目星は着いているのです…が……ミュリエル夫人、あとふたつほど、質問に答えていただけますか?」
「は、はい!」
名指しされ、ミュリエル夫人は慌てて涙を拭くとしゃんと背筋を伸ばして座り直す。
「なんなりと、お聞きくださいまし!」
「では、遠慮なく。シンシア様に夢幻城への帰還を強要した時、エリザベートは、一緒にやっつけよう、と言ったのですね?『嘘つきの魔女』と、『みっともない取り換えっ子』と、『魔女のこども』を?」
「は……はい!確かにそのように!」
記憶を噛み締めるようにしながら、真剣な顔でミュリエル夫人は頷いた。
「間違いございません。それで妃殿下は、ご自分に誰を呪えというのかと動揺されたのですから」
「……判りました。では、最後にもうひとつ。……夫人は、夢幻城の絵画の間で星祭りのときの、アル殿下の絵をごらんになったのですよね?それは、写実絵でしたか?絵画でしたか?また、絵画の間のアル殿下やアルフォンゾ様の写実絵に、どなたかと一緒のものはありましたか?」
「え……」
意外な質問に、ミュリエル夫人は一瞬目を丸くし―――それから真剣に考えこむ。
部屋の壁一面に飾られた、絵、絵、絵………。
目が回りそうなくらい膨大な量のそれらは、圧倒されたシンシアが倒れるほどで……エリザベートの異様さを垣間見るようだった。
「そう……ですわね。まず、星祭りの絵は写実絵でございました。大きさは……そう、あの暖炉の上の絵を縦にして……もうすこし細長くしたくらい。白の正装に、赤のマントをつけておいででしたわ」
「すると……パレードの時の……か…」
「他の写実絵は……ゼメキス陛下やオルグ殿下、神官長様がご一緒のものは見た気がしますが……ほとんどは、アルフォンゾ前陛下、アル殿下お一人のものだったように思います」
「……形が、通常と違うようなものはありませんでしたか?たとえば……一般的な物より細長い、とか……?」
「まあ!」
窺うようなステファーノの言葉に、ミュリエル夫人ははっと息を飲んだ。
「た……確かに!ございました!星祭りの絵も少し細長いように思いましたが……もう一枚、星祭りの夜会と思しき絵があって……それが、不自然に細長くて……まるで……まるで……」
「……隣の誰かの部分を切り取ったようだった、……のでは?」
少し青ざめたミュリエル夫人が頷くのを確認して、ステファーノはどさりとソファの背凭れに沈み込む。
「お……おい?ステファーノ?」
「……これで……確証が持てました。そうでなければいいと、ずうっと願っていたんですが……」
深く息をついた彼は順に全員の顔を見回し、もう一度ため息をついた。
「……トートベリルの……あの緑の集団の聞き取り調査の中に、ちょっと気になる記述があったので、直接話を聞きに行ったんです……」
疲れたように目を閉じ、ステファーノは一見関係ないような話を始める。
「その人はわりと評判のいい写実絵師で……あるとき、ミームの使者と名乗る者が来て、妙な依頼をされたそうです。星祭りの時の、アル殿下がエナさんをエスコートした写実絵の、エナさんの部分をミームに差し替えろ、と」
「はあ!?」
「無理だろ?そんなこと!」
あり得ない依頼内容に、アルだけではなくナルファまでが呆れたような声を上げる。
当然だ。
写実絵とは、絵師が見たものをそのままキャンバスに焼き付ける……いわば、念写のようなもの。見てもいないものを焼き付けられるわけがないのだから。
「もちろん、彼は、たとえ大聖女さまの命令でも、そんなことは無理だと突っ撥ねたそうですが……彼は、絵を自分の画廊で売るだけではなく、ダーヴィン商会にも卸していたそうです。星祭りの時の絵もいくつか……夜会の絵も、パレードの絵も……」
「まさ……か……」
そのことの意味に思い至り、チュチュがゆっくりと息を飲む。
無邪気な黒の世界樹の顔色は、いまやさきほどのミュリエル夫人よりも悪かった。
「チュチュ!?どうした?」
「わからないですか!?赤毛王子!!」
ぎょっと腰を浮かすアルに、チュチュはステファーノに目を据えたまま叫んだ。
「ステファーノは……あのこに、エナの正体がバレたと言ってるですよー!!!」
その言葉に、室内はしんと静まり返った。




