クルトの悲劇 1
アル過去編
胸糞表現がございます。
―――11年前。
8歳のアルは、両親とともにシナークの地を訪れていた。
ここにきて頻発している、魔族の出現に対する対策と、魔王軍編成の噂について、同盟国シナークと協議するためだった。
「父さま、いつエンデミオンに帰るの?」
相次ぐ会議に、アルは父に何度もそう尋ねた。
会議の地、クルトの森は美しいところだったが、8歳の子供が遊び回るには深すぎ、また長命種のエルフには一緒に遊べるような子供もおらず、活発なアルは退屈しきっていたのだった。
「もう少しかかるかなぁ。退屈か?アル」
「たいくつー!」
「そうかそうか。実は父様も退屈なんだよ。……逃げちゃダメかな」
「駄目に決まってるでしょ!あなたって人はもう!」
国王でありながら脱走大好きの父と悪だくみをしては母に叱られる、それがアルの日常だった。
「アル、お父様をそそのかしちゃダメ!余計帰るのが遅れるから!」
「はぁい……」
母に叱られ、しょんぼりとアルは部屋を出た。
エンデミオンでお留守番してればよかったかな。
クルトの王城はとてつもなく大きな樹の中にあり、すっごく変わったところだ。こんな大きな樹、今まで見たこともないし、知らないものがいっぱいで面白い。…だが、ひとりぼっちじゃ、あんまり楽しくない。
「…オルグ兄さまが一緒だったらよかったのになぁ…」
「殿下、どうしました。しょんぼりして」
「先生!」
所在なく窓から外を眺めていると、剣の先生でもある剣豪・ファーネリウスに声をかけられる。
「父さまと脱走しようとしたの、バレた」
「ああそりゃ……エミリア様はおっかないですからなぁ。ここはひとつ稽古を……と言いたいところですが、儂もこの後軍議がありましてな……」
「ちぇーっ」
アルは口をとがらせる。
「ラウ殿とは遊ばないのですかな?」
「ラウ兄さまはなんか、ピリピリして怖い。あと、エルフのおじちゃんも」
昔、リュドミュラ様のところに滞在したときに会ったラウは優しく、弟のシンとオルグと四人で毎日遊び回った。今回も、ラウやシンに会えるのを楽しみにしていたのに、ラウは人が変わったように無口になっていて、シンもいない。
「……ラウ殿は、魔王を倒すために一生懸命なのですよ」
幼いアルにシンが殺されたとは告げられず、ファーネリウスは言葉を濁した。
「そうだ、エミリア様を遠乗りに誘ってみてはいかがですかな?エミリア様も、社交で疲れ果てている頃合いです。きっと喜ばれますぞ?」
「ほんと!?」
素敵な提案にアルは飛びついた。
早速母を誘うために部屋へ戻る。
ご機嫌斜めな母に遠乗りを提案すると、目を輝かせた母は
「あーしかたないなー、アルが退屈してて、可哀想だしなー、アルがどうしてもっていうしなー」
などと「アルのため」を免罪符に、拗ねる父を残してさっさとエルフの王城を飛び出した。
「ああもう、社交なんてクッソ喰らえー!!」
「くそくらえー!!」
馬に乗り、思いっきり森の中を駆ける。
母は王妃というにはあまりにも明るく活発な人で、社交が苦手で、遠乗りやダンスが大好きだった。弓の名手で、魔族討伐に参加したこともある。
実際、父と出会ったのも武道会だった。
舞踏会、じゃなく、武道会。
弓部門の優勝者と、剣部門の優勝者だったという。
アルはそんな両親が大好きだった。
叔父上も、もう死んでしまったけど優しかった叔母上も、お兄ちゃんのオルグも、可愛い妹のレティも大好きで、この幸せがずっと続くと信じて疑っていなかった。
「ねえ、母さま?魔王が攻めてくるの?」
森の奥まで駆け抜けて、泉のほとりで馬を休めながら、アルは母に聞いた。
「う~ん、どうだろう。すぐには来ないかもしれないけど、来るのかもねえ」
「父さまや母さまも戦いに行くの?」
「お父様は王様だから行けないかなぁ。母様も、アルを護らなきゃいけないから行けないな」
「先生は?」
「そうだね、ファーネリウスは強いから」
「ぼくも、大きくなったら戦いに行くよ!それで、オルグ兄さまと一緒に魔王を倒すんだ!」
「あはは、それは頼もしいなぁ」
明るく笑って、母はこつんとアルと額を合わせた。
「みんなね、魔王を倒すために一生懸命なんだよ。この世界を魔王や『穢れ』から取り戻すために」
……だから、退屈でももう少し我慢しよっか。
「……はぁい……」
花のように笑う母に、しぶしぶ頷いて。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか!遅くなっちゃうと、お父様がまた拗ねちゃうし」
そう言って母が立ち上がり、護衛のエルフに頷いて。馬の手綱に手をかけた……そのときだった。
「久しいな、アルトゥール」
背後の木陰から声がかかると同時に、アルの身体は宙に浮いた。
「エド…ワウ…おじさま…?」
気配もなく現れてアルを抱き上げたのは、アルにもなんとなく覚えのある男だった。
「……ファティアス卿?」
「やあ、エミリア」
エドワウ・ファティアス。
剣豪ファーネリウスの二人の弟子のうち、一番弟子にあたる男で、父アルフォンゾの兄弟子。昔は城にも遊びに来ていたが、ここ何年かはさっぱり姿を見せなくなっていた男だった。
「エドワウおじさま、どうしたの?なんでこんなとこにいるの?」
「アルトゥールをお放しください。ファティアス卿」
状況が呑み込めなくて、きょとんとするアルとは裏腹に、母の声は固かった。
「つれないな、エミリア。五年ぶりだというのに」
「お下がりください!エミリア様!」
「何者だ貴様!どうやってこの森に侵入した!」
「ここがエルフの聖域内と知っての狼藉か!」
ファティアスが一歩踏み出すと、護衛のエルフたちが警戒もあらわに前に出る。
「黙れ。小うるさい亜人風情が。私はエミリアと話しているのだ」
「!!」
声を荒げるわけでもなく、ファティアスがそう言って睨むと、剣の柄に手をかけていたエルフが吹っ飛んだ。
「母さま!」
「お前も、少しおとなしくしておいで」
暴れて身をよじろうとした途端、一瞬アルは宙に浮き、次の瞬間首を掴んで吊り上げられた。
「アル!」
「……っか……っ…はっ…」
ぎりぎりと喉にかかる力に息もできず、目の前がどんどん暗くなってくる。
「……いい子にしておいで。今、エミリアと大事な話をしているのだからね」
「卑怯者!アル様を離せ!」
気を失う寸前に力を緩められ、息も絶え絶えなアルを助けようと矢をつがえたエルフは、視線だけで胸に大穴を空けられて地に倒れた。
「やめて!その子を離して!」
「おお、エミリア、構わないよ。君の頼みならば」
そう言って、ファティアスはぐったりしたアルを地面に投げ捨てる。木の根に強かに頭を打ち付けたアルの世界は、母の悲鳴を最後にそこで暗転した。