霧の森の軍議
外の世界の悲劇も知らず、ルルナスの森は爽やかな朝を迎えていた。
「さーっ!ごはんよ、ごはん!朝ごはーん!!」
「……おまえなぁ……図体でかくなっても中身はそのまんまかよ」
朝っぱらからうるさい霧の精霊に叩き起こされ、朝食を要求されたアルは、内心ホッとしつつも厨房へと向かう。
『賢者の叡智』の話が出てから丸二日、食事時すら姿を見せなかった彼女がこうして朝メシをたかりに来るということは、それだけ本調子が戻ってきたのだろう。それは、霧の精霊の協力を得たい立場としてではなく、キッチェの友人としても喜ばしいことだった。
「おはよう…なのですー。いい匂い~なのですー」
そうこうするうちに、寝ぼけ眼を擦りながら黒の世界樹も起き出してきて。
久しぶりに全員の揃った食事は、和気藹々と楽しいものになったのだった。
「さて……と。仕切り直しと行きましょうか」
賑やかな朝食も終わり、ちび精霊たちを遊びに出して一段落したところで、レティの淹れたお茶を飲み、おもむろにキッチェは全員の顔を見回した。
「コンラートが動きを見せた以上、あまり時間はないわ。最終決戦は近い。そこんとこ、判ってんでしょうね?アンタたち」
「う…うん!」
いつになく真剣なキッチェの表情に、颯太もごくりと唾を飲み込んで頷く。
「まず最初にどうにかしなきゃいけないのは、『聖女の涙』なのですよー。みんなの話を聞く限り、『聖女の涙』は限界寸前、一刻の猶予もないのですー」
「そうだな……それを見越して奴は大聖女像ごと『聖女の涙』を奪っていったんだろうし……第一、あの宝玉にはコンラートの魂が宿っているんだろう?」
「状況はちゃんと飲み込めてるみたいね」
アルの言葉に満足そうに頷き、キッチェは居住まいを正した。
「まず、アンタたちが真っ先にしなきゃいけないのは、『聖女の涙』の破壊。ソータがオルトを浄化の剣にして『聖女の涙』を砕くことで、溜まりに溜まった『穢れ』は浄化されるはずよ。万が一に備えて神官か小聖女を補佐につけとくといいわ」
「わたくしが!!ソータ様をお護りし、消え残った『穢れ』の浄化をいたしますわ!!」
颯太の隣から身を乗り出してレティが立候補する。
「問題は、そのあと、ね。黒髪のあんちゃんからコンラートとルルナスの残滓をどう引っぺがすか……」
ため息をついて、キッチェはもう一口お茶を飲んだ。
「正直……これという方法があるわけじゃないのよ。なにしろ、魔王の器にされた人間を助けるだなんて話、前代未聞もいいとこだから」
「……そう……でしょうね。ちなみに、ただ魔王を倒すのならどうすればいいのでしょうか。オルグ殿下のことは一旦考慮から外すとして」
「コンラートを倒すだけなら、アンタたちが知ってる方法と大差ないわ。『聖女の涙』を破壊してコンラートの魂の半分を葬ったあと、聖女の張った聖結界の中で生身のアイツにとどめを刺せばいい。コンラートが魂の状態でも生き残れるのは、『聖女の涙』があるから。ある意味、そっちが本体みたいなものなのよ。先にそっちが破壊されていれば、コンラートはもう逃げようがないわ」
「……なるほど……」
ステファーノはソファ代わりのクッションに深く身を預け、中空を睨んだ。
「聖結界って姉ちゃんにしか張れない、ってやつだよね。それを抜けて逃げれることはないの?」
「無理だと思うですよー。聖戦のおり、エリシュカは聖結界を張ってルルナスを足止めしましたー。創生神様の化身だったルルナスすら抑え込んだのです、コンラートがどんなに頑張っても聖結界を破れるとは思えませーん」
「……コンラートとルルナスが融合しているかどうかによって、話は変わってくるとは思うんだけど……」
チュチュと颯太のやり取りを聞いていたキッチェが、ゆっくりと口を開く。
「……エナ。あんた、魔人を元へ戻したわよね」
「え……あ、うん。……って、キッチェ、まさか……」
「そのまさか、よ。魔人を元に戻すってことは、変質した魂をあるべき姿へ戻すこと。黒髪のあんちゃんは、コンラートに魂を侵食されている……つまりは、魔人化したのと似たような状態ってことよ!」
「じゃあ!あの時みたいに、コンラートさんの核をアルタで砕けば……」
「兄様は元に戻るかもしれないってことでしょうか!?」
「可能性の話、よ。あくまでも」
