修練の島
「今日は浮島へ渡りましょう」
修練二日目の朝、朝食の席で、リュドミュラはそう言って微笑んだ。
「ほんとに!?」
「本当ですよ。ソータ殿は竜の剣を忘れないように。オルグも帯剣してくださいね」
目を輝かせる颯太とリュドミュラのやり取りを聞いて、依那は首を傾げた。
護衛の騎士もいるのにオルグまで帯剣するとは……浮島は危険な場所なのだろうか。
「では、食後、各自用意して南のテラスに集合してください」
リュドミュラの言葉に一同は頷き、食後それぞれ準備を整えて南側のテラスへと集合した。
「では行きましょうか」
一同を見渡して、リュドミュラはテラスの外の斜面を下り、湖へと歩いて行く。
だが、そちらには桟橋も船をつけられる場所もない。
「リュドミュラ様?昨日の桟橋からボートに乗るんじゃないんですか?」
「いいえ?」
後を追う颯太に微笑んで。
「あの島は浮島ですから。島に来てもらうのですよ」
「は?」
島に……来てもらう?
言われた意味が判らずぽかんとする颯太の前で。リュドミュラは軽く右手を挙げた。その途端。
「え……ええええ?!」
浮島が淡く光った、と思う間もなく。浮島は波を蹴立てて動き出した。……この岸に向かって。
「…うそぉ!?」
ものの1分もかからないうちに、浮島は本当に近づいてきて、目の前の岸辺に接岸してしまった。
「さ、エナ姉さま、ソータ様」
「足元に気を付けてくださいね?」
唖然とする姉弟を尻目に、レティもオルグも当然、という顔をして浮島に向かっていく。
「……話には聞いていましたが……」
「まさか本当だったとは……」
騎士たちも驚きながらも後に続く。
「おら、お前ら置いてくぞ」
アルに小突かれて、やっと我に返った二人は慌てて浮島に上がった。
全員が乗り込んだのを確認して、また浮島は湖の沖へと移動していく。
「……動いてるよ……」
「はっ!もしかしてこの島、カメの背中に乗ってるとか!?」
「いいえ?普通の浮島ですよ?」
閃いた!と言わんばかりの颯太だったが、あえなくリュドミュラに却下される。
「……普通、島って動かないよね……」
「動かないと思う……」
魔法なのか、湖の精霊を宿すが故なのか。
どっちにしろ、とんでもないな、この人。とリュドミュラに対しての認識を改める姉弟だった。
そのリュドミュラが道すがら説明するところによると、この島はだいたい2キロ四方ほどの大きさで、星女神ヴェリシアを祀る、古い神殿がある以外何もない島なのだという。
「ただ、ここ数代の勇者と聖女がここで修練を積んでいますので、修練の島、または、聖地、とも言われておりますわ」
「うええ…そんなとこ入っちゃっていいのかな?」
「もちろんですわ。皆様はわたくしのお客様ですもの」
にっこり。なんて微笑むが。
逆に言えば、リュドミュラ様の許可がなければ立ち入れないってことじゃないだろうか。
「さあ、着きましたわ」
岸から歩くこと十数分、島の中央の丘の上に古びた神殿が建っていた。
石造りの壁は蔦が這っている部分もあるが、しっかりとしていて、ちゃんと手入れされているように見える。
中に入ると小さな外陣の向こうに内陣と後陣があり、王都の聖教会にあるものとよく似た聖女像が優しく見下ろしていた。祭壇は色とりどりの花で埋められ、ステンドグラスから入る光が美しくあたりを照らしている。
ステンドグラスの意匠は花と竜だが、ドーム型の天井には星が描かれていた。
「前から思ってたけど、なんで竜なの?」
「創生神アルスは竜の姿で現れたという伝説があるからですわ」
祭壇の前まで行くと、レティは跪いて祈りの言葉を唱える。依那もその横に並んで祭壇に祈りを捧げた。
なんだろう?この……雰囲気…
神気……というのだろうか。
王都の聖教会よりも神聖な気のようなものがここには満ちているような気がする。
「では……ソータ殿、エナ殿、レティ、アル、オルグ…こちらへ。騎士の方々はこちらでお待ちください」
内陣まで来るとリュドミュラは騎士たちにそう言って、依那たちを後陣の後ろ――祭室のひとつへと導いた。そこには小さな階段室になっていて、一行はその階段を下る。
「…ここは……」
地下になるはずのそこは、天井の高い、不思議な空間だった。
薄青く光る天井は、天井というより空のようで、その下に直径20メートルくらいの…ちょうど、王宮の、修練場の舞台と同じくらいの大きさの、円形の池があった。その周りを円柱がぐるりと囲んでいる。
池だと思ったのは、その漆黒の表面にところどころ小さな蓮の葉のようなものが浮かんでいたからだ。周りの円柱も天井を支えているわけではなく、池を護っているようだった。
「ソータ殿、こちらへ」
「あ、はい」
リュドミュラは平然とその池の上に歩いて行く。その足元には波紋が広がるが沈まないところを見ると、黒い水盆の上に薄く水が張っているだけなのだろうか。
「うおっ?!」
恐る恐る池に足を踏み入れた颯太は、ずぼっと膝まで深みに嵌って悲鳴を上げた。
「颯太!」
「あらあら……無様ですこと」
取り出した扇で口許を隠しながら、リュドミラはくすくす笑う。
「え?え?な…なんで?」
「魔力を全身に張り巡らせるのですよ。足元も疎かにしてはなりません」
「ま…魔力?え?足元に?」
傍まで来てしゃがみ込むリュドミュラに慌てて、颯太は彼女と自分の足元を見比べる。
すぐ傍にいるのに、リュドミュラは沈まなくて、自分は沈む。これが魔力が巡ってないってことなのか?
