疑惑の兆し
カナン王国。
エンデミオン公国の西に接する大国である。
古くからの友好国ではあるものの――近年は緊張が高まりつつある。
というのも……
「……ナイアスか……」
行儀悪くテーブルに肘をつき、アルは吐き捨てる。
カナン王国の公爵、ナイアス・メギド・ル・カナン。
伊達男として名を馳せる隣国の王族だ。
カナン王国には王女しかいないため、ナイアスが事実上の後継者となる。
だがこの男は女癖が非常に悪く、自国はもとより近隣諸国でも浮名を流している。ぶっちゃけ悪名ばかりだ。ここエンデミオンでも、あろうことかレティにちょっかいを出そうとして国外退去を喰らったことがある。
「あいつが動いてるということは、狙いはエナか」
「それで間違いはないでしょう。誘惑して自分の手駒とする気か…自国へ連れ帰る気か…」
「させるかよ!」
ぎりっと奥歯を噛んで、アルは手のひらに拳を叩きつけた。
「かの国は覇権を諦めていませんからね……聖女を取り込み、魔王を倒して世界を手に入れるつもりかもしれません」
初代の聖女と勇者がここエンデミオン公国で召喚された名残か、他国での召喚はいずれも失敗し、今や召喚はエンデミオン公国にしかできない、というのが通説になっている。そのためこの国は世界の中心となってはいるものの、国王をはじめオルグにもアルにも、世界を手中に収めようなどという野望はなかった。
「…魔王を倒し、平和を取り戻せるなら、どこの国が主導でも一向にかまわんが…あんな好色男に大事な聖女も勇者も渡すわけにはいかんな」
「当り前ですわ!」
がしゃん、と珍しくも手荒に茶器を扱って、レティはぷりぷり怒っている。
「エナ姉さまには指一本触れさせません!」
「……それで?問題は間者だけか?」
「…本当に、あなたは鋭い…」
椅子の背に身を預け、オルグは空を仰ぎ見た。
「あの村の『穢れ』騒ぎ……仕組まれた可能性があります」
「そんな!」
驚いたレティは思わず立ち上がった。がしゃん、とカップが倒れる。
「……やっぱりな…」
「気づいていたのですね」
「確証があったわけじゃない。……だが、疑いはあった」
『穢れ』は無作為に発生するとはいえ、ある程度の法則がある。
力の強い魔獣や魔人の出現に伴って発生する場合が多いが、人の行いや欲望に応じて発生する場合もあるのだ。だが、今回のように守護結界のすぐそばに……無辜の民の村に発生することは珍しい。
「ですが、人の身で『穢れ』を操るなど……できるのでしょうか」
「……さあな。……だが、やりようがないわけではない。……魔獣の幼生を捕らえて『穢れ』を呼べる親をおびき出すか…」
「……魔人と手を組むか。……ですね」
重苦しい沈黙が三人を包む。三人とも、その行為の恐ろしさをいやというほど判っていた。
「……ということで。エナ殿の警護とパートナーは任せましたよ。アル」
「……え?は?」
考え込んでいたアルは反応が一瞬遅れた。その隙をついてオルグは立ち上がる。
「お茶をごちそうさまでした。レティ。ああ、アルは夜会も式典もきっちり出てくださいね。エナ殿をあの好色男の毒牙から守れるかは、あなたにかかってますから」
「ちょっ…お前がやればいいじゃないか!」
「私、公務が目白押しなんですよ。誰かさんが逃げるものだから」
「……う……」
それを言われるとアルに勝ち目はない。
「よろしくお願いします。…エナ殿もソータ殿も社交には不慣れですから…助けてあげてくださいね」
では、と微笑んで、オルグは執務室へ戻っていった。
「あ、もちろん、白の正装の話は本気ですよ!お願いしますね、レティ!」
髪を揺らして振り返り、そう釘を刺すのも忘れない。
「はい!お兄様!喜んで!」
「……ホント、すげえよ。俺の従兄弟殿は……」
ウキウキと答える従姉妹と従兄弟を見比べて、アルは特大のため息を落とすのだった。