おひめさまの秘密
「……確信……ですか……」
じっとミュリエル夫人を見つめ、ステファーノは小さく息をついた。
「残念ながら、ぼくにもそれは提供できません。見当はついていますし―――おそらく、間違ってはいないと思いますが……現段階では、確たる証拠がないからです。………どう、なさいますか?証拠は提示できませんが、今ここでぼくの推察を聞くか……それとも、調査の結果、確たる証拠が出るのを待つか。ぼくは、どちらでも構いませんよ?」
「……アズウェル…卿……」
真摯な眼差しに見つめられ、ミュリエル夫人はじっとステファーノを見つめ…それからほう、と詰めていた息を吐き出す。
「……ええ……是非とも……お聞かせください。傍観者たるあなた様の推察は、きっと間違っていないだろうとわたくしも信じます。……申し訳ございません。わたくしが愚かでした。まだ調査すら開始されていないのに、妃殿下の仇を知りたいと焦るあまり、結論を急ぎ過ぎました。お赦しくださいませ」
「いいえ。真相を知りたい気持ちは、痛いほどによくわかります」
深々と頭を下げるミュリエル夫人にそう言って、ステファーノはお茶を一口飲んだ。
「では、話を戻しましょう。エリザベートは妃殿下を傷つけたとおっしゃいましたが、それは何故ですか?何がきっかけで、そのようなことに?」
「あれは……絵画の間でのことでした。あのかたは、おひめさまの秘密、とやらを口走り、妃殿下に協力を迫ったのでございます。そして、興奮のあまりあの狂人特有の怪力で妃殿下の御手を握り締め、お怪我を……。それはそれはとんでもない馬鹿力で、止めに入ったわたくしも侍女も、振り払われ倒れ込んだほどでございました。あのかたにとってはとても重要なことなのでしょう。人魚の噴水に行く前も、夢幻城へ戻って来いと脅迫した時も、おひめさまの秘密を教えてやると言っておられましたわ」
「……おひめさまの秘密……」
そう呟いて、ステファーノは組んだ指先を唇に当てた。
「確か、シンシア様はそれを探るために夢幻城へ残られたのでしたね。その内容について、エリザベートでもウルリーケでも……何か言っていましたか?また、魔女については…?」
「……具体的なことは何も……ただ、悪い魔女を倒し、邪魔者を排除して願いを叶えるのだと。そう…以前にもその方法で魔女を倒したことがあると……そんな口ぶりでしたわ。あの時もそうだった、と口走って。それから肝心の魔女に関してですが……あのかたは、気に入らない相手をすべて魔女と言い張りますから、誰のことを指しているのかまでは判りません。でも、今の標的は『嘘つきの魔女』、『魔女のこども』、『みっともない取り換えっ子』のお三方のようです。特に、『嘘つきの魔女』と呼んでいるかたは、おひめさまの自分がどんなに頑張っても倒せない相手だそうで、なんとしても妃殿下に協力させたかったようですわ」
「嘘つきの魔女、魔女のこども、みっともない取り換えっ子……ですか……」
ステファーノの眉間の皺が深くなる。
「……彼女は、今までにどんな魔女のことを口走っていますか?たしか、ロザリンドさんのお母さん……舞姫のシャノワさんのことも、魔女と言っていたそうですね」
「ええ!確かにあのかたはシャノワ様のことを魔女と!!それ以外…と言いますと……」
「………ああ。俺のことは気にしないでくれ。正直に答えていただいた方がありがたい」
ちらり、とこちらを見て口ごもるのを見て、アルは苦笑した。
「母を魔女と罵ったそうだが……一度だけではないんだろう?」
「え……ええ。ご存知の通り、あのかたはアルフォンゾ様に執着していますから……。その奥方であるエミリア様のことはもう……『最悪の魔女』と。……そのうえ、王弟妃のアルテミア様のことまで、『魔女の手下』と呼んでいましたわ」
「叔母上のことまでか!?」
気まずそうに答える夫人の言葉に、アルは呆れるしかない。
「本当に……自分に逆らう奴は全部魔女認定するんだな」
「……ちょっと待ってください。アルテミア様のことは、『手下』と呼んだんですね?魔女ではなく?」
「は……はい。……そうですわね。言われてみれば……わたくしの知る限りあのかたが魔女と呼んだのは、エミリア様、シャノワ様……そして、今『嘘つきの魔女』として呼ばれているかただけですわ」
「こどもと取り換えっ子は魔女の関係者であって、魔女ではない、ということか?」
「……わかりません。やっつける、と言っていたからには攻撃対象なのは間違いないとしても、彼女の中での呪いの優先順位は低いのかもしれません」
「呪い!?あのこ、勝手に魔女と決めつけた相手を呪うつもりなのですかー!?」
ぎょっとしたようにチュチュが目を見開く。
「アズウェル卿!?」
「……ぼくはそう考えています。おそらく、「おひめさまの秘密」というのは、何らかの呪いの儀式。『おひめさま』に仇なす『魔女』を、邪魔者を呪い殺すための。シンシア様もそう考えたから、真夜中を待って突入せよと近衛隊に命じたのではないですか?そういった邪法の儀式は、真夜中から始められることが多いですから」
「た……たしかに……妃殿下は…おそらくことが動くのは真夜中だから…それを待ってエリザベートを捕縛せよと……」
ならば、あの命令は―――エリザベートが呪いの儀式を始め、言い逃れない状況になってからあの女を捕らえよと……そういう意味だったのか……!!
