魔女が渡した呪具
ステファーノの質問に、がたん!と音を立ててミュリエル夫人は立ち上がった。
「ア……アズウェル卿……?…そ……それは……どう…いう……」
「彼女のご遺体に……他の村人の亡骸と、違うところはありませんでしたか、と伺っているのですよ……。……なんでもいいんです。彼女だけが焼かれていたとか……あるいは……遺体の一部が欠けていたとか」
「!!」
静かなその声に、ミュリエル夫人は笛のような音を立てて息を飲んだ。
そのまま、どさりと倒れ込むようにソファに腰を下ろす。
「…………あった、んですね……?」
「………」
言葉にはならず、ミュリエル夫人は俯いたまま何度も頷いた。
ぽたり、と涙がその膝を濡らす。
「……おっしゃる…とおりですわ………シャノワ様には……あのかたのご遺体には……っ…」
「……首がなかった……のではないですか?」
「……そのとおりでございます……」
優しく励ますようなステファーノの口調に、ミュリエル夫人は涙ながらに続けた。
「あの方のご遺体だけは、首がありませんでした……。ですから、すぐに判ったのです。村を…ハルベル村を襲ったのが、ただの夜盗ではなかったのだと。暗殺者がとうとうあのかたを殺し、首級として首を持ち去ったのだと……」
「……そう………ですか………」
重い沈黙が部屋を満たす。
アルも、ナルファも―――いつものほほんとしたチュチュまでもが、険しい顔で何かを考えこんでいた。
そして―――深いため息とともに長い沈黙を破ったのは、ずっと目を閉じていたステファーノだった。
「…………それでは……ぼくの考えをお話しします。……ミュリエル夫人……エリザベートを知る……そして夢幻城を訪れたことのあるあなたの観点から、教えてください。これが真実である可能性があるか、否かを……」
長考の末口を開いたステファーノは、じっとミュリエル夫人を見つめる。緊張の面持ちで彼女が頷くのを確認し、ステファーノは小さく会釈をして話し出した。
「……では……推論を交え、起きたことを時系列にお話ししましょう。すべての始まりは、26年前。カナンでの祝勝会でエリザベートはアルフォンゾ様に出会い、恋に落ちた。しかし、エイダス王子の婚約者に内定していた彼女の行動は許されるものではなく、翌年、彼女が社交界デビューを迎えたその日にエイダス王子との結婚式が執り行われた。その後彼女は精神を病み、アルフォンゾ様を運命の王子だと思い込み、カナン王弟妃という立場にありながらアルフォンゾ様がいつか自分を迎えに来て結ばれると盲信するに至った……」
ソファに深く凭れ、目を閉じたままステファーノは言葉を綴る。
「その翌年、エリザベートはナイアスを産んだ。さらにその翌年、アルフォンゾ様はエミリア様と恋に落ち、マレーネ殿との婚約を解消の上、王位を捨てて出奔。この頃からエリザベートの精神はさらに崩壊し、エミリア様を恨むようになった。そして同じ年、シンシア様が親善大使としてカナンを訪れた―――ここまでは間違いないですね?」
ちらりとミュリエル夫人を見て、彼女が頷くのを確認し、ステファーノは再び目を閉じた。
「その年の冬……当時王太子だったゼラール王子は病に倒れ、シンシア様は初めてエリザベートと対面した。彼女はシャノワ殿とエミリア様を魔女だと言い放った。多分、この頃にはすでにエリザベートはエミリア様を『最悪の魔女』、シャノワ殿を『踊り子の魔女』と呼び、呪うようになっていたのでしょう」
「!!」
「ステファーノ!?それは…」
「……彼女は、王子様はおひめさまのものだと思い込んでいるのですよ?庶民でありながらその気高さと見事な舞いでゼラール王子の心を射止めたシャノワ殿を憎まない訳がない。アルフォンゾ様に全身全霊で愛されたエミリア様のことは、言うまでもありません。エリザベートはおふたりを呪い殺すつもりだった……だから、同じ「おひめさま」であるシンシア様に、始末をつけてあげる、と宣言したのです」
