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悪役令嬢、登場!

 「あなたが聖女様ですの?」


 「はい?」

 数日後、借りた本を返そうと、王宮図書室に向かい一人で廊下を歩いていた依那は、不意に声をかけられて振り向いた。

 そこに立っていたのは、かわいらしい空色のドレスに身を包んだ、同じくらいの年頃の少女だった。

 大きな青い瞳に銀色がかった水色の髪。レティとは方向性が違うがかなりの美少女だ。


 こっちの人ってホント美人が多いなー、つーか、この髪色は初めてだぞ。


 そんなことを思いながら依那は少女に向き直る。

 「召喚された聖女かということでしたら、私がそうですけど……どちら様でしょう?」

 「まっ!わたくしをご存じありませんの!?」

 「知りません」


 知らんがな、と思いつつ、依那はバッサリ斬って捨てる。


 こっちの世界に来てもう3か月近く経つが、考えてみれば王族トリオと神官庁や聖教会、騎士団の皆さんくらいとしか面識はない。

 王様にだっていつぞやの兄上トークの時に会ったっきりだ。


 「ずいぶんと疎い方ですのね!大臣の娘であるこのわたくしをご存じないなんて!」

 「はあ……」


 そんなこと言われても、その大臣すら誰だか判らんっつーの。

 

 「沢井 依那です。よろしく」

 ぺこっと頭を下げると、少女は見るからにたじろいだ。

 「イ……イズマイア・コンポジートですわ。大臣であるグレゴリオ・コンポジート侯爵の娘です」

 ドレスの裾をつまみ、淑女の礼をする姿はさすがに優雅で板についている。

 「で、そのイズマイア様?が何の御用でしょうか?」


 依那の問いかけには答えず、すっとどこからともなく取り出した扇で口許を隠し、イズマイアは不躾にもじろじろと依那を上から下まで検分した。

 周りを1周するくらい念入りに。


 「……召喚されて日も浅いのに、いち早く『穢れ』を感知し、村を救った聖女様というからどんな御方かと思いましたのに……随分と貧相な方ですのね」

 「庶民ですから」

 間髪容れずに答えると、またイズマイアはうっと詰まる。


 「なっ……なんですの!?その髪!一括りに纏めただけなんて!おまけにその服!そんなに足を出して、はしたない!そんな短い服は、下働きのメイドか下々の者が着るものでしょう!?あなたがそんな恰好をしていたら、王家の方々の品位を下げることになるのがお判りにならなくて!?」

 「そうなんですか?でも私のいた世界ではこの丈でも長い部類なんです。ほんとはズボンの方がいいんですけど、そういうのは鍛錬の時以外、レティ…レティシア様や侍女の方が許してくれなくて。髪もおろしてると邪魔になるので…サーシェスさんが守護の魔力を込めた髪紐をくださったんですが、見苦しいですか?」

 「…っ…そんなことを言ってるのではありませんわ!淑女らしくなさいと申し上げているのです!」

 「……はあ……」

 真っ赤な顔で地団太を踏みそうなイズマイアに、依那の頭の上にはてなマークが量産されていく。

 その瞬間、依那ははっと悟った。


 これって、もしかして悪役令嬢?ヒロイン苛めに来るっていう、乙女ゲームの王道展開?


 走馬灯のように、友達のなおちゃんが貸してくれた乙女ゲームの数々が脳裏をよぎる。

 攻略対象の甘ったるい台詞に耐え切れず、結局一つも攻略できたためしはないのだが、確かにどのゲームにもそういうキャラの登場があった……!


 「………ないわ~~ないない」


 だが次の瞬間、依那はその考えを笑い飛ばした。

 だって、悪役令嬢のターゲットはヒロインのはず。だったら自分のとこに来るはずがない。


 「なんですって?」

 「あ。いえ、すみません。こっちの話です」

 目を吊り上げるイズマイアに依那はかしこまる。でも、この人いったい何しに来たんだろう?

