聖女様の格闘術講座
『穢れ』騒動から数日後。
颯太の訓練を見学に来た依那は、なぜか修練場の丸い舞台に立たされていた。
事の起こりは、颯太に体術を教えていたカノッサというスキンヘッドの大男に、颯太が「体術ならねーちゃんの方が得意」などと口を滑らしたことだった。
「なんと!聖女様は武術の心得が!?」
「そんなことありませんよ!ただ、子供のころから父の友人に剣道と柔道教わってただけで…」
むっちゃ食いつかれて、誤魔化そうとするのに、
「剣道は、剣で戦うのね。で、柔道ってのは体術…かなぁ。アル兄ぶん投げたヤツ」
などと親切に颯太が解説したものだから。
「アル殿下を…投げたですとぉ!?」
「馬鹿な!あんな細腕で?」
「聖女様のお力でしょうか!」
一気にざわつく騎士たち。
「……あ……」
やべっと颯太が口を押さえても時すでに遅く。
「聖女様!ぜひ異世界の体術をご伝授ください!!!」
やたら目を輝かせた騎士どもに土下座の勢いで懇願され、依那は模範演技(?)を披露する羽目になったのだ。
「では!よろしくお願いいたします!」
「よろしくお願いします」
騎士の中では細身の、だが、依那よりもかなり背の高い青年がお辞儀をして、構える。
彼らの使う体術はどちらかという空手に近い。
依那と颯太が通っていた警察の武道教室は剣道と柔道だけだったが、師範の警官たちにいろいろ教えられて、基礎程度なら空手の心得もある。
殴りかかってきた腕を逸らして勢いを削ぎ、襟と袖を掴んで踏み込み、投げる。重心を崩される経験などなかっただろう騎士は、拍子抜けするくらい綺麗に宙を舞った。
「……え?」
「……は?」
「はい、おしまい」
周りも、投げられた方も唖然とする中、依那はにっこり笑って見せる。
一瞬の間をおいて修練場を揺らすほどのどよめきが沸き起こった。
「い…今、何をなされたのですか!聖女様!」
「魔法か?魔法なのか?」
「いや、聖女様に胸倉をつかまれたと思った瞬間には空が見えて……何が何だか……」
「えーと、今のは背負い投げです。アル殿下を投げた技です」
「セオイナゲ!!」
半分ヤケで解説すると、周りはますますどよめいた。
「確かに……あの技では殿下が後れを取っても不思議はない…」
「いやでも、あの殿下を……」
どよどよどよ。
「へえ、噂には聞いていたが、アル殿下をぶん投げたってのは本当だったみたいだね!」
やたらどよめく騎士たちを前に途方に暮れかけたとき、不意に女性の声がかかって依那は振り返った。
「まぐれとはいえ、アル様に土をつけた女なんて、面白い。次はアタシの相手をしとくれよ、聖女様!」
騎士たちを押しのけるようにして現れたのは大柄な金髪美女だった。
依那よりも10センチは長身で、ボディビルダーみたいな体つき。騎士たちと違い、タンクトップのような上着にぴったりした細身のパンツ、手には手甲のようなものをつけている。
勝気そうな茶色い目を輝かせて、彼女は笑った。
「アタシは、闘士のアデリーナ。アタシは剣が使えないけど、そっちは剣を使ってもいいよ。相手、してくれるだろ?聖女様?」
「やめないか、アデリーナ」
挑発的なアデリーナに、カノッサが顔をしかめる。
「聖女様に失礼だぞ!」
「ハッ、いいじゃないか。この間はアル様と『穢れ』を撃退したんだろ?まぁ、ほとんどはアル様が倒したんだろうけど」
腰に手を当てて、ものすごくわかりやすく、アデリーナは依那を挑発した。
「……それとも、ひよっこ騎士のケヴィンは相手にできても、生粋の闘士のアタシの相手は怖いかい?」
「上等ですわ、この野郎」
にっこり微笑んで、依那は即決で喧嘩を買った。
こっちにきてからいろいろ鬱憤が溜まっている。
気晴らしに颯太の鍛錬見学に来てみれば、いきなり手合わせさせられたり、アル投げたからってまるでゴリラのように言われたり、訳わからんムキムキ巨乳に喧嘩売られたり。
……いいでしょう、買ってあげましょう。言い値で買ったるわ!
「ソータ殿!お止めしなくてよろしいのですか!」
「う~ん……しょうがないんじゃないかなぁ。ああなっちゃ」
微笑んでいるのに目が据わっている依那を見て、颯太は肩を落とす。
「じゃあ、行くよ!聖女様!」
「どっからでも来い!」
止めようとする周りの声も届かず、アデリーナと依那の試合は始まった。
まずは小手調べのつもりだろうか、加減されてるな、とわかる拳を避け、距離を詰める。一気に懐に飛び込もうとして……依那は愕然とした。
ちょっと待って!この人、掴むとこないーーー!
胴着ではないにしろ、騎士は襟のある服だったから掴みようがあった。だが、目の前のアデリーナはタンクトップ。……いや、掴もうとすれば掴めないこともないけど、そうするといろんなとこがポロリするのは免れない。それはいくらなんでもまずい!
「どうしたぁ?さっきの勢いは口だけかい!?」
跳び退った依那に、勢いづいたアデリーナの猛攻が迫る。
「……っ…このっ…」
強烈なパンチをぎりぎりで避けると、当たっていないのに依那の頬が切れた。
にやり、と笑うアデリーナ。だが、顔の真横まで手を伸ばしたその体勢を待っていたのは依那の方だった。
腕を引き、相手の体勢を崩し、足を払う。
「うあっ!」
敵もさるもの、たたらをふんで持ちこたえたところを大内刈り。これにはアデリーナもこらえきれず、見事に地面に転がった。
わっと歓声が上がる。
――やりすぎちゃったかな?
呆然と転がったままのアデリーナに手を差し出すと、彼女は目を輝かせて飛び起きた。
「…すげえ。すっげえよ!聖女様!なんだよ、今の技!あんなの、初めて見たよ!」
依那の手を掴んでぶんぶん振る。
「ホントにすげえ!魔法じゃなさそうだけど、今のも聖女の力ってやつなのかい?」
「あ、いえ。いまのは柔道の技で…慣れれば誰でもできますよ?」
つーか、聖女の力に投げ技なんてないだろ。……ないよな?
ないない、と否定すると、周囲が凄い勢いで食いついた。
「なんと!」
「じゃあアタシにも出来るかい!?今のと、アル様ぶん投げたヤツ!」
「私にもできますでしょうか!」
「ぜひご教授を!聖女様!!」
「なにとぞ!聖女様!」
「せーいーじょさーまー!!!!」
「ああもうっ!小学生かおまえら!」
むくつけき野郎ども(一部美女)に懇願されて、依那の猫が消滅する。
「あたしだって人様に教えられるほどの実力じゃないの!全部の技使えるわけじゃないし」
「それでもいいからさ!頼むよ、聖女様!」
「あの、ふわっとなってぽーん!というのをやってみたいです!」
「ううう……」
きらきらきら
期待に満ちた目で強請られて、とうとう依那は折れた。
「も~、ほんとに基本だけだからね!大技なんて無理だからね?」
「ありがとうございます!聖女様!!」
………後日。
提出された訓練予定の「異世界格闘術 講師:聖女様」の文字に、エリアルドとアルが首をかしげる事態になったのは言うまでもない。