たった一度
「一度だけの…チャンス?」
一方、現実世界では、意味深なキッチェの言葉に、颯太がごくりと生唾を飲み込んでいた。
「そう。何故細剣を手にするのがそんなに難しいか。それはもちろん、あの子に認めさせるのがほぼ無理だから、ってのが大きいんだけど。それ以前に、あの子に会えるのが聖女だけだからなの」
「えっ!?じゃあ……もしかして、その子って……」
「そうよ。聖女の試練でしかあの子には会えない。そして、何も知らないまっさらな状態であの子と向き合わなきゃ、意味がない。だから、聖女の試練は秘匿事項なのよ」
「じゃあ……今、姉ちゃんはその子に会ってるの……?」
「そうね。会って……戦ってる頃かもね」
聖女とはいえ、所詮はただの女の子だ。
たった一人、魔法も聖女の力も封じられ、物理的な戦力のみで幻獣レプトと戦って、勝てるわけがない。しかも、レプトの姿は巨大で――人間から見れば生理的に嫌悪を感じる者が少なくないらしい。
たいがいの聖女は逃げ回り、早々に泣きが入る。
魔法具で攻撃するのがせいぜいで、チュチュにより無理と判断された者は適当なところで切り上げて『時の泉』へ誘導される。
そこへ行くと聖女ではないが、立派にクルムと戦って見せたあの桃色のお姫様は大したもんだと思う。
稀に――今までにも3人ほど、戦う意志を見せ、いい勝負に持ち込んだ聖女もいた。
エカチェリーナみたいに。
彼女たちはチュチュに合格判定をもらったが――あの子のお眼鏡には適わなかった。
何故なら、彼女たちの中にもやっぱりあの子と意思疎通を図ろうとした者などいなかったのだ。
一発でヒルトを拾い上げた者も。
回を重ねるごとに、希望は薄れていく。あの子の心は凍っていく。
もはや、泉の試練はチュチュの願いを聞き入れ、レプトに立ち向かう意志を見せ、『時の泉』の底から複数回財宝を拾い上げる――その最低限の度量と優しさを見るだけの試練と成り果てていた。
しかもこの20数年の、あの泉の濁り方、穢れ具合。
あれでは試練が行えるかどうかすら危うい。
そして、あの子の精神状態も……。
あの子――ラピアにとっては、エリシュカのヒルトこそが心の支えだ。
それが泉の底に現れた小娘に奪われ、見ることすら叶わなくなって………最近ではラピアの存在そのものが薄れてきているのを感じる。もはやエリシュカの遺した希望も底をついた。
それなのに――。
何故だろう。
あの、規格外の聖女なら――この勇者の姉であり、躊躇なくキッチェを仲間と言い切ったあの聖女なら――わずかでも、希望が持てるのではないかと思ってしまうのは。
「ぶっつけ本番、たった一度のチャンスを掴めるかどうかはあの子次第よ」
「エナ殿ならやってくれそうな気がしますけどね」
不意に後ろからかかった声に、颯太は驚いて振り返った。
「……ふん、盗み聞きとは質が悪いわね、王子様」
「またまた……ご存じだったでしょう?密談にしては声が大きすぎましたよ」
腕を組んでふんぞり返るキッチェに、オルグは苦笑する。
「ソータがなかなか帰って来ねえしな」
「うわごめん!起こしちゃった!?」
「大丈夫ですわ、アル兄様は図太いんですもの。寝る気があったら雷が鳴っても起きませんわ」
笑いながらポットのお湯を確かめるレティは、まだちょっとアルに含むものがあるのかもしれない。
「えーと……みんな、いつから聞いてたの?」
「内緒のお菓子、サイコー!あたりからか?」
言いながら、アルは人数分のカップを用意し、腰の革袋から黒いパチンコ玉くらいの塊を取り出し、一つずつカップに放り込む。
「レティ、お湯くれ」
「はい、お兄様」
アルはレティからポットを受け取って、各々のカップにお湯を注いだ。
このポットは魔法具で、火にかけておけばいくらでもお湯が沸き出てくる。
お湯の中で黒い玉は溶け出し、いい匂いが漂ってきた。