竜の試練 1
「……ちゃん………ね……ちゃん……」
……どこかで……声がする。…なに?颯太?……おねがい、あと……5分……
「ねーちゃんてば!」
「はいっ!」
耳許で怒鳴られて依那は飛び起きた。
「あ……れ?」
「あれ?じゃねーよ!ねーちゃん、ハン族の人と、なんか約束したの!?」
急すぎる覚醒に頭がついて行かなくて、ぼんやりあたりを見回すと、ベッドに乗り上げた颯太に叱られる。
「朝起きたらあの人がいて!ねーちゃんとオレになんか約束があるって言うんだけど!!」
「あの人?」
颯太の指さす方を見ると、バルコニーにハン族と思しき黒髪一本角の男性が佇んでいた。
確か、夜会の時ラウの後ろに控えていた人だ。年のころは22、3か。角は象牙のような白で、長い前髪が右目を隠している。
「勇者ソータ殿、聖女エナ殿。ハン族がひとり、クラウ・ミと申す。我が主ラウ様の命によりお迎えに参上いたしました」
その場で片膝をつき、深く首を垂れる。なんだこのお庭番みたいな人。
「あ、はい、すみません。すぐ支度しますので、少々お待ちいただけますか!」
昨夜のラウとの約束に思い至り、依那は慌ててベッドを飛び出すと、身支度のため衝立の向こう側に飛び込んだ。
「ねーちゃん、どういうこと?」
「夕べ、ラウさんが来て、颯太とあたしに手合わせ願いたいんだって。今日国に帰る前に」
「手合わせって……」
衝立の向こうでちょっと絶句して、颯太はため息をついた。
「……わかった。じゃあ、あの人、この部屋に入れないみたいだから、オレの部屋で待っててもらう。着替えたらこっち来て」
「うん、ありがと」
颯太がクラウを伴って出ていく気配を聞きながら、急いで身支度を整える。
手合わせの種目は聞いていないが、さすがに王子様に会うのに運動着はまずいだろう、と最近袖を通していなかったふくらはぎ丈のワンピースに、ヒールのないブーツ。
手早く洗顔して見苦しくない程度に髪を整え、10分後には依那は颯太の部屋の扉を開けていた。
「お待たせしました!」
「いや、問題ない。……では」
「へっ?」
クラウと目が合った…と思った瞬間。
依那と颯太の身体はふわりと浮き上がった。
「ええええええ~!?」
なに?と思う間もなく、二人の身体はものすごいスピードで窓から飛び出し、王宮の壁を越え、第1の城壁を越え、その外側にある騎士団の修練場へと飛ばされた。
「我が主よ。お二人をお連れいいたしました」
「おお、来たか。二人とも」
修練場の真ん中には身の丈ほどの剣を肩に担いだラウが待っていて。
「……ん?クラウよ。手荒な真似をしたのではあるまいな?」
どうにか着地はしたものの目を回している姉弟を見て、片膝をつく部下に不審げな目を向ける。
「……いえ、そのようなことは」
しれっとクラウは言うけど。
十分手荒だったよ!!という文句はぐっと飲み込んだ。
決して、こっちを見たクラウの、射殺しそうな目が怖かったわけではない。
「お……おはようございます…ラウ様」
「うむ、良い朝だな」
息も絶え絶えに挨拶する姉弟にラウは頷き、何もない空中からなにかを取り出した。
……しかし、それはどう見ても。
「え?に…日本刀?なんで?」
「おぬしら、異世界のニホン、から来たそうだな」
続けて取り出した木刀を軽く振って肩に担ぎ、ラウは笑った。
「もう……300年以上昔になるか…。おぬしらの国から来た勇者に、剣道というものを教わった。聞けば、ソータよ、ぬしは剣道を嗜むらしいの。ひとつ、手合わせを願いたい」
「ええ?で…でも…オレ、真剣なんて持ったこともないよ!」
「案ずるな、重量軽減の魔法をかけておる。目方は竹刀とかわらぬわ」
ひょい、と無造作に放られた刀を、颯太は慌ててキャッチする。確かに、想像した重量はなく、普段使っていた竹刀と大差ない重さだった。
―――でも。
「我から一本取るか……我に傷ひとつでもつけられたら、ぬしの勝ち。魔法でもなんでも使うがいい。良いな?」
「だから…待ってって!そういう問題じゃないんだってば!」
正眼の構えから打ち込まれた木刀を、咄嗟に刀の鞘で受ける。
「人に、真剣なんて向けられないって!当たったら大怪我するんだぞ!」
「戯けが!この我の身が刀程度に傷つけられるものかよ!」
二撃目、三撃目、と打ち込まれて、必死で受けながら颯太はじりじりと後ずさる。
速い。そして、重い。
「!」
四撃目を受けたとき、ビシリと嫌な音がして鞘が砕け散った。
続いた五撃目を真剣で受ける。
相手は木刀のはずなのに、まるで真剣同士がぶつかり合うような、金属音にも似た硬い音がした。
「どうした!これでは手合わせにならんぞ!」
「そんなこと……言ったって…」
畳みかけるような攻撃に、颯太は防戦一方になるしかない。
「『穢れ』を浄化したというのは嘘か!まぐれか!それで勇者となるつもりか!」
「………だって!」
打ち込まれた木刀を払い、颯太は怒鳴った。
「だって!ラウさんは敵じゃないじゃないか!友好国の人で……魔物でもなくて…そんな人に真剣で斬りかかるなんて、できるわけないだろ!」
『穢れ』相手なら。
倒さなきゃいけない、消さなきゃいけないものが相手なら、躊躇なく剣を振るえた。
訓練で、魔物を狩ったこともある。生き物を殺すのは初めてで、その夜は吐いて……眠れなくて、夜警をしていたアルに弱音を聞いてもらった。
だけど……何の罪も恨みもない、生きてる人間に剣を向けるなんて、そんなこと、できるわけがない…!
「ほう……ならば、敵ならば…良い……と?」
ざわり。
そう呟くと同時に、ラウの雰囲気が変わった。