策略
来た時とは別の回廊を巡り、階段を下りて、重厚な樫の扉を開ける。
その部屋はエリザベートの部屋とは対照的に暗く、がっしりとした石造りの部屋だった。
扉を入って左手の壁には大きな暖炉があり、赤々と火が燃えている。
暖炉の反対側には細長い窓が4つ並んでいて、窓と窓の間には美しいタペストリーがかかっている。
正面には王座を思わせる重厚な椅子があり、ナイアスはその椅子に向かって歩き、腰を下ろした。
「……報告を」
ナイアスが椅子の背にゆったりと身を沈め、足を組んでそう言うと、部屋の隅の暗がりからまるで湧き出たかのように部下が現れ、ナイアスの前で膝を折った。
「勇者の一行は、予定通りレーヴェの村に到着したとのことでございます。一行にはエルフ、ドワーフのほかオーガ2名も同行」
「オーガめ……」
それを聞いて、ナイアスは忌々し気に舌打ちをする。
計画では、オーガの村はスフィカの群れに襲われ、全滅するはずだった。
そもそも、襲撃はもっと早く――夜明け前の予定だったのだ。
夜半にスフィカの大群に襲われたオーガは、成す術もなく皆殺しとなる。
襲撃があったことも知らぬまま、勇者一行は、翌日の昼前に到着した護衛小隊とともに北の間道を通り、狭い峡谷の道で事故に遭う――そういう筋書きだった。
哀れにも、邪魔なドワーフとエンデミオンの王子たちは犠牲となり、かろうじて勇者と聖女、そしてエンデミオンの姫だけは、地滑りの報を聞いて心配し駆け付けたナイアスの配下が救い出す。
お人好しの甘ちゃんだという此度の勇者・聖女なら、丸め込むのも簡単だろう。
仲間の死を目の当たりにし、極限状態にいるところに優しくし、王子たちは残念だったと、涙の一つでも見せてやればいいのだ。
そうしておいて、勇者に聖剣を抜かせ、そのあとで勇者の力を奪う。初心な聖女は、ゆっくり時間をかけてものにするとしよう。
そのうえでレティシアを娶り、エンデミオンを乗っ取る。
それが当初の計画だった。
まあ、予定になかったエルフの姫は、秘密裏に救い出してペットとして飼ってやってもいい。それだけの美しさはある。
あの憎い赤毛の男も、精神を破壊したうえで母のおもちゃとして宛がってやるのも悪くはない――そう思っていたのに。
あの雨。
思いのほか強いあの雨のおかげでスフィカの速度が落ち――結果的には勇者と聖女が戦いに介入しオーガを救うという、想定外の事態が起きてしまった。
おまけに、オーガの手引きにより、一行は得体のしれぬ抜け道を通り、せっかく張った罠を回避してしまう始末。
今となっては、ルルナスの森に入る前に一行に手出しをすることは不可能だろう。
「…種を蒔き損ねた愚か者どもは」
「滞りなく。…己の不出来を恥じ、自決したとのことでございます」
つまりは、そういうことだ。もともと辿れるものではないが、これでスフィカの襲撃とナイアスを結ぶ線は完全に消えた。
薄く笑うナイアスに、美しい侍女が傅き酒の入ったゴブレットを渡す。それを受け取って香りを楽しみ、改めて口を開いた。
「あの無粋な娘は」
「……シャノワ姫におかれましては、お変わりなく。勇者一行と合流しましてからは体調不良も収まり、通例を破ってレーヴェまで同行された、とのことでございます」
「レーヴェまで……」
その答えに、ナイアスは眉をひそめた。
「…どういうことか。シャノワは一足先にレヒトへ向かうはずではなかったのか」
『…恐れながら申し上げます、閣下』
「……お前か」
不意に、報告をする部下の目の前の空間がゆらりと揺れた。
うすぼんやりとした半透明の人影が現れ、ナイアスの問いに答える。
『シャノワ姫自らオルグレイ王子に同行を願い出られ、ドワーフ、エルフの口添えにより承認された模様。このほかにも姫はオーガ、エルフとも交流を深め、あまつさえスフィカ襲撃の責を受け、オーガに謝罪いたしました』
「なんだと!」
その報告に、ナイアスは激昂した。
思わず立ち上がり、人影にゴブレットを投げつける。ゴブレットは人影をすり抜け、床に落ちて砕け散った。
「愚かな!!下等な亜人などに王族が頭を下げるとは!」
ナイアスは亜人が嫌いだった。いや、憎んでいると言ってもいい。
美しいエルフならまだ許容範囲内だが、醜いドワーフも生臭いマーマンも気位だけは高いドラゴニュートも、愚かなピクシーもみっともないハーフリンクも愚鈍なドリュアスもみんな滅べばいいとすら思っている。
勇者と聖女を手に入れ、エンデミオンを乗っ取り、世界を掌握した暁には、ドリュアスの森を焼き払い、シナークを攻め滅ぼそうとすら考えていたのだ。
それなのに……あの、おろかでみっともない従姉妹は…あろうことか、王族が亜人ごときに謝罪するなどと!!許されることではない!
「……して、シャノワは」
『選別に向かう一行を見送り、レヒトにて帰還を待つとのことにございます』
「そうか……」
椅子に座り直し、ナイアスは考えを巡らせる。
選別を受けるのは勇者、聖女にエンデミオンの王族、それからあの野暮ったい植物学者。おそらくは全員が資格を得るだろう。
ならば……。
「まずは、汚らわしい亜人ともども他国の者を始末せよ。資格を得たものは……貴様に任せる。手段は選ばぬ。証明してみせよ」
『…御意』
深く頭を下げ、人影は消え失せた。
「……それから」
呆然と、人影が消えた場所を見つめていた部下は、続くナイアスの言葉に慌てて平伏した。
「国境の砦からオーガを追い出せ。カナン領内におびき出し、根絶やしにせよ」
「……承知いたしました」
「……オーガめ……」
部下が音もなく去っていくのを眺め、ナイアスは低く呟いた。
愚かで、醜く、浅ましい亜人たち。
とっとと死に絶えてしまえばいいのだ。
自分の見たものの意味を知る前に。
約定を違えぬ為に。
新しく用意されたゴブレットじっと眺め、ナイアスは強い酒を飲み干した。