夜会の前夜
最後のダンス練習で、ようやく依那はアルから及第点をもらうことができた。
イズマイアとの勉強会のことはすでにアルにも知られていたらしく。
「あんまり深く考えるな。答えられないことや判らないことは笑って誤魔化しとけ。何かあっても叔父上や俺たちがフォローするから」
などと宥められてしまったのだが。
「……ちゃんと勉強しないといけないなぁ……」
身体の疲れをお風呂でほぐし、私室でくつろぎながら依那は思う。
魔法の勉強とか聖女の力とか、そういう勉強はしていたものの、世界のこととか他国のこととか、あまり知ろうとしていなかった。
星祭りが終わったら、そういうこともちゃんと教えてもらわなきゃいけない。
「まぁ、その前に星祭りかぁ」
侍女さんが淹れて行ってくれたお茶を飲み干して、ベッドに座る。
ダンスは及第点もらった。立ち居振る舞いも何とかなる…と思う。
となると、やっぱり問題は、一向に改善しない密着への耐性か。
「………ったく、なんでいいちいち手にキスしなきゃいけないのよ~」
ベッドに寝転び、じたばたと依那は暴れる。
星祭りの夜会は明日の夜。
気の早い来賓はすでに到着し、王宮の来賓棟に入っている。
「…あああああ~!!!!」
イライラして思わず叫んだとたん。
「どうした!」
声と同時に窓が開き、アルが乱入してきた。
「きゃああ!」
「いてえっ!」
思わず手近にあった本を投げると、直撃喰らったアルは窓枠から転がり落ちた。
「エナ様!?何かございましたか!?」
寝室の扉の外から侍女の声がするのに、慌てて何でもない、と答える。扉の外から気配が消えるのを待って、依那は窓の下に転がったままのアルを睨みつけた。
「……な・ん・な・の・よ、この不審者!覗き?」
「違うわ!阿呆!」
詰め寄ると、なぜか目を隠したままアルが反論する。
「とにかく、なんか羽織れ!夜着姿だろうが!」
「あ、はい」
目を隠していたのは、風呂上がりの依那が薄物の夜着姿だったかららしい。
……変なとこで礼儀正しいというか、育ちが良いというか。
「ガウン着たよ。……で?デバガメじゃなきゃなんなの?」
「……でばがめ?」
なんだそりゃ?と言いつつアルは目を開けて起き上がった。
「警護だよ、警護。外部の連中がもう到着してるからな。そうしたら大声が聞こえたから……武闘派でもいちおう聖女様だし?」
「どーして一言多いかなー」
ソファに座ったアルに、とりあえずお茶を出してやる。
「でも、騎士団の人も厳重警戒してくれてるんじゃなかったっけ?王子様も駆り出されるの?」
「まあ……不審者の身分によっては騎士団じゃ対処できねえからな……」
……ということは、どっかの王族に不埒者がいるってこと?
「…気をつけろ。女なら見境ないのが混じってるからな」
カップを傾けるアルの瞳が真剣だ。
「それで?明日はどうにかなりそうか?」
「……ダンスは何とかなるんじゃないかとは思うんだけど…」
「問題は挨拶か…」
難しい顔で、手袋を渡される。
「手袋?」
「はめてみろ」
促されて手袋をはめると、アルは依那の手を取って何か呪文を唱えた。
「あ……」
すると手袋はするりと依那の手に溶け込み、見た目は素手にしか見えない状態になった。
「え?なにこれ!え?ええっ?」
「魔法具だ。本来は怪我を隠すためのものだが……」
言いながら依那の手を取り、そっと手の甲に口づける。
「………どうだ?」
どーもこーも!!!唇あてたままで喋るな~!!
