颯太の失踪
事の起こりは数時間前。
この日、依那は母と弟と一緒に山へキャンプに行く予定だった。
お盆過ぎのこのキャンプは警察官だった父が生きていたころからの恒例行事で、依那も弟の颯太もずっと楽しみにしていた家族旅行だ。
だが、高校生になって部活を始めた依那は運悪く日程が試合と重なってしまい、遅れて合流することになったのだ。
間の悪いことは重なるもので、夕方には合流できるはずだったのが電車の遅延で遅れに遅れ、依那がキャンプ場の最寄り駅に着いた時には夜8時を回っていた。
電車の中で携帯の電源を落としていた依那は、電源を入れたとたん、山のような着信数に驚いて、慌てて母に電話を入れた。
そして聞かされたのが、弟・颯太の失踪である。
2時間ほど前、颯太は沢で冷やしておいたスイカを取ってくる、と言いおいてテントを出たまま、まだ戻らないというのだ。
森の中のキャンプ場とはいえ、ある程度は整地されているし、危険な獣が出るわけでもない。
最初はどこかで寄り道しているんだろう、くらいに思っていた母も、20分、30分と時間がたつにつれ不安になり、1時間ほど前からキャンプ場を探し回っていたらしい。
「とにかく、すぐそっち行くから。お母さんはテントにいて。いつものとこだよね?管理センタ―には連絡した?」
いつもは気丈な母が電話の向こうで半泣きになっているのに動揺しつつ、依那はぎゅっとスマホを握りしめる。
――私まで動揺してる場合じゃない。しっかりしなきゃ!颯太のバカはすぐ見つかるにきまってる!
そう自分に言い聞かせながら駅から飛び出すと、目の前に黒いワゴン車が停まる。
「依那ちゃん!乗って!」
「こ―ちゃん!」
運転席から身を乗り出して助手席のドアを開けたのは、父の後輩だった前田 幸一だ。父の死後もずっと親身になってくれて、依那たちを支えてくれる頼もしい存在で、柄にもなく泣きそうになった依那は急いで助手席に乗り込んだ。
「颯太は」
「今、非番のやつ総出で探してる。町内会から消防団にも協力要請出てるから、きっと大丈夫。すぐ見つかるよ」
そう、きっとすぐ見つかる。
毎年毎年、もう何年も通ってる行きなれた場所だし、そんなに広いわけでも、険しい山でもない。すぐに見つかる。見つかるにきまってる。
「……颯太のバカ、後で絶対ぶん殴る」
くしゃりと髪をかき混ぜられ、俯いたまま依那は呟いた。
強気な呟きは、半分涙声だったけど。
颯太の捜索は夜を徹して行われた。
途中から非番ではない警察も加わり、総勢50人以上で、それこそ虱潰しに行われた大捜索は、結局何の成果も上げられなかった。
颯太本人は言うに及ばず、服の切れ端ひとつ、足跡ひとつ発見できなかったのだ。
朝になり、一睡もできないまま依那と母はいったん家へ帰された。
「無理かもしれんが、ちょっとでも寝ないと。颯ちゃん帰ってきたとき、あんたが倒れちゃどうしようもない」
送ってくれた町内会長さんに頷いたものの、眠れっこないことは二人ともわかっていた。
「…依那、あんただけでもちょっと寝なさい。お母さんは…電話番してるから」
「……」
どこか張り詰めたような母の声に、息が詰まる。
夜の山の中で12歳の男の子が忽然と消えた。
家出の可能性も事故の痕跡もない――――となれば、誘拐、の可能性もあることは警察官の家族だった以上予測がついた。
無言で父の仏壇の前に座る母の背中に何も言えず、依那は黙って階段を上がった。
短い廊下の左側――颯太の部屋のドアはいつものように少しだけ開いたまま。何度言ってもドアをきちんと閉めないのが颯太の癖だった。
そっと押し開ければ、脱ぎ捨てたパジャマとぐしゃぐしゃのベッドが目に入る。中一の男の子の部屋としては、まあ片付いてるほうだろう。それなのにどうしてベッドだけはこうも乱雑なのか……
「…ま―た靴下洗濯籠に入れてない…」
ベッド横に落ちていた靴下を拾い上げる。青い横縞の入った、白いソックス。おおとい颯太が履いてた、颯太の――――
「……うっ……」
がくんと膝が崩れる。張りつめていたものが千切れて、砕けて涙が止まらなくなる。
颯太、颯太、颯太。
どこ行っちゃったのよ。何してんのよ。みんな心配してるんだよ。お母さん泣いてるよ。早く帰ってきてよ。
いろいろな想いが渦を巻いて、もう言葉にならない。
颯太のベッドに顔を埋め、颯太のソックスを握りしめたまま依那は号泣した。
颯太の捜索は、まだ終わらない…