800年の憂鬱
帰り道は、まるでお通夜だった。
みんな言葉も少なく、いろいろなことを考えこんで家路をたどった。
夕食の席もそれは例外ではなく。各自は食事もそこそこに席を立ったのだった。
「………はぁ……」
まるで温泉旅館の大浴場のような広々とした湯船に浸かり、依那は身体を伸ばす。
「……なんだかなぁ………」
「…エナ姉さま…」
ぶくぶくと鼻の上まで湯に潜る依那を、レティは心配そうに見つめる。
「あまりお気に病まれませんよう……リュドミュラ様のことは、公然の秘密ですから……」
「……でも…それでも、さ。……やっぱ辛いこと思い出させちゃったかなぁって……さ……」
――わたくしのように、なるのです。
事も無げに言い放ったリュドミュラ。
絶対に神を宿すなと言ったあの真剣な眼差しと、それが恐ろしいと言った悲しい瞳。
あの人は、この寂しい土地で、たった一人で、どんな思いで暮らしているのだろう……
家族も友達も、愛する人はみんな彼女を置いて逝く。
どれほどの孤独だろう。そんな時間を、果てしない時の中を生きていくなんて。
「そこまで悲惨なものでもありませんよ」
「へっ?」
湯気の向こうからかけられた声に慌てて振り向くと。
「リュドミュラ様!?」
そこに立っていたのは今話題に上っていたリュドミラその人だった。
「わたくしもお仲間に入れてくださいな」
慌てる二人に構うことなく、リュドミラはさっさと湯に入ってくる。
「おばあちゃんが一緒じゃおいやかしら?」
「いえっ!そんなことは!!」
じつはとんでもない年齢だと聞かされても、リュドミュラはせいぜい20代後半にしか見えない。おばあちゃんどころか、確実にお母さんより若い!!
肩まで湯に浸かり、ほぅ、と小さく息をついてリュドミュラは微笑んだ。
「先ほどは少々大げさに申しましたが……エナ殿が気に病むほど、今は悲惨でもないのですよ。本当に」
「そう……なんですか?」
「最初は……精霊を宿した当初は、本当に辛かった。わたくしは歳をとらないのに、父も、母も、婚約者も、みんなはどんどん老いていく。自分がもはや人間ではない、と受け入れるまでは地獄のような日々でした。人と関わるのが怖くて、ここに閉じこもり、何十年も人に会わなかったり、治療法を求めて各地を旅したりもしました。そんな中で……出会ったのですよ。気の置けない友たちに」
「お友達……ですか?」
「ええ。クルト族……エルフや、ラウのような長命の方々に」
「あ」
それを聞いて、依那はあの時、修練場で感じた疑問の答えが出たような気がした。
ラウととても親しげだったリュドミュラ。それはきっと、ともに長い時を過ごしてきたからなのだろう。
「とはいえ、エルフもドラゴニュートの寿命も、永遠ではありません。いずれはまた…置いていかれてしまうのでしょうが…」
「エルフって不老不死なんじゃ?」
「さすがにそれは……エルフの寿命は900歳前後…ドラゴニュートは500から600歳…といったところでしょうか。もっともラウはその壁を超えると息巻いておりますが」
「ドリュアスの方が長生きなのでしょうか…エリンの族長様は、1000歳を超えていると伺ったことがありますわ」
「ああ…あの御仁…」
レティの言葉に、リュドミュラはため息をついた。
「確かにあの方はご長寿ですが……あまりにおっとりなさっていて、わたくしとは話が合わないのですよ。なにしろ、ご挨拶だけで1時間はかかりますから」
「1時間……」
確かにそれは話が合わなさそうだ。
ちょっとためらって、依那は思い切ってずっと気になっていたことを訊いてみることにした。
「あの……失礼は重々承知なのですが……リュドミュラ様はおいくつなんでしょうか……」
「まあ!」
「いやその、ごめんなさい!ただその……見た目にはすごくお若いから…」
目を瞠ったリュドミュラは、依那の慌てっぷりに小さく噴き出した。
「本当に……エナ殿は素直で直球なのですね。…わたくしは、19歳の時に精霊の器となりました。…800年ほど前のことです」
「はっ……」
想像以上のご長寿っぷりに依那は絶句した。
「これまでに三代の聖女様にお会いしました。エナ殿は4人目の聖女様ですわ」
「わたくしも、リュドミュラ様にお伺いしたいことがあったのです」
思い切ったように、レティは顔を上げた。
「リュドミュラ様の中の精霊と、お話しすることはできないのでしょうか。お願いして、出て行っていただくことは?」
そうすれば、リュドミュラ様は人に戻れるのではないですか?
「レティ…」
リュドミュラは目を瞠り、愛おしそうにレティの髪を撫でた。
「あなたという子は……本当に優しい子に育ってくれました。…でも、それはできないのです。サリエラを宿したとき、彼女の魂はわたくしの魂と融合し一つになってしまいました。もはや切り離すことは不可能。サリエラの意識もほとんど残っていません。彼女の寿命が尽きるまで、わたくしは死ねないのです」
「そんな…」
みるみるうちにレティの瞳に涙が溜まる。そんなレティに微笑んでリュドミュラは立ち上がった。
「そんな顔しないで。またわたくしがオルグに叱られてしまうわ。さ、もう上がりましょう。逆上せてしまいますよ、二人とも」
「…リュドミュラ様…」
最後にもう一度優しくレティの髪を撫で、依那に微笑みかけるとリュドミュラは立ち去った。