そんな叫びさえ声にならず、鳥肌を立てる依那を見て、アルはため息をついた。
「……駄目か…」
「すっ……素手よりはましだよ?……だけど……」
たかが挨拶。されど挨拶。どうして駄目なんだろう、と自分でも悲しくなってくる。
「……よし、じゃあ最後の手段だ」
そう言って、アルは胸ポケットから小さな紫色の小箱を取り出した。指輪とか入っていそうなアレだ。
「…指輪?」
ぱかりと蓋を開くと案の定、純白の絹の上にはルビーのように赤い宝石のついた金の指輪が鎮座していた。
覗きこめば深い赤の中、金色の揺らめきが見える。とても美しい指輪だ。
ただ、大きさが結構大きい。指輪のつくりといい、男物だろうか。
「手袋外して。右手出せ」
「……?」
言われた通り右手を出すと、アルは指輪を取り上げて依那の中指に嵌めた。
「あ」
赤い石が光ったと思った瞬間、指輪はまるで誂えたかのようにサイズを変え依那の指に納まった。
「ぴったりになった……」
「綺麗だろ」
なぜか誇らしげに言って、アルはおもむろに窓を開けた。
「おーい、エリアルドー!」
「!何事ですか!殿下!」
アルが顔を出しているのが依那の寝室だと気づいたのだろう。ぎょっとしたように窓の下で騎士団長が返事をする。
「ちょっと上がってきてくれ。誰か……そうだな。若くて色気のあるやつ一人連れて」
「色気?」
「ねーちゃん?」
「ちょうどいい、ソータ、お前も来い」
隣から顔を出した颯太をも呼び寄せる。ほどなくして依那の寝室には二人の騎士とアルと颯太、男どもが四人も寄り集まった。
「何するの?」
「いいからお前はそこ座れ」
訳が判らないままソファに座らされ。
「練習だ。一人ずつ、前に跪いて淑女への挨拶を。まずはソータ、その次に騎士二人」
「はぁ!?」
「はぁ?じゃない。本番は明日だぞ?」
「……ねーちゃん、頑張って!」
「……うう……」
恨めしそうな依那に苦笑しつつ、颯太は跪いて恭しく依那の右手を取り、ちゅっとかわいらしい音を立ててキスした。悔しいが、結構様になっている。颯太のくせに!
「ししし失礼します、聖女様!」
続いて、ガチガチに緊張しつつ、金髪の若い騎士が依那の前で膝を折る。
「騎士の、まままマルクス・エレハムと申します。いい以後おみしゅりおきを!」
あ、噛んだ。
色気があるかどうかは判らないが、初々しくて好感が持てる。美形というより、美少年という感じだ。
「ずいぶん可愛いの連れてきたな」
「いきなり言われても無理ですよ。色気があるのが近くにいなかったので、これでも一番顔のいいのを連れてきました」
「ご無礼いたします!」
「あ、はい」
………………あれ?
マルクスの緊張っぷりが微笑ましくて、アルとエリアルドの会話にも聞き耳を立てていたら、なんかするっと終わったような気がする。
「……?」
「次は私ですね」
不思議に思っていると、エリアルドが徐に依那の前に膝をついて。そして依那の手を取り、顔色を変えた。
「…これは……殿下!?」
「…問題ない。俺が嵌めさせた」
「……知りませんよ」
何やら意味深な会話をして、エリアルドは依那の手に口づけ……
「え?…うそ…」
………唇の感触がしなかった。
「なんで?」
手を取られた感触はあったのに、口づけられた感触だけがなかった。
「じゃあ、最後に俺だ」
驚く依那の手を取り、アルが手の甲に口づける。
今度はなぜかバッチリ感触があって、思わずその手を振り払ってしまった。
「さすがに俺は防がれないか」
「これで防がれたら、悲劇通り越して喜劇ですよ、殿下」
「なんか……変だったんだけど?」
「エリアルドとマルクスの唇は感じなかっただろ?」
「そう!どうし……もしかしてこの指輪!?」
「王家に伝わる魔法具の一つだ。さっきの手袋と違って、嵌めた人間が望まぬ行為を防ぐ。また、その人間に害を為そうとする相手を撃退する。まぁ、御守りアイテムだな」
「……殿下……」
言い方、とため息をついてエリアルドは立ち上がった。
「それでは、私どもはこれで失礼いたします。エナ様も明日に備えてお休みください。……行きますよ、殿下」
「おう。……まあ、それがあれば明日は大丈夫だろ。ゆっくり休めよ、二人とも」
じゃあな、と言い残し、アルと二人の騎士は部屋を出て行った。
「………」
「………」
残された姉弟はなんとなく指輪を覗きこむ。
「…綺麗だね」
「うん。凄く綺麗。んで、高そう。つーか、大事なものだよね…」
エリアルドの態度からして、もしかしたら国宝とかだったりして……
「とりあえず、寝るときは外しておいた方がいいかな……」
指輪を外そうとして、びくともしないそれに依那が青ざめた。
「うそ!抜けない!?」
「え?なんで!まさか呪いの指輪!?」
颯太も慌てて指輪を外そうとするも、抜けるどころか回りもしない。
「……勝手にサイズ調節してぴったりフィットになった指輪だから、外すのにも呪文とかいるのかも……」
「そっか、魔法具って言ってたもんね」
「………寝ますか」
「………寝ましょうか」
ばいばい、と手を振って自室に戻っていく弟を見送って、依那もベッドに入った。
「…………」
指輪のはまった右手を翳してみる。
綺麗な、赤い石の指輪。きっと、大事なものなのにわざわざ貸してくれたのだろう。
「……よしっ!明日は頑張るぞ!」
呟いて、依那は目を閉じた。
さっきまでのイライラはすっかりなくなり、依那はすぐに眠りに落ちた。