アルハルテの暴走
木枯らしが梢を揺らし、吹き過ぎていく。
すっかり冬の様相となった外の様子を窺い、依那は思わず身を震わせた。
「今日は風が強うございますわね」
「今朝は今年一番の冷え込みなんだって」
「ミュリエル夫人もお寒くはありませんか?」
「ええ、大丈夫ですわ。カナンに比べれば、エンデミオンは暖かいくらい」
しゃんと背を伸ばし、お茶を給仕する老婦人は、気遣う姫様ににっこりと微笑んで見せる。
夢幻城から救出されてひと月半―――。
一時は体調を崩したものの、女主人の仇討ちに燃える彼女はすっかり元の気概を取り戻していた。
「……さて。現時点での状況だが……」
全員にお茶がいきわたったのを見計らい、アルはゆっくりと口を開いた。
「探索を続けているが、未だ魔王の拠点も黒の聖団の残党も見つかってはいない。黒の聖団に至っては、夢幻城襲撃で全滅したんじゃねえかと思うくらいだ。魔王城跡地の方も、特に発見はなかったんだよな?」
「そっちは獣人たちとちっこいので確認したが、怪しいとこはなかったぜ。もう、ずいぶん長いこと人が住んだような形跡もねえ」
はい、と手を上げてムジカが報告する。
「カナンのお姫さんがちょっとでも捕まってたんなら、匂いが残ってるはずなんだけどなあ」
その隣でミーアもため息をついた。その嗅覚と機転を買われ、張り切って探索に参加しただけあって、収穫がなかったことは酷く残念だったらしい。
『不毛の地と化している西側諸国やリーヴェント跡地も巡回しておりますが……人が住んでいる様子はありませんわね』
落ち込むミーアに甘いお菓子を回してやりながら、レ・レイラもスフィカの調査結果を報告する。
『念のため、ナルファとワリス様がアデルナーダとペルピナスの波動を追ってくださいましたが…そちらももう反応はないと』
「うん、それに関してはアルタにも反応はないみたい」
「じゃあ……あの魔女は、本当に死んだと思っていいみたいだね」
姉の隣で、颯太もほっとしたようにお茶を飲んだ。
「すると……やはり魔王の拠点はエンデミオン、カナンのどちらかにあると見るべきだな…」
「国内の廃城や空き屋敷の調査は大半は終了しておりますが……とくには収穫はありませんな」
アルの後ろに控えたエリアルドが手にした書類を捲る。
「盗賊の根城になっていたのを発見したり、隠れ住んでいた獣人を保護したりはありましたが」
「いや、それは収穫だろ、ある意味」
相変わらずクソ真面目な報告に苦笑し、アルは背もたれに身を預けた。
「それより……きな臭いのはカナン本国の方だな……」
「え……」
はっと身を乗り出すミュリエル夫人に、向かい側からステファーノが数枚の書類をテーブルに並べた。
「ここ数週間で、いくつかの貴族の屋敷が襲われています。……これらの貴族に何か思い当たることはありますか?」
「そんな……」
ミュリエル夫人は慌てたようにその書類を手に取り、ざっと目を通す。
その表情は見る間に曇り、ややあって顔を上げたミュリエル夫人は青褪め、その声は震えていた。
「これは……この5つの貴族のうち、3家はナイアス殿に反目する反対派でございます。そして……この5貴族はすべて……ジヴァールの血縁ですわ!」
「なんですって!?」
『ジヴァールの!?』
「え……ジヴァールって……シンシア様の母国だよね!?お披露目の夜に魔王に滅ぼされた……」
「は……はい…」
ぎょっとする一同にミュリエル夫人は固い表情で頷いた。
「こちらとこちら……この2家は、数代前にジヴァールの者が嫁しております。この家はもともとジヴァールから移住し、カナン王家に仕え始めた家ですし……あとの2家も、シンシア様とともにカナンに移り住んだ者が嫁いだり、婿に入った家……こ…これはいったいどういうことでございましょうか…?ジヴァールの血縁の家だけが……どうして……」
「……やはり、か……」
アルとステファーノは頷き合い、ステファーノが口を開いた。
「……じつは……カナン内部に不穏な噂があるのです。グレン皇帝がジヴァール再建のため、カナン乗っ取りを目論んでいるとか、カナン王家がそれを警戒してグレン皇帝夫妻を東の離宮に軟禁しているとか……シンシア様の死も、カナン内部の反ジヴァール一派による暗殺だったのではないか、とも……」
「そんな!!!」
