窓辺の幽霊
―――夜半。
どうにも眠れなくて颯太は寝返りを打った。
さすがに疲れたのか、いつもは夜中に目を覚ましてもベッドにいないことが多いアルも、穏やかな寝息を立てている。
……アル兄。
昼間聞かされたアルの過去はあまりにも悲惨で、思い出すだけで、ぎゅうっと胸が痛んで鼻の奥がツンとする。
あんな経験をして、瀕死の重傷を負って。よく立ち直れたものだと思う。
颯太だったら絶対無理だ。
目の前で母が化け物になったら……依那が殺されたら……想像しただけで心が折れそうになる。
「……おみず………飲んでこよ……」
もぞもぞとベッドから抜け出して寝室の扉を開ける。
月の光に照らされ、昼間のように明るい談話室。
その窓際に……それはいた。
透き通る月の光の中、うっすらと透き通った少年が。
…………!!!!!!!
声にならない悲鳴を上げて、颯太は依那たち女子寝室へ駆け込んだ。
「ねっ…姉ちゃん!!起きて姉ちゃん!!!!」
ぐっすり眠る依那をたたき起こす。
「……はぁ?……なに……颯太……おしっこ……?」
「ちっ…ちがっ…おおっ……おばっ……おばっ!」
「……おばさん?」
「ちがっ……おばっ…おばけ!…お化け!出た!」
「どうかなさいまして……?」
騒いだせいか、隣のベッドのレティも起き上がる。
「あー…ごめんね、レティ。起こしちゃって。なんか、颯太が怖い夢見たみたいで……」
「違うって!おばけ!お化けがいるんだよ!談話室に!!」
「お化け……?…魔物でしょうか?」
「魔物?」
眉をひそめながら依那もベッドから降りた。
「どこ?颯太」
「魔物の類がここに入れるとは思えませんが……」
レティも後に続く。
そっと寝室のドアを開けてみると、颯太の言う通りまだ窓辺にその少年は佇んでいた。
「……え……」
窓辺に置かれたエリスの花を見つめていた少年は、ゆっくりと振り返る。
「……オーちゃん……?」
その少年は、リュドミュラが作ったあの白い人形と同じ顔をしていた。
「…オーちゃん……なの……?」
(……ねえさま……)
少年の唇が動き。耳では聞こえないものの、依那の頭に直接声が響いた。
(…ねえさま…あやまる……ぼく……しんだ………)
「え?…な、なに?死んだ?」
「エナ姉さま?その子の声が聞こえるのですか?」
依那に続くレティも颯太も、少年の姿が見えているものの、声は聞こえていないらしい。
「みんなは聞こえない?なんか、ねえさまって……」
言いながらレティ達の方を見て。
「あ!」
颯太の声に振り返ると、少年は忽然と姿を消していた。
月が雲に隠れたのか、明るかった部屋が翳る。
「……どしたぁ?お前ら…」
「うひゃあっ!」
眠そうなアルに声をかけられて、三人とも飛び上がった。どうやら気配で起きてしまったらしい。
「何かありましたか?」
オルグまでが顔を出す。
「……じつは……」
依那たちは顔を見合わせて、ことの経緯を話し始めた。
「……おばけ、ねえ」
結局、なんとなく目が冴えてしまった一同は、談話室でテーブルを囲んでいた。
各自の前に、レティがハーブティの入ったカップを置く。
「半透明ということは…幽霊でしょうか。…ここに幽霊が出るという話は聞いたことありませんが…」
「古い建物だから、出ても不思議はないけどな」
顎に白い指をあてて考え込むオルグの隣で、アルは目を眇めた。
と、ほぼ同時に空間が割れてラウが顔を出す。
「何時だと思っとるのだ。肝試しか?暇人め」
「呼ばれてすぐ来る奴が暇じゃねえのかよ」
驚きもしないところを見ると、アルが念話でラウを呼んだらしい。
「……なるほどの…」
ざっと経緯を説明すると、ラウも少し考えこんだ。
