お兄ちゃんの憂鬱
「……そうですか、そんなことが……」
あの後、しばらく呆然としていたせいで、結局逆上せた二人は、へろへろになって談話室へたどり着いた。
仰天したオルグに迎えられ、レティはソファで、依那はゆったりした一人掛けのソファに沈み込むように身を預けている。
「800年って…日本だったら鎌倉時代?うわぁ…」
「今までに…3人、聖女に会ってきたって……あたしは4人目だって…」
渡された水を飲み干し、空になったグラスを隣のソファに座る颯太に渡して、依那は少し体を起こした。
冷たい水のおかげか、怠さも眩暈もすっかり引いている。
「でもまぁ……ラウさんがいいお友達で、今は少しは楽みたいで……ちょっと安心した…っていうか」
「ハン族の連中はしょっちゅう来てるからな。ラウに至っては、第二の自宅扱いだし」
唐突に空中から『来たぞー!』と現れるラウと、ため息をつくリュドミュラの姿が目に浮かぶようだ。
「あのご長寿王子も役に立つことがあるのですね」
「お兄様ったら」
ソファに横たわるレティに膝枕をしてやりつつ、面白くなさそうなオルグを、だいぶ回復したらしいレティが窘める。
「オルグさん、どうしてそんなにラウさんが嫌いなの?」
「べ…別に嫌いなわけではありませんよ?ただ……相性が悪いというか、ちょっとムカつくというか…」
首をかしげる颯太に、オルグは慌てて弁解する。その膝の上で、妹はとうとう笑い出した。
「オルグ兄様は、ラウ様にやきもちを妬いているのですよ。ラウ様がアル兄様と仲良しだから」
「レティ!」
「まあ!お兄様、酷い!」
真っ赤になってぺちん、と軽く妹の額を叩いたオルグに、レティは笑いながら身を起こした。
「両親が亡くなったあと、俺はしばらくハン族のとこにいたんだよ。3、4年か?そこでラウとは兄弟みたいに過ごしたからな」
オルグの隣、ソファのひじ掛けに腰を下ろしていたアルが苦笑しながら言うと、オルグが口をとがらせる。
「4年ですよ!4年!しかも、そのあとの1年間は修行とか言って帰ってこなかったでしょう!お兄ちゃんがどんなに心配したか」
「なんだよ、お兄ちゃんって」
「私ですよ!私はアルとレティのお兄ちゃんですから!」
なぜか胸を張って宣言すると、オルグは颯太に向き直った。
「聞いてください!ソータ殿!アルったら、4年もシナークにいて、やっと帰ってくるかと思ったら、どこぞの傭兵団に参加して。リーヴェントとの国境近くで起こった魔族討伐に参加して、1年近くも帰ってこなかったんですよ!無事に帰ってきたからよかったようなものの……しかもなんだか口調やら行動がご長寿王子寄りになっててエナ殿にまで雑とか言われるし。シナークに拉致される前のアルはあんなに素直で可愛いかったのに……いや今のアルもかっこよくて素敵ですが、あの可愛いアルはいったいどこに……」
くうぅっ、っと拳を握るブラコン全開のオルグ。
「拉致じゃねえって。だいたい、以前だってそんなに可愛くなかっただろうがよ?」
「いいえ!可愛かったんです!お兄ちゃま、お兄ちゃまって私の後をついて回って、私の目の色に似ているって、小川で青い石を拾ってきて下さったり、木から落っこちて、痛かったでしょうに、痛くないって目に涙一杯にためて、我慢したり…」
「…アル兄って王子様だよね?…王子様って普通、木に登るの?」
「川にも入らないよね?」
「そうですわね、わたくし、3歳の頃、誕生日のプレゼントに、カエルいただいた覚えがありますわ」
姉弟と姫様はこそこそと密談する。
結論:元から十分わんぱく坊主です。
「あーでも、これで判った。どうしてアル兄だけガラ悪いのか、ずっと不思議だったんだよね」
あ、止まった。
颯太の身も蓋もない一言に、延々続いていたオルグの「可愛いアル回想」が止まる。
「……ほら、ガラ悪いって言われてますよ?」
「ほっとけ!」
そんなとき、片隅の時計が時を告げた。
「もうこんな時間ですか。そろそろ寝ないと明日に響きますね」
そろそろ真夜中に届こうかという時刻に、オルグが腰を上げる。それを合図にこの夜は解散となったのだった。