800年目の奇跡
リュドミュラが離宮へ戻ったのは、月が中空へ届こうかという頃だった。
「……見事な満月だこと……」
空を見上げて微笑んだリュドミュラは、離宮に入るなり待ち構えていた三人に首を傾げた。
「……どうかなさいまして……?」
「…リュドミュラ様……ごめんなさい!」
いきなり颯太にがばっと頭を下げられて、リュドミュラは面食らう。
「いかがなさいました?」
「その……オーちゃん壊しちゃいました!」
「ごめんなさい!あたしが水に魔力流したら……その……動かなくなっちゃって……そのあと、水に戻っちゃって……」
「我では再生できなくての」
「……ああ……」
あわあわする姉弟に、安心させるようにリュドミュラは微笑む。
「大丈夫ですわ。あの子は水さえあれば何度でも再生できますもの」
「本当に!?」
依那と顔を見合わせて、颯太はがしっとリュドミュラの手を取った。
「ソ…ソータ殿?」
「来て!」
そのまま、南のテラスから庭へと連れ出される。
満月に照らされ、昼間のように明るい……と思う間もなく、リュドミュラと颯太はあの桟橋へと転移した。
「まぁ!転移魔法が使えるようになったのですか?」
「今のはわたくしですわ。ソータ様は、もう少し」
桟橋で待ち構えていた、レティが微笑む。
「さ、リュドミュラ様!オーちゃん出して!」
「え?」
わくわくした颯太と、依那と。
固唾を吞むようなレティに、傍観するオルグとアル。そして、ただ静かなラウ。
「……何か、企んでらっしゃいます?」
「いいから!お願い!」
颯太に袖を掴んで揺すぶられ、リュドミュラはふっと肩の力を抜いた。
どうにも、この子供には心が揺らされる。
まったく似たところはないのに、言動や仕草や……ちょっとしたところが、はるか昔に亡くした、たいせつな存在を思い起こさせるからだろうか。
「はいはい、判りましたよ」
そう言って、リュドミュラは湖の上に少年の人形を再生させた………はずだった。
「……え………」
少年の姿は、意図した水の上ではなく、桟橋の上に……リュドミュラの前に現れた。
対峙するリュドミュラと少年の、横に立った依那が、大事そうにエリスの花を差し出す。
先ほどまで蕾だったエリスの花は、満月の光を浴びて美しく咲き誇っていた。
スズランのような小さな丸い蕾は、花開くと手のひらにちょうど包めるような大きさの、うっすら青みがかった白い花を咲かせる。
その花を一輪摘み取って、依那は歌うように言った。
「満月の下で。エリスの花をみっつ、ひとつは魂に、ひとつは依り代に、もうひとつは想う人に」
その言葉どおり、一輪をリュドミュラに、一輪を少年の人形に持たせる。そして、最後の一輪を……依那の隣に浮かび上がった、透き通る少年に渡した。
「……そん…な……」
透き通った少年は、人形に手を差し出し、人形のはずの少年は彼の手を取る。
呆然と見守るリュドミュラの前で、二人は混じり合い、溶け合って、もう一度その姿を取り戻した。
真っ白な人形ではない………白銀の髪をした、紫の目の少年の姿を。
「そんな……まさか……」
立っていられなくて、リュドミュラは膝から崩れ落ちた。そんな彼女に少年が駆け寄る。
『 ねえさま 』
そう言って、ぎゅっと抱き着いた。
『 ねえさま やっと やっと あえた 』
「そんな……オーギュスタ……あなた…なの……?」
『 ねえさま ! 』
震える手で、手探りで、リュドミュラは少年を抱きしめる……かき抱く。
『 ねえさま ぼくね ずっと ずうっと ねえさま に あやまり たかった の 』
「何を言うの、オーギュスタ、謝るのはわたくしの方でしょう?結局、わたくしはあなたを救えなかった。あなたを死なせてしまった。ごめんなさい、ごめんなさい、オーギュスタ…本当にごめんなさい…」
『 ちがう の 』
謝り続けるリュドミュラの唇を押さえて、少年――オーギュスタは言った。
『 あの とき 、 ぼく おぼれた ふり したの ねえさま が およめに いっちゃ うって しって ねえさま とられたく なくて こまらせ たくて そしたら ほんとに おぼれた の 』
片言で、それでも一生懸命彼は告げる。
800年前の悲劇は、リュドミュラのせいではなかったのだと。
『 ぼく ねえさま が サリエラ と ひとつ なるまえに もう しんだ の ねえさま の せい ちがう の 』
「……オーギュスタ……」
『 ねえさま ごめん なさい ずっと ぼく あやまり …… ずっと ずぅ … と 』
「オーギュスタ!?」
月が翳る。
それと同時にオーギュスタの言葉は途絶え、リュドミュラの腕の中で少年はまた動きを止めた。
「…オーギュスタ……ごめんね、……ああ……ごめんなさい……あなたはずっと…ここにいたのね……気付いてあげられなくて、ごめんね…オーギュスタ……」
少年を抱きしめ、泣き続けるリュドミュラから、そっと依那は離れた。
オーギュスタの想いは届けた。あとは、そっとしておいてあげるべきだろう。
声を殺して泣くレティと颯太の肩を、無言のままそっとオルグが促す。
リュドミュラをラウに任せ、五人は静かに離宮へと転移した。
「…よかっ……良かった…ですわ……リュドミュラ…さまぁ……」
ずっと我慢していたレティがしゃくりあげる。
「……あの子は…どうなるのでしょう。想いを伝えて消えてしまうのでしょうか…」
そんな妹の髪を撫でながらオルグは桟橋の方を振り返る。
「さあな……まぁ、ラウがうまくやるだろうよ…」
「……今度ステファーノさんに会ったら、たくさんお礼言わなきゃね」
あの時、彼がエリスの花をくれなければ、この奇跡は起こりえなかったのだ。
満ち足りた思いを胸に離宮へ戻る彼らを、薄い雲越しの満月だけが見つめていた…。