8話「彼女と彼女」
コントロールが出来ない爆発した感情を乗せた拳は、弾かれた。
正確に表すなら、殴りかかる皇真の手首を歩が横なぎにはたいた。力が逸れよろけた皇真は、衝撃によるビンタ音に一足遅れ感じる手首のジンジンとした痛みでそれを理解した。
「お許し下さい。威嚇だったのは承知しています。当てる気はないとわかってはいたんですけどね」
コンコンっと皇真をはたいた手でバス停の柱をノックして言う。
「うっかり木片が飛び散り、この子に傷がついては一大事ですので」
しおらしい口調の割に飄々とした態度で話す歩は謝罪しているようで。その実、欠片もそんな事を思っていないのが伺える。
わざとらしい動作。薄っぺらな話し方。
道化師、皇真が歩に抱いた印象は正しかったと言えよう。
「目的は」
相手のペースに持ち込まれれば勝ち目がないのを素早く察知した皇真は流されてたまるかと、無理矢理に話を曲げた。が、皇真の鋭い眼光もなんのその。
歩は全く怯まず、「おや」と子首を傾げ意外とでも言いたげに目を丸くした。
「てっきり「このふざけたガキはなんだ」辺りを返されるかと思ってました」
そう言って斜め下に視線をやる場所には、未だに頭が追いついてない様子の少女が目を白黒させている。構わず皇帝は問いを重ねた。
「目的は、なんだ」
「森口華恵さんの存命です」
「……は⁇」
予想外にあっさり歩の口からでた目的は、皇真の警戒を軽々突破してしまった。二の句が告げず隙だらけの皇真に道化師は笑う。
今この時、話しの主導権は完全に歩が握った。否、元から歩むの手の平にあった。
「貴方の愛する眠り姫。彼女が目を覚さない理由。どうしてか、わかります⁇」
初めから答えを求めてはいないのだろう。皇真の口が開くのを待たずに続ける。
「土台無理だからですよ。何故かって」
仰々しく広げた腕を少女へ向け断言した。
「彼女の魂はここにあるのだから」
キチガイだ。歩へ対する皇真の素直な心情である。確かに彼女と少女が一瞬重なって見えもした。けれど、到底信じようがない無茶苦茶な話しだ。
笑えもしない妄言に、皇真の瞳の中にふつふつと湧き上がる怒りが宿る。
片足を半歩引き戦闘態勢をとる皇真が足に力を込めるのを、見計ったかの如く歩は口を開いた。
「お名前、お好きではなかった。森口華恵。僕は素敵なお名前だと思うんですが。彼女は違った。合ってますよね」
皇真の目が大きく見開く。彼女の母。佳恵から一文字取り名づけた名前。華やかな恵み。近年では古風な名前でも、愛が込められている。皇真も名は体を表す良い名前だと、彼女をそのままの名前で呼んでいる。
しかし彼女は歩の言う通り、この名前を時代遅れで野暮ったいと嫌がっていた。
されど、この事実は皇真と彼女の秘密だった。彼女の母を傷つけたくない想い故に、皇真だけ知る。
「この子から聞いた話しです。キアラさん。キアラさん!! いい加減戻ってきて」
少女の肩を揺する歩に悪足掻きに問う。
「キアラ、って呼んでんじゃねぇか」
「仮の、いえ彼女の新しいお名前です。漢字にすると希望の「希」に「愛」に「来」るで希愛来。今時でしょう」
皇真が呆然と立ち尽くす中、正気を取り戻した希愛来が歩を見て、次いで皇真を見た。
真っ直ぐに向けられる視線に、体が強張る。
「オウく、ん。わたし」
「ねぇよ。ありえねぇよ。ああ、もしかして復讐か⁇ 俺が引っ越した後、華恵と仲良かったとか。そんで華恵から聞いた話しで油断させて笑い者にしよーって魂胆だろ」
言ってる皇真でさえそれこそありえないと、わかっていて、ただ思いついた可能性を述べてるに過ぎないと物語る表情で。