ステファーノの言葉に、思わずミュリエル夫人は立ち上がった。
「そんな馬鹿なことが!!それは……それは、グレン陛下はジヴァール再建を目指しておいででしょうが……だからと言って、シンシア様の嫁いだカナンを乗っ取るような真似をなさるわけが……あのかたは苛烈ではありますが、本当に懐の広い、情の深いかたなのです!曲がったことがお嫌いで…ゼラール陛下のことも、妃殿下を任せられるかただと……そうおっしゃって……そんなグレン陛下がそんなことを目論むわけがございません!第一、カナンの者が妃殿下を暗殺など、そんなわけが!!」
「お、落ち着いてくださいませ!ミュリエル夫人!」
「おばさん!落ち着いて!」
半狂乱になって叫ぶミュリエル夫人に、レティと颯太が取り縋る。
「落ち着いてください、夫人。ぼくも、そんなことはあり得ないと思います。特に、シンシア様は敵を作るようなお人柄じゃない。ですが……その噂があるのは事実なのです。そして、ジヴァールとゆかりの深い貴族が襲われているのも」
「……そんな……」
姫と勇者に宥められ、ようやく少し落ち着きを取り戻したミュリエル夫人はまだ青い顔で腰を下ろした。
「……もともとの発端は、シンシア様が亡くなられたのを受けて、グレン皇帝がゼラール陛下を詰ったことにあるようです。もっと早く黒の聖団の残党を討伐していれば、あの悲劇は防げたはずだと。……もちろん、ぼくたちはあれが黒の聖団の仕業ではないことを知っていますが、それを知らないグレン皇帝が憤るのも無理はない。……もっとも、皇帝陛下はすぐにそれを謝罪し、ゼラール陛下とは和解したそうですが…」
ミュリエル夫人が少し落ち着いたのを見計らい、ステファーノは静かに話を続ける。
「ただ、アルハルテ皇妃はこれに納得しなかったようです。彼女は不遇を嘆き、カナンを非難し―――困ったことに、しんじつの物語の一部を聞きかじったのでしょうね。魔王を生み出した元凶は大賢者エノクを死に追いやった3000年前のカナンの悪行であると公言し、シンシア王妃暗殺説をぶち上げ、ゼラール王に王位を譲れと迫ったそうなのです」
「はあ?」
「なにそれ!?」
ため息交じりに続けられたカナンの現状、とやらに、一同は呆気にとられた。
「え、ちょっと待って?カナンが元凶ってのはまあ間違いないけどさ。なんでそれが王位を譲れになるわけ?責任取って王様辞めろ、じゃなくて、グレン皇帝に王位を譲れってことでしょ?」
「反ジヴァール派がカナンにいたとしても、それがシンシア様暗殺に繋がるってのも訳わかんないわねえ?」
「その、皇妃の無茶ぶりに対して、グレン陛下はなんとおっしゃってますの?」
依那とフェリシアがはてなマークを量産し、レティも困惑顔で首を傾げる。
「もちろん、グレン陛下も頭を痛めておいでのようですよ。アルハルテ皇妃をご病気ということにして離宮に隔離し、ゼラール王と協議を進めていらっしゃるようです」
「皇妃が断りもなしに声明を出しちまったからな……。グレン皇帝がシンシア様追悼式のためにジヴァールの民を集めていたのも災いして、王都は一触即発の状態らしい……」
疲れたようにため息をついて、アルは目頭を揉んだ。
「…っとに……困ったもんだよ。アルハルテ皇妃にも。ゼラール殿の心痛を思うと泣けてくるね」
「あのかたは……昔から猪突猛進なところがありましたから……」
同じく大きくため息をついて、ミュリエル夫人は肩を落とした。
「シンシア様と同じ、ジヴァール皇家の傍流であるルゥ家の姫君で……昔から男勝りで才気煥発な方ではございましたが……よもや、そのような謎理論を展開されるとは……」
「シンシア様とは仲良かったの?」
「ええ……お歳はおひいさまの方が一つ上でしたが……おっとりしたシンシア様をいつも引っ張っていかれて……どちらが姉だかわからないと、そう……」
フェリシアの問いに答え、ミュリエル夫人は目を伏せる。
「あのかたも……妃殿下がいらっしゃったときはもっと穏やかでいらっしゃったのですが……」
……それだけ、シンシアの存在は大きかったのだろう。カナンの人間にも、ジヴァールの人間にも。
「……とにかく……これ以上何も起きないことを祈るよ……」
もうひとつため息をついてアルがぼやく。
彼のその不安が的中したのは、わずか2日後のことだった………。




