妥協案
コンコン、と遠慮がちなノックが2回。
ようやく泣き止んだ颯太を連れてステファーノが戻ってきたのはアルが依那を昏倒させて10分近く経った頃だった。
「……よろしいでしょうか?殿下」
「ああ、入ってくれ」
「失礼いたします」
ステファーノに続いて部屋に入った颯太は、ベッドに起き上がった上半身裸のアルを見てぎょっとした。
「ア…ル……にい……?」
その上半身にあったはずの傷はすっかり塞がり、薄赤い傷跡になっている。とても、数時間前オルグが死ぬほどの傷を引き受けたようには見えない。
「…あ…アル…兄……ほんっ……ほん、…とに……っ…」
やっと止まったはずの涙腺がまた崩壊した颯太に、アルは目を瞠った後に苦笑した。
「……ったく、おまえら姉弟は……ああ、こっちこい」
しゃくりあげながら近寄ってきた颯太をひょいっとベッドに引っ張り上げる。
子供のように丸くなって眠る依那の隣に。
「…エナといい、おまえといい、同じポイントで同じように泣くな。傷治ってんだから、いいだろうが」
「だっ……だって!…それ…って…ホントに……ほんとに、神様に……なっ……うううううう~」
「…ああ、はいはい…」
びええええーん、と泣き出した颯太を抱きしめて軽く背中を叩いてやる。
「それにしても、ずいぶん治りが速いのね。あんたに宿った神、そんなに強い神なの?」
アルの周りを飛びながら、キッチェは感心したように言った。
「まあ……その話はあとでな」
アルは左手の人差し指をそっと唇に当てる。
「……エナさんは…」
「ああ、大丈夫。あんまり泣くんで、眠ってもらった」
そう言って、依那の髪を撫でる手のなんて優しいことか。
「………ほん………っっっっとに、、救いようのない大馬鹿よね。あんたって」
肺活量が心配になるくらいのため息をついて、キッチェは腕を組んだ。
「……で?どうするの?これから。神の社にでもトンズラすんの?」
「……っ………あ~~~…」
キッチェの問いに応えようとして…アルはため息をついた。
キッチェの言葉を聞くなり、腕の中の颯太が、血相を変えてアルの髪を握り締めたからだ。絶対逃がさない、と言わんばかりに。
「…わかったわかった。逃げねえから、髪離せ。ハゲたらどうしてくれる」
「……ぜったい?姉ちゃんみたいにオレ眠らせて逃げたら、絶対許さないからね?」
何度も何度も念を押し、しぶしぶ颯太はアルの髪を離した。
「…姿を消すとか、死んだことにするとかも考えたが……だから考えただけだって!」
むぎゅ!とまた髪を引っ張られ、アルはため息をつく。
「……姉弟がこうだし、多分オルグが使い物にならなくなるだろうし。……とりあえず、記憶操作して、このまま行けるところまで行こうと思う」
「……そう…ですね。それが最善かと思います」
少し考えてステファーノも賛同した。
「魔王との直接対決さえ避ければ、殿下は最大戦力のお一人ですし。第一、殿下が姿を消せば、エナさんもソータくんも試練どころじゃなくなりますよ。下手したら、魔王なんかほっといてエンデミオン総力上げての殿下捜索作戦が敢行されます」
「…シナークも総力上げると思う」
そんな大袈裟な、と笑おうとして…笑えなかった。オルグとラウが本気で結託したら、世界の果てまで逃げても見つかりそうでちょっと怖い。
「で、筋書きどうすんの」
「ん~…こっそり身代わりの魔法具かなんか仕込んでおいたのが功を奏してオルグが助かった、あたりが妥当か?」
「ハンの秘宝を殿下がこっそり持ち出したことにしたら、信憑性は増しますよね」
悪だくみをする三人を眺めて、颯太はそっと目を伏せた。
「……ソータ?」
「この話…聞かせてくれるってことは、オレの記憶も操作する…ってことだよね?」
「…それは…」
困ったような顔をするアルに、颯太は首を振った。
「いいよ、やってくれて。覚えてたら、絶対姉ちゃんに感づかれて口割らされそうだし」
そう言って、颯太はぎゅっとアルの手を握った。
「でも……約束して。絶対、黙ってどっか行かないって。ブルムさんのひいひいひいじいさんみたいなことはしないって」
「……ああ。約束する」
その言葉を聞いて、颯太は精一杯笑った。―――眠りの魔法を受け入れて。




