悪魔の薬
「お…おひいさまの殺害の動機ですって!?」
ステファーノの言葉に、ミュリエル夫人は真っ青になって立ち上がった。
「あ……あなたは……あのかたがなぜ殺されなければならなかったのか、その犯人が誰か、判ったとおっしゃるのですか!!アズウェル卿!!」
「……ああ、少し落ち着いて」
よろめきながら、それでも掴みかかるような勢いでステファーノに詰め寄ろうとするミュリエル夫人を、後ろからナルファが抱きとめる。
「大丈夫、ステファーノは出し惜しみなんかしないよ。きみの質問にはすべて応えてくれるだろう。だから、少し落ち着こう。座って。……ね?」
「……は……はい………申し訳……」
優しく宥めるような声と、その指先から溢れてそっとミュリエル夫人を包む光に癒されて、我を忘れていた夫人はほっと息をつき、おとなしく元のソファに腰を落ち着けた。
「驚かせて申し訳ありません、夫人。これからお話しすることは、あくまでもぼくの推察になりますが……それほど見当違いなものではないと思います。現時点でぼくに判っていることは、すべてお話ししますから……夫人も、忌憚ない意見を聞かせてください。……よろしいでしょうか?」
「ええ……ええ。もちろんですとも!何なりとお聞きください、アズウェル卿!」
穏やかに諭すようなステファーノに、ミュリエル夫人は両手をもみ絞りながら何度も頷く。その彼女が少し落ち着いたのを見計らって、彼はゆっくりと口を開いた。
「……ではまず、悪魔の薬のことから始めましょうか……」
「……さて、悪魔の薬とは。ご存知の通り、人を魔人に変え、精霊すら魔獣に変える薬です。しかも、飲んだ人間のほとんどは適合できずその場で死に至ります。ロザリンドさんが適合したのは奇跡と言ってもいいでしょう。ですが、この薬はあまりの非道さに禁忌とされ、2000年以上使用されたことはないはずなのです。その製法も、はるか昔に失われたはずでした」
「……3000年前、エルクとラピアが飲まされた薬ですねー…」
ステファーノの言葉に、チュチュもソファーの中で膝を抱えた。
「ぼくも、悪魔の薬についてはそれ以降記憶にない。まあ、ぼくらは他の世界樹とは違い、人間からは隔絶されて生きてきたから、疎いだけかもしれないけど」
その頭を撫でてやり、ナルファもじっとステファーノを見る。
「でも………3000年前も、今も―――使ったのは、カナンの人間なんだね」
「……ええ。その通りです」
思わず息を飲むミュリエル夫人の前で、ステファーノは重々しく頷いた。
「ロザリンドさんに使った分だけではない。大神殿の事件で、シェスロさんはジョナサンに悪魔の薬を渡されたそうです。……残念ながら、現物はあの騒ぎでどこかへ行ってしまいましたが……彼が言うには、禍々しさといい、悍ましさといい、小瓶に入ったほんの二口ほどの液体を見ただけでも、それが本物の悪魔の薬だったのは、間違いないだろう、とのことでした」
「カナンは……少なくとも、ジョナサンと黒の聖団の奴らは、複数の悪魔の薬を所持していた、ってことか……」
「その通りです。……しかし、何故カナンだけがその薬を所持しているのでしょう?古き国というだけなら、ジヴァールも、あのトートベリルだってあの薬を持っていてもおかしくない。それなのに、何故カナンだけが悪魔の薬を、今も持っているのか……?」
ステファーノはじっくりと一同の顔を見回した。
「……悪魔の薬の製法……実際のところ、製法自体は僅かに記録があるのです。ですが、その成分というか……必要な物質が何なのか、今となっては判らなかった……そのため、製法が失われたとされていたのです」
「成分が……判らなかった……」
「……ええ。あまりに悍ましいので全体は控えますが……臨月を迎えた妊婦の心臓、オーガの角、スフィカの毒針、妖精の舌、生れ出たばかりの…産声を上げる前の赤子の肝……そういうぞっとするような代物の中でも、もっとも必要とされる品……名を、「封じられた邪悪の精髄」と言います。それが何のことなのか、判らなかったのです」
「封じられた…邪悪……って、まさか!!」
さっと顔色を変えたチュチュが立ち上がる。
「……ええ。おそらく、そのまさか、ではないかと」
「では……では、カナンは……カナンの王城の地下には、本当に黒い井戸があると…そこから、太古の…黒の世界樹が封じていた、巨人族の怨念を汲み上げているというのか!?」
「……そうとしか、考えられないんですよ、殿下…」
同じく血相を変えて立ち上がったアルが叫ぶのに、ステファーノは暗い目をして頷いた。
「チュチュさんに邪悪を封じていたという話を聞くまで、僕にも「封じられた邪悪の精髄」がなんだかわかりませんでした……。そして、ミュリエル夫人の話を聞いて、それが一つに繋がった―――荒唐無稽な話かもしれません。でも、もしその怨念が今も残っているのなら―――それを汲み上げられるのも、悪魔の薬を持ち得るのも―――カナンだけなんです」
「……カナン……だけ…が……………」
しばし呆然とステファーノを見つめ、それからアルはどさりと腰を下ろす。
チュチュも倒れこむようにしてソファに沈み込んだ。
「……まさか………あのドロドロが……今も残って……る、ですか……?」
「お……お待ちください!では、今も王族の誰かが……いえ、カナンの誰かが、王城の地下からその呪われた精髄とやらを汲み上げて、その薬を作っていると…そうおっしゃるのですか!?」
「……いえ、その可能性は薄いと思います」
動揺する夫人を落ち着かせるように、ステファーノは言う。
「ゼラール陛下のお人なりを考えても、そのような所業に手を染めるとは考えられませんし、本当に井戸があるなら、伝承好きだった前王陛下が対応しないはずはない……。おそらくは現在はその井戸も黒い扉も封じられているのだと思います」
「ずっと昔に作られた、その残りを―――隠し持っている奴がいる、ってことだな……」
「ええ。カナンには国宝〈時の泉〉がありました……。今はエリザベート殿が占有しているとはいえ、〈時の泉〉で作られた水がまだ残っているとしたら……その中で保存されているのかもしれませんね……」
「…なんて……こった……」
薬を飲まされた、ロザリンド。
薬をちらつかせて取引を迫ったジョナサン。
ジョナサンを召還した黒の聖団―――そして、夢幻城のどこかに存在するかもしれない、黒の礼拝堂。
その夢幻城の女主人エリザベートと―――彼女のためならなんでもする、ナイアス……。
「…………なんてこった……」
考えれば考えるほど辻褄が合いすぎて、もう一度そう呟くとアルは髪を掻き上げた。