「我はここへ顔を出すようになって400年近いが……この離宮に幽霊話とは、とんと聞かんの」
「新しい幽霊でしょうか。…最近死んだ子とか?」
「……あそこに出たのだな?そしてその顔が、リュドミュラの自動人形と同じだったと」
窓辺を指さすラウに、颯太と依那が頷く。
「みんなには声は聞こえないみたいだったけど…いえ、私も声としては聞こえなかったんだけど……ねえさま…あやまる…しんだ……って…」
「なるほどな……」
立ち上がり、ラウは小さな鉢植えを手に取った。
「これのせいやもしれぬ」
「え?エリスの花の?」
「この花には伝説があってな。……人族にはあまり知られぬ話かもしれんが」
驚く一同に、ラウは語り出した。
「満月の夜にのみ咲くこの花には、不思議な力がある、と。……満月の夜。エリスの花をみっつ。ひとつは魂に、ひとつは依り代に、そして最後のひとつは想う相手に。これを揃えたとき、死者が言葉を伝える、と言われておる」
「死者の言葉……」
「…あー……そういうの、いいから」
思わず全員でアルを見てしまい、アルは肩を落とす。
「気持ちだけもらっとく」
「う……うん……」
颯太はラウの手の中の鉢植えを見た。
エリスの花は、三つの蕾をつけている。
エリスの花が三つ。明日は満月。そして、現れた幽霊。……これは、偶然だろうか……?
「まあ、エナ殿に言葉を届けたくらいだし、何か言いたいことがあって出てきたんだろうが……想う相手ってのが誰だか判らないことにゃ……」
「ううん、判る」
颯太はアルの言葉を遮った。
「リュドミュラさんのことだと思う」
「え?」
「ミュウの?」
「だって、リュドミュラさん、言ってたよね。弟を助けようとして湖の精霊を宿したって。結局救えなかったって。……あの子、その弟じゃないかな」
「そんな……いや、待てよ?」
否定しようとして、ラウも考えこんだ。
「確かに、ミュウには年の離れた弟がいたと聞いておるが……」
「ラウさん、会ったことないの!?」
「たわけ!800年前だぞ!さすがの我も生まれておらんわ!」
「でも……もし、その子が本当にリュドミュラさんの弟だったら…800年も彷徨ってたってこと…だよね?」
…それほどまでに、伝えたい想いがあるのだろうか。
「なんとか伝えさせてあげたい。リュドミュラさんに話して協力してもらえないかな」
「……ですが……」
前向きな颯太とは裏腹に、オルグは眉を顰める。
「その幽霊がリュドミュラ様の弟だと、仮定しての話ですが……リュドミュラ様と彼を会わせたとして…その後、どうなるのでしょうか。想いを伝えて、彼が消えてしまったら……リュドミュラ様は、余計お辛いのでは…」
「それに、伝えたいことが良い話とは限らぬしの」
「……あ……」
そこまで考えていなかった、と颯太はしゅんとする。
「……だけど、それでも……あたしだったら会いたいと思う」
颯太の肩に手を置き、依那は顔を上げた。
――お父さん。
今会ったら、異世界なんかで何やってんだ、って叱られるかもしれないけど。それでも……一晩だけでも、一目だけでも、会えたら嬉しい。
「……たしかにな」
ソファの背に凭れ、アルも同調した。
「会っても、説教されるだけかもしれんが……会えるもんなら、俺も父上や母上に会いたい」
「……わたくしも、お母様にお会いしたいです」
「……決まりですね」
オルグは肩を竦める。
「…まあ良い。では明日、リュドミュラに話を通すとしよう。……なに、800年も生きてるだけあって、あれはぬしらが思うより図太いでの。たとえ幽霊が成仏しても何とかなろうよ」
ラウからもお許しが出て、一同は明日の朝、改めてリュドミュラに話をすることにし、いったん寝室へと引き上げたのだった。