嫉妬と、自責と、絶望と
「………少し、荒療治が過ぎたのではないですか?」
ややあって、アルの呼吸が落ち着いたのを見計らうように、リュドミュラはため息をついた。
「今まで、自分から話せたことはなかったのでしょう?この子は……」
「いつかは乗り越えねばならぬ壁だからの」
同じようにため息をついて、ラウもリュドミュラの向かいに座り込んだ。
「自分の口から言葉にして吐き出して、やっと呪縛が解ける。あの出来事は我にとっても地獄の記憶よ。こやつがぬしらに話せなかったのは、呪縛だけではない。ぬしらを泣かせたくないからこそよ。判ってやれ、オルグ」
「………判ってますよ、それくらい」
ちょっと鼻をすすって、オルグはアルの手を握っていない方の手で、声もなく泣く妹の肩を抱き寄せる。
「……エミリアとアルトを攫った男の名は、エドワウ・ファティアス。剣豪ファーネリウスの一番弟子で、アルトの父、アルフォンゾにとっては兄弟子にあたる男よ。ジヴァール帝国の出と聞いておるが、誇りの高い男での。その誇りゆえに、弟弟子のアルフォンゾに勝てぬ現実を受け入れられなかった」
そう言って、ラウは少し遠くを見る。
「もう……20年以上前になるか…大陸一の武勇を競う、とある武道会で、ファティアスとアルフォンゾは決勝で戦った。接戦ではあったが、結果はアルフォンゾの勝利。その大会の、弓での優勝者が、のちにアルトの母となる、エミリアだった。二人はその式典で出会い……恋に落ちた。だが、ファティアスはそれを認めなかった。アルフォンゾが勝ったのは、王族という地位の恩恵だと言い張り、大会の参加資格を剝奪された。その後もアルフォンゾは態度を変えることなく、ファティアスを兄弟子として敬っていたが…ファティアスの方は恨みを募らせていたのだろうな。やがてアルフォンゾとエミリアは結ばれ、アルトが生まれた。王妃となり、子を生したことでファティアスも諦めるかと思うたが…奴は性懲りもなくエミリアに言い寄り、とうとうアルフォンゾは絶縁を言い渡した。アルトが3歳になったばかりの頃だ」
「なんとなく……覚えがあります。……あの優しい伯父上が、鬼の形相で馬を飛ばして行かれたことが…」
「ぬしの母と出かけたエミリアを、ファティアスが攫おうとしたのだ。…あの時、殺しておくべきだった」
忌々し気に吐き捨て、ラウは前髪を掻き上げた。
「国外追放されたファティアスは、ファーネリウスからも破門され、もう二度と会うこともないと思っておったが……奴め、魔王に与して魔人化しよった」
「あの……魔人化とか……闇に落ちる…って…のは……?」
恐る恐る口をはさむ颯太に、リュドミュラが答えた。
「人が魔人になることですわ。魔物は大きく分けて二つの系統があります。魔物として生を受けるものと、人や動物が『穢れ』を受けて変貌するもの。ソータ殿は『穢れ』を浄化した時にご覧になったでしょう?魔物化する、過程の人間を」
「あ……」
言われて颯太は思い出す。紫の光に包まれ、鱗に浸食されていく人の姿。
「魔物の中でも、自我を保つもの、知性のあるものを魔人と呼びます。魔人もにもいくつか系統があり…『穢れ』により人が魔物へ変貌しながらも自我と知性を保った者を『穢れ堕ち』、後悔と絶望から闇に堕ち、魔人と化した者を『闇堕ち』と言います。そしてファティアスのように自ら望んで魔を受け入れた場合を『魔人化』と言うのですわ」
「…じゃあ、その人はアル兄のお父さんに勝てないのと、アル兄のお母さんにふられたので、魔人になった…と……?」
「逆恨み、だな。剣の腕が及ばぬのも、エミリアの心を得られぬのも、自分の思い通りにならぬものすべてアルフォンゾのせいにして、嫉妬に狂い、道を踏み外したのだ。何一つ、アルフォンゾの責ではないというに…な」
「では………フェリド王子は……」
「フェリドは……あやつは、アーサーを愛しすぎたのだ」
オルグの問いに、ラウは深いため息をついた。
「エルフの王子として生まれながら、あやつは人付き合いが苦手で、孤独な男だった。親しい友もなく、妻を娶り子を生したものの、政略結婚で愛もなく…そんな時に出会ったのが先代の勇者、アーサー・リドルよ。物静かな男で、戦うより、絵を描いたり植物の研究をしたりする方が好きで……フェリドとはとにかく馬が合った。……フェリドと知り合って200年以上になるが、あんなに楽しそうな奴を見るのは初めてだった。フェリドが魔王討伐に参加したのも、アーサーを護るため。…孤独に生きてきたあやつにとっては、最初で最後の…かけがえのない友だったのだ」
「……アーサー様にとっても、フェリド王子は大切な親友でした。だからこそ、アーサー様はこの地に残られたのです」
「アーサーが死んだとき、フェリドは抜け殻のようだった。我らは、あやつが後を追うのではないかと、それは気を揉んだものだ。なのに……100年かかって…やっと立ち直ったと思っていた矢先、あの悲劇が起こった。魔王は、フェリドに――もう一度会いたいという、フェリドの願いを叶えてやったと…そう嘯いた。詭弁だ。戯言に過ぎぬ。……だが……それでも、あやつの心を砕くに十分だった。…あやつは…自責と絶望に呑まれて…闇に堕ちたのだ」
「……そんな……」
「でも、おかしいではありませんか。エルフの森では、死した戦士は荼毘に付すのが習わしのはず。ならば、アーサー殿のご遺体も残っていないはずでは?」
オルグの疑問に、リュドミュラとラウは顔を見合わせた。
「……今となっては確かめる術もありませんが……おそらく、フェリド王子はアーサー様を燃やすことができなかったのでしょう」
「なんらかの方法で、こっそりどこかへ埋葬したのだろうな。…まさかこのようなことになるとは夢にも思わず」