「夫人!?」
がっくりとソファに頽れたミュリエル夫人に、思わずアルが腰を浮かす。
「…では……では……おひいさまは……最初からすべてお覚悟のうえで……あの女が呪いの儀式を行っていると承知のうえで……その証拠を掴むために…おひとりで……」
唇を噛み、ミュリエル夫人はドレスを膝の上で握り締めた。
「……思えば……離宮であの女からの通信を受けたときも、妃殿下はご自分に誰を呪えというのか、と取り乱しておいででした。あの時から、すでに妃殿下は……それなのに、わたくしは…浅はかにも、ただの比喩だと……」
「しかたないよ、夫人。本当に誰かを呪っているだなんて、普通は思わないものだ」
「そうなのですー。きっと、王妃様はあの子を直接知ってたから判っただけなのですよー」
二柱の世界樹も、打ちひしがれる彼女に優しく声をかける。
「ナルファさま…チュチュさま…」
「お二人の言うとおりですよ。夫人。それよりも、今はよく思い出してください。エリザベート本人から……いや、他の誰でもいい。今まで誰かにそれらしい話を聞いたことはないですか?呪いや儀式、魔法具や魔法について」
「そ……そう言われましても……」
狼狽えながらも、ミュリエル夫人は片手を額に当て、必死で記憶を呼び起こした。さりげなく隣に移動したナルファが翳した手から優しい光が溢れ、彼女の動揺を静めていく。
「もともと……あのかたは気が触れているせいもあって、非常識な言動が目立つかたでした。シャノワ殿下の社交界デビューのお祝いにいらしたときも、あのみっともないおひめさまは、少しはましになったのかしら、などと失礼な物言いで……あのかたが登城すると聞いてすぐさま妃殿下がシャノワ殿下とともに大神殿へ向かい、顔を合わせないようにしたのはまことに賢明だったと感服したほどでしたわ。それから……16年前に王城に乗り込んで来たときにはエミリア様を火あぶりかしばり首にせよと大騒ぎでしたが、特に呪いとかは……」
そのおかげもあってか、少しずつ落ち着きを取り戻した夫人は一心に記憶を掘り起こし―――はっと息を飲んだ。
「……夫人?」
「そういえば……いえ、エリザベート殿と関係があるかは判らないのですが……」
そう前置いて、ミュリエル夫人は青ざめた顔を上げる。
「11年前……エリザベート殿に襲われたクラリッサ様が廃人のようになり、そのあとすぐに命を絶った話はいたしましたわよね。クラリッサ様はろくに話ができるような状態ではなかったのですが、一度だけ……酷く魘され、半狂乱で叫んだことがあったのです。ああ、可哀想なエイダス、化物はあの子のほうだったのに、6年前に何があったの、魔女はあの子にどんな呪具を渡したの、と…」
「6年前……魔女はあの子にどんな呪具を……渡したの……」
呆然とその言葉をなぞり、ステファーノは青い顔でどさりとソファに身を沈めた。
「ステファーノ?」
「ステファーノ?どうしたですかー?」
その顔色の悪さに、驚いたアルとチュチュが彼を覗きこむ。
それを無視するかのようにしばらく黙り込み―――ややあって、ステファーノは目を閉じたまま、震える声を絞り出した。
「ミュリエル夫人……もうひとつ、大事な質問です。…………17年前殺されたシャノワさんのご遺体に……なにか、特徴はありませんでしたか……?」




