暗躍する蝶
「イズマイア嬢?なぜあなたがここに?」
ステファーノともどもリュドミュラの前を辞し、サロンを出たところでかけられた声に、ぎょっとしたようにイズマイアは立ち止った。
振り返ると、増援の一人だろうか、初めて見る騎士がサロンの入り口に佇んでいた。
年齢は二十歳そこそこ、緩く波打つ肩までの金髪に、ブルーグレイの瞳。
細身で、まあ整った顔立ちをしているが、キラキラ王子を見慣れた依那たちにとっては特にこれと言って特徴のない騎士だった。
一緒にいるレティに気づいたのだろう、慌てたように騎士の礼をする。
「お久しゅうございます。マクハギス卿」
「マクハギス卿も試練に同行なさるのですか?」
「いえ、私は物資輸送の護衛で参りましたが、明日には王都へ帰ります。……それより…」
彼は眉をひそめてイズマイアを見た。
「離宮には王家の方々か、皇太后陛下に招かれた者しか入れぬはず。何故、イズマイア嬢がここにいらっしゃるのでしょうか?」
「…それは……」
なんだか雲行きが怪しくなってきたぞ…
「……だれ?あれ…」
言いよどむイズマイアの後ろで、依那はレティに耳打ちする。。
「エリオット・マクハギス様、マクハギス大臣の長男ですわ。妹のタチアナ様は、イズマイア様と同じくお兄様がたの婚約者候補のおひとりです」
レティのささやきに、依那はあー。と思う。
つまりは妹がイズマイアのライバルなわけだ。
「殿下の婚約者候補でありながら、ほかの男のために離宮に押し掛けた不心得者がいる、という噂は耳にしましたが…あなたがここにいるということは、噂は事実だったということかな?」
「マクハギス卿、そんな言い方はないでしょう?」
「君は黙っててもらおうか。葉っぱや獣の知識がなかったら、君などここにいる資格もないんだよ?身分を弁えたまえ」
「私がお呼びしました!」
イズマイアを庇うステファーノを、見下すような物言いに、思わず依那は割って入った。
「イズマイア様は、私がお呼びしてきていただいたんです!」
「……きみは?」
はい、むっちゃ胡散臭そうに見られました!
しょうがないよねー。星祭りの時みたいに、飾り立ててないんだもん、今のあたしなんて、いいとこ侍女よ侍女。
ぜんぜん気にもしない依那だったが。姫様はそうではなかったらしい。
「無礼が過ぎますよ!マクハギス卿!聖女様に向かって、なんですか!その態度は!」
「え…は?聖女様?この方が?」
珍しく怒気を露わにするレティに、マクハギスが慌てる。
「こ…これは失礼を!聖女様とは気づかず!」
「……いえ……」
だよねー…あたしなんか、言われなきゃ聖女だと思わないよねー
ちょっぴり傷つきながら、依那はイズマイアのために気力を振り絞った。
「イズマイア様は私が呼んで来ていただきました。押し掛けたなんていうのは誤解です!」
「え…いや……しかし、聖女様!イズマイア嬢は夜明け前に館を飛び出し、馬で押し掛けたと…」
「ですから!私が呼んだからです!イズマイア様は、言われた通り急いで来ただけです!」
「呼んだって…どうやって?」
「えーと、あれです!念話で!」
なんでこんなに詳しいんだ、こいつ?と思う依那の横から、颯太も参戦する。
「念話の練習で!いやぁ、遠いから届かないかなーって、一生懸命念送ったら、大音響になっちゃったみたいで……ねっ!」
「そうそう、だからイズマイアさん、緊急事態かと思って急いできてくれたんです!……ねっ!」
「え…ええ!そうですわ!」
姉弟に左右から圧をかけられて、イズマイアもこくこくと頷いた。
「……では、イズマイア嬢は、その男のために押し掛けたのではない……と?」
「くどいですよ、マクハギス卿」
食い下がるマクハギスに、レティが眉を顰める。
「…それより、私はあなたがどうしてそんなに早耳なのか、の方が気になりますね」
「殿下?」
広間の方から現れたオルグに、マクハギスはたじろいだ。
「イズマイア殿が駆けつけてくれたのは、昼頃です。……その時間には、あなたはすでに離宮へ向かっていたはずですが…それにしては、噂が届くのがずいぶん早いですね?」
「…そ…それは……」
「私やアルの周りを、しつこく飛び回っている蝶がおりましてね。…この有事の際に、困りますよね。小さいとはいえ、命です。できれば、むやみに退治はしたくないのですが……」
「……は……」
青ざめるマクハギスの顔を覗き込むようにして、オルグは冷たく微笑んだ。
「…まぁ、良いでしょう。今回のイズマイア殿の噂は間違いだったと、機会があったら、あなたからも訂正しておいてくださいね」
「し……承知いたしました!」
挨拶もそこそこに、駆け去るマクハギスを見送って、やれやれとオルグはため息をついた。
「オルグ兄!カッコいい!」
「お兄様、ありがとうございました」
「殿下!申し訳ございません!わたくしのせいでこのような……」
「ありがとうございます、ソータ殿。イズマイアも、気にしないでください。言ったでしょう?私もアルもあなたの友人だと」
マクハギスに見せた笑みが嘘のように、優しくオルグは笑う。
「それに、一番お礼を言わなければならないのは、私ではありませんよ?」
言われて、はっとしたように、イズマイアは依那を振り返った。
「…エナ様……あの…本当に、ありがとうございました!」
「いいってば。イズマイ……ああもう、めんどくさい、イっちゃんでいいや。イっちゃんやステファーノさん悪く言う、あいつが気に入らなかったのもあるし」
「イ…イっちゃん?!」
「イっちゃん……」
簡略化するにもほどがある呼び方に、姫様も王子様も点目になる。
「……いいなぁ、それ」
真っ先に笑い出したのはステファーノだった。
「イっちゃん。可愛いなぁ、イっちゃん」
「やめてくださいまし!」
耳まで赤くなって、イズマイアが憤慨する。
「でも、なんなの、あの人。妹がオルグ兄たちの婚約者候補なの?」
「タチアナ嬢ですね。マクハギスに限りませんが、候補に挙がっている四人のうち、イズマイアを除く三人は伯爵家の令嬢です。なんとしても王家と縁続きになって、爵位を上げたいのでしょう。私たちの動向を探るために手の者を潜ませて、隙あらば相手を蹴落とそうとしているのですよ。エナ殿の機転がなかったら、イズマイアは、筆頭候補でありながら、ほかの男にうつつを抜かしている、などと悪いうわさを流されて、まずい立場になっていたかもしれません」
「うわぁ……」
「悠長に、妃選びなんてしてる場合じゃないと思うんですけどね…」
前髪を掻き上げて、オルグは嘆息する。
「さて。ステファーノは、いったん部屋でくつろいでください。イズマ……イっちゃんも、今日はレティ達の部屋に泊めていただくと良いでしょう。よろしいですよね?レティ」
「もちろんですわ!行きましょう、イっちゃん様!」
「もう!殿下たちまで!」
文句を言いながらも、イズマイアもまんざらではなさそうだ。
やっと明るい表情を取り戻した彼女に、依那は今度こそ胸を撫で下ろすのだった。