レティに縋りつかれ、キッチェはしっかりと念を押した。
「コンラートとルルナスが融合していたら、その方法は有効だと思うわ。奇跡に必要なアルタも、復活を心から願う者もここには揃ってるわけだし。……ただし、コンラートとルルナスが別々に存在していた場合は……」
「どちらか一方の呪縛は解けても、もう片方が残るかもしれない……ってことか…」
キッチェの言葉を引き取り、アルはがしがしと頭を掻く。
「フェリド殿の話では別個に存在している可能性が高そうだったが……キッチェの言う方法を試したとして、残るのはコンラートなのか、ルルナスなのか……」
「キッチェさん……聖結界を張った場合、中に入れるのは魔王であるコンラート殿と、ソータくん、エナさんの3人だけなのでしょうか。第三者がそこに介在することは可能ですか?」
「そうね、戦いの邪魔にならないように、聖結界の中に入れるのは基本その3人だけよ。物理的に、って意味なら第三者の介在は可能だけど……そんなことしたら……ってアンタ、何考えてんのよ!?まさか!」
「多分、キッチェさんが今考えたのと同じことですよ。聖結界内に、戦いとは無関係な第三者を置く。そのうえでエナさんが奇跡を起こしたら―――オルグ殿下の魂に干渉する存在を祓うことが可能だと知らしめたら、ルルナス……もしくはコンラートは、その第三者に器を乗り換えるのではないでしょうか……?」
「「「!!!」」」
ステファーノの大胆過ぎる発想に、一同は思わず息を飲んだ。
彼らは今まで、オルグの身体から魔王をどう引き離すか、そればかりを考えていた。魔王―――もしくはルルナスを別の器へ移すことなど、考えもしなかったのだ。
……なぜならば。
「ちょ、ちょっと待て!ステファーノ!」
堅い声で、アルが異を唱える。
「確かに、過去の事例では、魔王は器となる肉体が著しい損傷を受けたとき、急遽別の身体に移ったと報告されている。今回も、あるいは同じことが起こるかもしれん。だが、そうした場合、その第三者はどうなる!今度はそいつが討伐対象になるんだぞ?オルグを救うためとはいえ、第三者を身代わりにするというのか!?」
「殿下、趨勢を見極めてください。王家の方々が身代わりという考え方を嫌うのは判っています。しかし、オルグ殿下はかけがえのないお方なのです。魔王の魂を別の器に移すことが可能だと判っていたら、この案は真っ先に出ていたのではありませんか?」
「それ……は……」
ステファーノの指摘に、アルは黙るしかなかった。
颯太にだって判る。
オルグは王位継承者だ。アルも、そしてレティも王族で―――つまりは、死んではならない立場だ。
たとえ本人がどんなに嫌がろうと、王族の彼らを死なせないために、国民は命を懸けて彼らを護る。今回のことだって、これが公になったら、身代わりに立候補する者が後を絶たないだろう。
「………大丈夫ですよ、殿下」
ややあって、唇を噛み、痛みを堪えるようなアルに、ステファーノはそっと声をかけた。
「最悪、そういった決断が必要になるかもしれない、ということを肝に銘じていただきたかっただけなんです。意地悪を言ってすみません。まだ詳しいことは言えませんが、ちょっと考えがあって。そのためにも、魔王やルルナスを第三者に移すことが可能か、それを知りたいんですよ」
「ステファーノ……」
意地悪かよ、とがっくり肩を落とし、アルはため息をついた。
「……そうだな。その決断が必要となる可能性は…あるだろうな。……で?どうなんだ?キッチェ。ステファーノの言うことは?可能なのか?」
「……そう、ね。残ったのがルルナスなら……可能性はあるわね。もっとも、その第三者とやらの条件にもよるでしょうけど」
難しい顔で考え込んでいたキッチェが、アルとステファーノを見比べながら答える。
「条件って?」
「そうねえ……たとえば…」
はい、と挙手をして質問した依那に向き直り、キッチェが答えようとした時。
不意にキッチェとチュチュが同じタイミングではっと顔を上げた。
「……キッチェ?チュチュ?」
「しっ、黙って!」
首を傾げる颯太を鋭く制して。
キッチェは気配を探るように目を伏せる。
「………どうやら、お客さんがいらっしゃったみたいね」
1分にも満たない沈黙ののち、顔を上げた霧の精霊は、そう言ってにやり、と笑った。