でも、魔力って言われても、どうやって?足元?
ちょっと悩んで、颯太は手のひらに目をやる。
あのとき。
『穢れ』を斬ったとき、ラウと戦ったとき。
目の奥に浮かんだ模様を剣に載せた。あんな感じで、手のひらに意識を集中して……
「あ」
意識を集中した手で水面に触れると、今度は硬い手ごたえがした。
これなら、と剣を握った手にも意識を集中させて、よじ登るようなイメージで水面に身体を押し上げ……ようとして、バランスを崩した颯太は悲鳴を上げた。
今度は頭まで水没し、慌てて水面に浮かび上がる。
「颯太!大丈夫!?」
「エナ殿は下がって」
静かな、だが有無を言わせないリュドミュラの声に、駆け寄ろうと足を踏み出したまま依那は固まった。
動…けない?なにこれ?
池に近づこうと感情は焦っているのに、まるで石にでもなったかのように、指一本動かせない。
「さて、ソータ殿。何故沈んだかわかりますか?」
水面に首から上だけ出して立ち泳ぎする颯太に、静かにリュドミュラは告げる。
「先ほど、手に魔力を付与して水面を硬化しましたね?そのあとバランスを崩して水没したのは、部分的にしか魔力を付与できていないからです。……大丈夫、溺れはしません。落ち着いて、ゆっくり。全身に、魔力の膜を纏うようなイメージで」
すい、と閉じた扇で颯太の額に触れる。
「集中して。……ゆっくり………集中」
「……集中……」
颯太は言われるがまま目を閉じ、自分の奥深くに意識を集中した。
体の奥深くで何かが生まれて……血と一緒に全身を巡る……光に包まれる……
「……よろしい。できましたね」
「へっ?」
ぽん、と扇で頭を叩かれて目を開けた颯太は、自分が水面に座り込んでいるのに気づいた。
いつの間に!?水面によじ登ってないのに!
「うひゃっ!」
慌てて立ち上がろうとした途端に、また膝まで水に沈む。
「ほらまた。集中を切らしてはなりませんよ」
「えっと……」
もう一度さっきの感覚を思い出して集中すると、足元に硬い感触が生まれて押し上げられるように身体は水面に上った。
「まだ剣技は無理でしょう。まずは、水舞台を10周。魔力を巡らせる感覚に慣れてください」
「あっ!やべ!オレ、竜の剣落としちゃった!」
今の騒動で握っていた竜の剣を取り落としたことに気づき、颯太は真っ青になる。
「大丈夫ですよ、竜の剣はここに」
リュドミュラが手を翳すと水底から竜の剣が浮かび上がり、その手に収まった。
「アル、ソータ殿が慣れるまでこれはそちらで保管してください」
「おう」
言うが早いか、リュドミュラの手から竜の剣が飛び、平然とアルがそれを受け取る。
ってか、その剣バカでかくて重いよね?アル兄はともかく、リュドミュラ様、どんだけ馬鹿力なの?
「なにか?」
「あっ、いえ!」
不思議そうなリュドミュラに、颯太は慌てて訓練を開始した。
生まれたての小鹿のようにプルプルしながら、まずは一歩ずつ歩くのに慣れるところから始める。
「では、次。レティ、こちらへ」
「……はい」
深呼吸して、恐る恐るレティは池――水舞台に足を踏み入れた。一瞬足の甲まで水に沈み、そのあと水面に浮かび上がる。
「よろしい。基本の魔力操作はできるようですね」
「あの……リュドミュラ様……この池はどれくらいの深さがありますの?」
「内緒…と言いたいところですが」
足元の漆黒を覗きこむレティに、リュドミュラは悪戯っぽく笑った。
「とりあえず、オルグが頭のてっぺんまで沈むくらいはありますわね」
「兄様が……」
「ちょ……やめてください!リュドミュラ様!」
思わず全員がオルグを凝視して、視線の集中砲火を浴びたオルグは居心地悪そうに身じろいだ。
「私が沈むなら、あなただって沈みますからね!アル!」
隣で笑いをこらえる、身長がほぼ同じ従兄弟を睨む。
「では、沈むかやってみましょう。オルグ、こちらへ」
「はいはい……沈んで見せた方がよろしいんでしょうか?」
ため息をついてオルグは水舞台に上がった。さすが、こちらは沈みもせずそのまま水面に立っている。
「では……エナ殿。こちらへ」
「あ……」
言われてやっと依那は自分の身体が動くのに気付いた。
……なんだったんだろう。さっきの。リュドミュラ様がやったの……?
ちょっと警戒しつつ水舞台に向かう。
……集中……魔力を身体に巡らせて……
さっき颯太が言われていたことを思い出しながら、思い切って水舞台に踏み込むと、拍子抜けするほどあっさりと依那は水面に立った。
「あ……あれ……?」
――硬い?
2、3度足元を確かめてみるが水の感触ではない。
硬い…石のような感触がある。むしろ、どうやって颯太が沈んだのかが不思議なくらいだ。
「エナ殿は元々魔力操作ができているようですね」
「リュドミュラ様……」
「無意識で魔力を全身に巡らせているのでしょう。水舞台で沈まないのもそのためです」
「はあ……」
そう言われても、自分ではよくわからない。
「では、さっそく始めましょう」