希愛来を遮り、震える唇を動かし皇真は叫びこそしなかったが、強く、強く否定の言葉を吐いた。
3人の間に静寂が流れる。その静寂を俯く皇真の後ろから聞こえてきた、バスの走行音が割って入った。
「『3DPEL』『超能力』これで信憑性は増す話しです」
動かない皇真に、歩が吐息する。
「いいですか。これだけは忘れないで下さい」
さながら聞き分けの悪い子供を諭すような目と声色で告げる。決して看過出来ぬ内容を。
「五宝様。貴方が何もしなければ、彼女は、近い内に、死ぬ」
ピクリと指先が震え、のろのろと皇真は顔を上げる。逃げるのは許さないと見つめる目から逃げるように、皇真は横に着いたバスに飛び乗った。
扉が閉まる直前、足元に四つ折りの紙が投げ込まれる。
黙っている皇真に運転手が視線で、拾って早く座れと促す。皇真は何も考えられず真っ白な頭でただ拾い、後頭部座席へ倒れる形で腰を下ろした。
開いた紙には電話番号とメールアドレスの2行が真ん中にこじんまりと収まっていた。
その紙は、帰り道ビリビリに破り駅のゴミ箱にぶつけた。
皇真はこの日、スマホの電源を切ったまま眠りにつく。翌朝から、スマホは家に放置して登校するようになった。学校だけなく、外出時にも。
片時も忘れるなとばかりに脳にこびりついた声が頭の中に響く。
『五宝様。貴方が何もしなければ、彼女は、近い内に、死ぬ』
突然の非日常たる怒涛の波に襲われ気が狂いそうな日々。せめてもの慰めは学校に行って、不良の息吹が登校している時だ。
それも彼は初日以降ほとんど顔を出さず、来ても包帯を巻いた状態で授業も居眠り。放課後は指導室に連行が恒例になっているが。
話しかければいいものを、喉がつっかかり。ひたすら背中を眺めるしかしない。
息吹に友達どころかクラスメイトと認識されてるかも危ういクセして。こんな時、お前ならどうするなんて、脳内で話しかける。
なんと女々しい事だ。こんなに自分は弱かったのかと、嫌になり。一週間半、悩みに悩んだ皇真は久しく触っていなかったスマホを手に病院へ行く。
緊張しながらバスを降りたそこに、2人はいなかった。それに安心してしまう。
受付のおじちゃんもいつも通り朗らかに仕事をしていて、ようやく日常を感じる。
このまま過ぎて行けば問題ない。後はあの日をなかったことにすればいい。大体「死ぬ」なんて厨二の戯言に振り回されて恥ずかしい。苦笑いを浮かべナースセンターを通って歩く。
扉を開ければ、おばさんが労りの言葉で出迎えてくれて。ベッドには彼女がいる。
おばさんがトイレにでも行った隙に笑い話として振る舞おう。
日常。代わり映えない時間。大丈夫。
自分に言い聞かせて、通路に入ったところで悲鳴に近い怒鳴り声が反響した。
知っている声だった。
「あの子がこれ以上痩せ細っていくのを見てろってのか!!」
「大丈夫だって言ってるじゃない!! ここなら直ぐに元に戻してくれる」
「頼むから現実を見てくれよ。先生も言ってただろ。1年以内に意識が戻らなきゃ目覚める可能性は限りなくほぼゼロだって」
「アナタこそ先生のおっしゃってたこと聞いてたの!? 長期でも目を覚ました患者はいるって。話しかけ続ければ希望はあるって!!」
「それはいつ!? 10年⁇ 20年⁇ 無理だ。今でさえ金が足りないんだぞ」
「最低!! お金!? 私も働いてる、2人であの子を支えるのが愛でしょ。アナタはあの子を愛してないの!?」
「話しを逸らさないでくんねぇかな。俺は現実問題──」
通路の向こう。佳恵とシワだらけのスーツ姿を身にまとう彼女の父が言い争っている現場に立ち会ってしまい、皇真は悟る。
逃げ道なんぞ、なかったのだと。