ぎょっと腰を浮かすアルに、ステファーノは淡々と告げる。
「それとも……呪いの儀式を実行するエリザベートが一番憎むであろう恋敵のエミリア様を呪わないとお思いですか?」
「…………いや……」
まじまじと友人の顔を見つめ―――それからアルはため息とともにソファに座り直した。
「……そう……だな。あの女が母上を呪わないはずがない……。ただ、母上は……母は、人に恨まれるような人柄ではなかったから……すまん、続けてくれ……」
疲れたように顔を覆うアルに頭を下げ、ステファーノは再び話し始めた。
「22年前の春。アルフォンゾ様はエミリア様を娶り、エンデミオン国王に即位。完全に常軌を逸したエリザベートが国宝〈時の泉〉を飲み、自らの時を止めたのもこの年です。同時にルルナスの森にある『時の泉』の底に美しい少女が現れ、ラピアちゃんの宝物だったエリシュカのヒルトを強奪……ただし、彼女がそれがアルタ・ワルトだと知っていたとは思えません。底意地の悪い彼女は、ただ単にレプトの姿をしていたラピアちゃんが美しいものを持っているのが許せなかっただけでしょう」
「……そして、『時の泉』が濁り始めたですー……あんなに美しい泉だったのに……見る影もなくなってしまったですー」
悔しそうにチュチュが口を挟む。
「また同じ年……ゼラール王子の病は快方へ向かいましたが……それが毒によるものだと判り、暗殺の疑いがシャノワ殿に向けられました。そして、刺客が彼女の命を狙い、舞踊団は壊滅。シャノワ殿はベイリス卿の尽力で難を逃れましたが―――十中八九、この刺客はエリザベート……もしくはエイダス王子の手の者でしょう」
「エイダス殿が!?」
「エイダス王子というかたは、ナイアス同様に彼女の望みはなんでも叶えようとしたそうですね。ならば、エリザベートの呪いを成就させるため、彼女の言う『踊り子の魔女』を始末させることは十分考えられます。……ともかく、シャノワ殿が死んだと思われたことで、エリザベートは少しは満足したことでしょう。だが、エミリア様への呪いはずっと続いていた。同年、シンシア様はゼラール王子と婚約。カナンとジヴァールの戦争は回避された。逃げ延びたシャノワ殿がロザリンドさんを産んだのも、この冬のことでしょう」
ミュリエル夫人の驚きの声にも動じることなくステファーノは言葉を綴る。
「2年後、20年前にシンシア様はゼラール王子とご結婚し、カナン王妃となられた。そして17年前……シャノワ殿の生存がエリザベートに知られた。『踊り子の魔女』をやっつけたと思っていた彼女は怒り狂ったでしょう。……だから、今度はエイダス王子も確実にシャノワ殿を殺すことを命じ、その証拠としてシャノワ殿の首を持ち帰らせた……」
「そん……な!!」
「では、シャノワ殿の首は、エリザベートの手に渡ったというのか!?」
「……ええ。そのはずです。エリザベートは、「おひめさまの秘密」が成功したことがある、というように……あの時もそうだった、と口走ったそうですね。それはすなわち、自分の呪いで―――実際はエイダス王子の放った刺客や魔王が介在したことはさておいて、自分が魔女と呪う相手が死んだと確信しているということ。世界的な事件で国葬も執り行われたエミリア様と違い、ごくわずかな者しか知らないシャノワ殿の死を確信しているのは……彼女の死の確実な証拠がエリザベートの元に届いたからにほかならないのです」
「そん……な……では……では、あのかたを殺したのは……」
「実際に命じたのは、メギド公爵エイダス。しかし黒幕は彼の妻エリザベート。……それだけではありません。死の証拠として憎い『踊り子の魔女』の首を手に入れたエリザベートは、それを呪具として扱うことを決めた―――それこそが、クラリッサ皇太后が言い遺した『6年前に魔女があの子に渡した呪具』なのです」
あまりに残酷なステファーノの推論に、室内は水を打ったように静まり返った。




