始まりの場所 2
「伝承はどうなってるの?」
「伝承は、こうだ。…盲目の少年エノクは、ある日姿を消した羊を追って巌の道に迷い込んだ。そこで星に導かれ、断絶の河を越えて聖なる泉…始まりの場所へ辿り着いた。目が見えないエノクは、竜の姿をした創生神を恐れることなく友情をはぐくみ、やがて創生神からこの世のすべての叡智を与えられた。エノクはその知識を惜しみなく人々に与え、大賢者と崇められた。だが、その知識に目を付けた魔王にエノクは連れ去られ、邪竜の生贄とされた…」
「なにそれ、酷い!!」
「創生神何やってたの!」
エノクの悲惨な最期に姉弟は文句をつける。
「創生神さまは、エノクに叡智を与えたあとこの世界を去ったとされていますわ。エノクの不遇をご存知なかったのでは……」
「それでもさぁ!友達なんだったら、ちゃんとフォローしといてほしかったよね!神様なんだし」
「クッソ魔王、ますます許せん!」
レティが慌ててとりなすも、姉弟は伝説上の(かもしれない)人物の不遇に本気で腹を立てている。
「大賢者エノクが最初に人々に知識を与えたのは、カナンの地だったとされていますわ。カナンの王城は、その場所に建てられているそうです」
「カナンには大賢者エノクの話が伝わってるのね?」
「伝わっているというか……亡くなった祖父が伝承や昔話が好きな方で…子供の頃、聞いた覚えがあります」
意外そうなフェリシアにシャノワは頷いた。
「多分……ほとんどの者は知らない話だと思いますが」
「なんにせよ…もし、ここへ来たのがお導きなら、なにかしらの天啓が与えられるのかもしれません」
ようやく感動が一段落したらしいステファーノが涙や何かでえらいことになった顔を腕で拭きながら立ち上がった。
「伝承では、エノクがこの泉の水を飲もうとしたところ、創生神が現れた、となっていますが…」
言いながら、ステファーノが水辺に近付き、水面を覗きこんだ瞬間。
「駄目!ステファーノ!」
何かを察知したフェリシアが叫ぶと同時に。
天井の水晶から迸った青い光が水面を貫いた。
「!!!」
ぶわりと輝く水面。
あふれ出した神気が渦を巻いてあたりを包む。
陽炎のように立ち上る光の波動の中で、それはゆっくりと頭をもたげた。
「…そ……」
青い光の中、顔を上げた、姿―――それは、神々しくも美しい、一匹のドラゴンだった。
すんなりと伸びた長い首を一振りして、ドラゴンは静かにその瞳を開く。
純白のドラゴンの青い瞳は、真っすぐにステファーノを見据えた。
〈 ……さが……して…… 〉
頭の中に、直接声が響く。〈導きの声〉によく似た……だが、もっと深い声。
〈 ……ほんとう…の…おはなし………しんじつの……ものがたり………それを……しって…… 〉
ゆっくりと消えていく光の中、そう伝えて。
水面の光が元に戻るのと同時にドラゴンの姿は掻き消えた。
「……ル……ナス……?」
ぽつりとつぶやき、ステファーノも倒れる。
「ステファーノ!」
「ステファーノさん!」
慌てて駆け寄ったアルがステファーノを助け起こす。
ぐったりとしたステファーノの首筋に手を当て、脈を確かめてアルはほっと息をついた。
「大丈夫だ、生きてる。……気を失っているだけらしい」
「大丈夫?ステファーノ、大丈夫?」
フェリシアが半べそをかきながら取り縋るが、依那もレティもオルグも、そして颯太もまだ動けないでいた。
「……い……今の……」
「…ド……ドラゴンだった……」
「創生神……さま……です…創生神さまの……残滓が……」
「…なんと…いう…」
ガタガタと震える身体を自分で抱きしめる。
あまりの神気に息をするのがやっとだ。むしろ、アルが何故動けるのかと言いたい。
そしてもう一人。
棒立ちになったシャノワは顔色を変えて震えていた。
「シャノワ……大丈夫?」
ようやく周りを見渡す余裕ができてそう聞くと、シャノワは今にも倒れそうな顔色で差し出した依那の手を握った。
「エ……エナ様……いま……いまの…は……」
「ああ…聞こえたのね…」
小聖女でもないシャノワは、〈導きの声〉も聞いたことがないはずだ。いきなりあれを聞かされたら驚くのも当然だろう。
「大丈夫、創生神さまの遺したお告げ…天啓?みたい。もう消えちゃったみたいだけど……」
湖を眺めても、あの巨大な神気は跡形もない。
まだまだ神気は宿っているものの、来た時ほどの濃厚さはなく、浮島の聖堂より少し強いくらいの状態で落ち着いているようだった。
「……嬢ちゃん…」
「もう、何も起こらないと思います。多分……」
「……そのようだな……」
もう一度当たりを見渡して、アルは気を失ったステファーノを担いで立ち上がった。
意識のないステファーノは、なぜか涙を流し続けていて、オルグがそれをそっと拭ってやった。
「とりあえず、高台に戻りましょう。ステファーノを休ませませんと」
「そうだな」
オルグとアルのやり取りに頷いて、フェリシアは高台に向かって声をかけた。
「シルヴィア!もういいわよ」
「はい、姫様!」
シルヴィアの声がして、高台の方にかかっていた幕のようなものが消える。
今まで気が付かなかったが、フェリシアがシルヴィアに命じて、なにか遮蔽幕のようなもので高台を覆い、地底湖で起こることを覗けないようにしていたらしい。
それを解除したことで、高台の上からエリアルドとエルフたちが顔をのぞかせた。
ステファーノを担ぐアルと、手を貸すオルグと。まだ青い顔をして震えるシャノワを左右から支えるレティとフェリシア。そして、ブルム。
殿を歩きながら、颯太は依那に向かってぽつりと言った。
「……ねえ、姉ちゃん。あの、『天啓』って……」
「……うん……」
二人とも判っていた。
ここへ導かれたのは、創生神が天啓を授けたかったのは、二人ではない。
創生神――あのドラゴンは、ステファーノに言葉を伝えたかったのだ。
「…ほんとうの…おはなし……かぁ…」
それがどんなものかはわからないけど。
ステファーノが傷つくようなものでなければいい、と思わずにはいられなかった。