悪夢との出会い
女神や精霊が描かれた、壮麗な天井画がアーチ形の天井を彩っている。
片側の壁には大きな窓が並び、美しい庭園と湖が見渡せる。
反対側の壁には彫刻や絵などが並び、豪華なシャンデリアや調度品のクリスタルがきらきらと眩い光を放っていた。
「………どこ、ここ……」
唖然と依那は天井を見上げた。
豪華というか華麗というか…煌びやかな内装からして、どこかのお城の中だろう。だが、依那にはその回廊にも、窓からの景色にも見覚えはなかった。
「…チュチュ?ラピア?」
あたりを見渡して二人の名を呼んでも、当然のごとく返事はない。
どうやら、あの黒い物体に触れた瞬間に、どこかへ飛ばされたようだ。
「……別の世界……ってわけじゃなさそう……かな?」
とりあえず、壁にかかっている絵のタイトルらしき銘文の文字は読める。
創生神さまの加護の中で、あってよかったと本当に思うものの一つが、この言語能力だ。
これのおかげで、みんなが話す、いわゆる共通語というのが依那や颯太には日本語に聞こえるし、文字も日本語として読める。これがなかったら、みんなと意思疎通ができたかも謎だ。
「まず、ここがどこか、よね……」
そして、エリシュカのヒルト、とやらを探さなければ。
とりあえず、なるべく見つからない方がいいだろう、と判断し、依那は足音を忍ばせるようにして回廊の先へ進んだ。
長い回廊を抜け、短い廊下を抜け、真っ白い大理石の階段がある小ホールを抜ける。
確かに美しい城だが…エンデミオンの王宮に比べると、ここはずいぶん人が少ないようだ。活気がないというか…生活感みたいなものが薄い。
エンデミオンの王宮なら、5分も歩けばたいがい誰かに出会う。それとも、ここは人が入れない区域なんだろうか……。
「……え?」
ホールから短い廊下を抜け、ガラスの扉の向こうを覗き込んだ依那は、思わず声を上げた。
「え……なにこれ、温室……?」
ガラスの向こうは色とりどりの花が咲き乱れる大きなサンルームだった。
一面ガラス張りのサンルームの窓からは夕暮れ始めた美しい湖が見え、その窓に面してソファセットが置かれている。
猫足のテーブルにはスズランに似た花が飾られ、花壇にはユリが咲き誇っている。
そのほかにも、水仙のような花や牡丹のような花……季節感どこ行った。
「…造花……じゃないよね……?」
おそるおそるユリの花弁に触れてみたとき、背後から鈴を転がすような声がした。
「あなた、だあれ?」
慌てて振り返った依那は、彼女を見て言葉を失った。
真っ白いユリと…名前は判らないが、綺麗な赤紫の花を胸に抱き、軽く首をかしげて依那を見る少女は、それほどに美しかった。
緩やかに波打つ、見事な金髪、シミひとつないまっしろい肌、ばら色の頬。長いまつ毛に縁どられた大きな瞳はアイスブルーで、すっと通った鼻筋、赤い薔薇のような唇。
「あなたは、だあれ?お客さま?」
あまりの美しさにただぼーっと見惚れていた依那は、少女が一歩踏み出したことではっと我に返った。
「あ……あたし……」
言いかけた依那の顔を、少し下から少女が不思議そうに覗き込む。
そのアイスブルーの瞳と目が合った瞬間―――依那の全身をとてつもない怖気が貫いた。
ざざざざざっと音を立てて背中が総毛立つ。
心臓が早鐘を討つ。冷たい汗が噴き出して、指先が凍える。
「どうしたの?」
不思議そうに首をかしげる少女からは悪意も敵意も感じられない。
だが、これは駄目だ。よくないものだ、と、依那の感覚が警鐘を鳴らしていた。
逃げたい。今すぐ。関わりたくない。だが、ここで逃げたら、ラピアの宝物は―――!
「…すみません。あまりに美しい方だったので、驚いてしまって」
恐怖をぐっと抑えて依那は当たり障りのなさそうなことを口にした。実際びっくりするほど綺麗なのは事実だし。
「まあ、ありがとう」
少女は、たいして喜んでもいないように応え、にっこりと微笑んだ。
そりゃあこの美貌だ。綺麗だのなんだのは言われ慣れてるだろう。
「それで、あなたはだあれ?わたくしのお花畑でなにをしていらっしゃるの?」
「……えーと……」
なんと誤魔化したものかと、依那は悩んだ。
本能的に、この少女に名乗りたくはなかった。聖女だということも、もちろんチュチュやラピアのことも言いたくない。
「もしかしたら、妖精さん?それとも、精霊さんかしら?」
「そ、そうです!精霊なんです!私!」
咄嗟に依那は身分を詐称した。
「まだ生まれたばかりで、よくわからなくて……ここはどこでしょう?あなたは?」
「まあ!精霊さんですのね!」
我ながらなんて間抜けな言い訳だと思ったのだが、なぜか少女は信じたようだ。
「わたくしは、エリザベート。わたくしのお城へようこそ!精霊さん」
そう言って、少女――エリザベートはフリルとレースがふんだんにあしらわれた桜色のドレスの裾をつまんで優雅に一礼した。