 「…ですから、わたくしの言いたいのは。淑女らしい振る舞いをなさい、ということですわ」

 気を取り直したように、イズマイアは扇を閉じた。

 「星祭りの夜会では、アルトゥール殿下があなたのエスコートをなさるそうね」

 「はあ…らしいですね」

 「らしいですねー、じゃありませんわ!あなた、その意味が判ってらっしゃるの!?」


 ビシッと扇を依那の鼻先に突きつける。


 「よろしくて?星祭りの夜会には、国内だけでなく近隣諸国の重鎮・王族が招かれます。その席で殿下がエスコートをなさるということは、あなたは我が国の重要人物であり、将来王族に迎えられる可能性があるということを示しているのです!それなのに、当のあなたがそんな庶民丸出しでどうするのです!あなた、作法はご存じですの?ドレスさばきは?ダンスは?」

 「え?ええええ?」


 ビシ、ビシ、ビシ!と扇の三段突きを受けて依那は壁際まで追いつめられる。


 「勇者様……ソータ様でしたか、そちらの方はまだ幼いと伺っておりますし、そこまで問題にはならないと存じますが、あなたは社交界デビューの年を迎えておいでですわよね?庶民の出とはいえ、王家の品位を損ねるような真似は、わたくしが許しませんわよ!」

 「そんなこと言われても~!」


 ずずいと詰め寄られて依那は竦み上がる。なにこの子怖い!


 「……おーい、なにやってんだイズマイア」

 「殿下!?」


 そんな依那を救ったのは、あきれ返ったようなアルの声だった。


 途端にイズマイアは真っ赤になってアルに淑女の礼を返す。

 「なななななんでもありませんわ!ただ、わたくしは聖女様に淑女の…心得を……」

 先ほどまでの勢いはどこへやら、イズマイアの声はどんどん尻つぼみになっていく。挙句に。


 「っ…失礼いたしますわ!」

 「あ、逃げた」


 丁寧にお辞儀をするや否や、淑女らしからぬ勢いで彼女は逃げ去ってしまった。

 「……なんだったんだろう…あの人…」

 「イズマイアは…まぁ、悪い奴ではないんだが…」

 唖然と見送る依那の隣まで来て、アルはため息をついた。

 「なんか言われたか?」

 「う~ん?服装とか髪型に駄目出しされて…あとは淑女らしくしろって、かなぁ?」


 言い方はきつかったが、言っていることは正論だ。もしかしたら、依那を心配してくれたのかもしれない。


 「淑女らしく……か……」

 何やら考え込んで、アルは依那の抱えていた本を取り上げた。

 「すまんが、これを図書室に返しておいてくれ。それから、東の音楽室にサットン夫人を寄越してくれ」

 「え?ちょっと、なに?」

 通りすがりの侍女に本を渡して指示すると、驚く依那を引っ張っていく。

 「イズマイアが言うことにも一理ある。…お前、ドレス着て動けるか?」

 「……う…」

 そういわれると、依那は自信がない。

 なんたって、裾を引きずるような服、元の世界では着る機会なんて一生ないだろう。まぁ、結婚式は別として。

 何も言い返せないまま依那は音楽室に連れてこられ、駆け付けた侍女頭のサットン夫人と有能な侍女部隊の手によって、あっという間にドレスに着替えさせられてしまった。

 「おう、結構さまになってるぞ」

 「うっさいわ!」


 依那だって女の子だ。

 ドレスに憧れがないと言えば噓になる。だがそれは、着てみたい、程度のもので着て生活したいとは思わない。


 「エナ様は姿勢がよろしいですし、体つきもしなやかでいらっしゃいますから、ドレスがお似合いになりますわ」

 サットン夫人の言葉がくすぐったい。体つきがしなやかとか、生れてはじめて言われたし!!

 「動けるか?」

 「なんとか……?」

 履きなれないヒール靴におそるおそる足を踏み出してみると、初めて履いたとは思えないほど足にフィットした靴は思いのほか歩きやすく、引きずっていると思っていた裾も床ぎりぎりの長さで、見た目ほど動きづらくはない…かもしれない。

 「っ!」

 「おっと」

 とはいえ、普通に歩きだそうとした途端に裾を踏んでつんのめった依那は、アルに抱き留められて危うく転ぶのを免れた。

 「俯くと裾踏むぞ。あと、歩幅が大きすぎても駄目だ」

 「……詳しいね」

 「エナ様、背筋を伸ばしてください。足元を見ずに」

 サットン夫人…もとい、サットン先生の指導の下、しばらくすると普通に歩いたりターンしたり、はできるようになった。多少ぎこちないが。

 「あとは、ダンスか。……お前、踊れるか?」

 「盆踊りか……マイムマイムとか、オクラホマミキサーとか?」


 違うだろうなぁ、と思いつつ申告すると、やはりアルはなんじゃそりゃ、という顔をした。


 「まぁ……初歩的なの1曲だけでも踊れるようにしとけばどうにか誤魔化せるか…」

 口許に手を当てて何やら考え込み、アルはよし、と背筋を伸ばした。

 「とりあえず、踊ってみせるからちょっと見とけ。サットン夫人、お相手願えますか」

 「喜んで」

 夫人の合図で、控えていた楽師がピアノの前に座り、軽やかなワルツを奏でだす。それに合わせてアルとサットン夫人は優雅に踊り出した。


 「どうだ?」

 1曲踊り終え、振り向いたアルに、依那は惜しみない拍手を送った。

 「すごーい!アル、王子様みたい!」

 「…王子だよ。悪かったな」

 王子様はがっくり肩を落とす。

 「……で?踊れそうか?」

 「うーん……?」


 とりあえず、元の世界の社交ダンスみたいなものだというのは判った。だが、サットン夫人のドレスの裾が長すぎて肝心のステップがよくわからない。

 「…似たようなのは…踊ったことがある……かな?公民館の社交ダンス同好会の助っ人で」

 「……まぁ、とりあえずやってみるか」

 はてなマーク飛ばしつつも、ほら、と手を取られ、基本ポジションで腰をホールドされて、依那はまたしても固まった。


 ちょっ…近い近い近い~~~!!!!


 すぐ目の前にはアルの鎖骨。ちょっと顔を上げれば吐息がかかる距離にアルの顔、肩に添えた手の下には硬い筋肉の感触。

 近さを意識した途端にそれらをリアルに感じてしまって、依那は目を回した。


 「……おい?」

 「ちょっ……タイム!」

 よろよろとアルから離れ、窓にしがみついてぜーはーと息を整える。


 この近さは心臓に悪すぎる!なんなの、ダンスってこんなに密着するものだっけ?!


 「どうした?」

 「うひゃあっ!?」

 ぽんっと肩を叩かれて依那は飛び上がった。これにはアルも驚いて目を丸くする。

 「…エ……エナ……?」

 「……う……」

 恥ずかしさと混乱で泣きそうになる。

 「……あ……あ~~~……」

 半分べそをかいた依那を見て、なんとなく察しがついたのだろう、アルは天を仰いだ。

 「……アレか。サーシェスにキスされてひっくり返ったやつか」

 「…だ…だって!そんな習慣ないんだもん!社交ダンス同好会で踊ったのだって、おじいちゃん相手だったんだもん!」

 「これは…ダンス以前の問題かもしれませんわね…」

 さすがのサットン夫人も困惑顔だ。

 「挨拶としての手の甲への口づけは一般的ですし、夜会ともなれば、ほかの殿方からダンスのお申し込みもありましょうし……」

 「パートナーチェンジってのもありか……おまえ、オルグかサーシェスとなら踊れるか?」

 アルの問いかけに、依那はぶんぶんと首を振った。


 正直、周りの男性の中で一番気軽に接しられるのはアルだ。

 それは決してアルのキラキラ度が低いというわけではなく、むしろ高すぎるくらいだが、その親しみやすい人柄のおかげというか、雑さに救われるというか……何の話だったっけ?


 「無理。オルグさんとかサーシェスさんとか、王子様と踊るなんて恐れ多い!」

 「……俺はいいのかよ…」

 お前、俺の扱い酷すぎねえか?と、ちょっと凹みつつ、王子様は依那の右手を取った。


 「……麗しの姫君、私と踊ってくださいますか?」


 別人のような甘い声で囁いて、そっと依那の指先に唇を寄せる。


 「!!!!!!!」

 ぶわっ!と音が出そうなくらいに溢れだした王子様オーラに、反射的に左手が平手打ちを繰り出していた。

 「うおっ、危ねっ!」

 間一髪で直撃を逃れ、アルは依那の手を離す。

 「こりゃ、こっちの特訓が最優先だな……」

 「そのようですわね…」


 不慣れなためとはいえ、近隣諸国の王族に平手打ちされたんじゃ下手すりゃ国際問題だ。


 「よし、お前、明日から午後2時間、ダンスと作法の特訓だ。ソータもまとめて面倒見てやるから」

 「ええっ!?」

 「…なんだよ。サーシェスが先生の方がいいか?」

 「………よろしくお願いします……」


 作法とダンスの特訓なんて、誰が相手でも遠慮したいが、あのクールビューティに密着するより、粗雑王子の方がまだましだ。……などと、アルが聞いたら怒りそうなことを考えつつ、依那はしぶしぶ頭を下げた。

 


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