7話「彼女⁇」
受付に名札を返却し、持ち物を受け取る。普段通り皇真を見送るおじちゃんに変わった点はなかった。
やはり病院勤めは疲れるんだろうなと。異様な雰囲気だった光景を、疲労によるものだっのだと皇真は片付けた。
夕陽を帯びた地面に木々の影が落ち、自然のピースが広がるパズルの隙間を皇真は縫うように山を降る。
皇真は生まれも育ちも東京だ。小さい時に父の田舎に行きはしたものの記憶は薄い。
されど懐かしい気持ちにワクワクするような嬉しさを森に感じる。懐かしいと安心するのは何故か。実に不思議なものだと、皇真は別段好きでも思い入れがあるわけでもない歌を口ずさみ、山を降り田んぼ道を歩く。
バスを待つ間、何をしようか。この一帯は撮り尽くしてるしなと、遠目にある綺麗な夕陽色に染まっている山を振り返ってカメラを撫でる。
皇真の父がお守りのように首に下げていたポラロイドカメラ。幼き頃の皇真はそれをいつだって憧れの眼差しで見ていた。
使うことはおろか触らせてすらもらえなかったカメラを皇真が手にしたのは、10歳のとある日だ。今から5年前、父の書斎机にポツンと置き去られていた。
バス停へ向かい始めたとろこで、誰かに呼ばれた気がして頭を上げた皇真の目が見開く。
白い毛玉が物凄いスピードで皇真に向かって来ていたのだ。この辺りの大型犬が脱走でもしたかと身構える。夕暮れの道を駆け抜ける白い塊がぐんぐん近づき、皇真の口からマヌケな声が出た。
「女⁇」
距離が狭まりハッキリ見えたのは御伽話のお姫様と見間違う可憐な少女だった。
少女は膝丈程ある雲みたいな髪を揺らし、青空を詰め込んだような瞳を輝かせ、白いワンピースの裾を交互に両足で蹴って。皇真に溢れんばかりの笑顔を向けて走って来ている。
後ろには誰もいないのだから、少女の目的は皇真で間違いない。迷子の顔でもない。
まるで、親を見つけた。そんな顔で皇真だけを見つめて真っ直ぐ来たのだから。
皇真の前で止まった少女は、華奢な肩を弾ませ何か言いかけたところで咳き込んだ。
ふらり傾く小さな体に咄嗟に腕を伸ばした。けれど、その腕が届く前に少女が力強く地面を踏みしめ体制を整える。
あまりの剣幕に若干引き気味の皇真が声をかけるより早く少女が口を開いた。
「オウ君!! オウ君だよね!!」
「……は⁇」
何を言ってるのか。思考が追いつく間もなく、今度は少女の後方から男の声がした。
汗を流し、焦った顔で来る少年は少女とは似ても似つかない容姿である。少女の兄弟としては顔面偏差値に埋められない差がある。ごくごく普通の少年だ。
あえて特徴を挙げるとすれば童顔っぽい丸い目くらいだ。
追いついた少年が少女に声をあげ、皇真に謝る。正確には謝りかけた、だが。
「キアラさん!! 勝手な行動はよして下さいよ。五宝様、申し訳ありまっゴホッゴホ、オェ」
「なんで私は……ゴホっンン」
少女も唾が変なところに入ったのか、少女と少年は揃ってえづく。なんとも汚い合唱を奏でる2人に皇真は言う。
「えーと、そのさ。バス来ちまうから歩きながらでいいか」
「鬼畜!! はぁ、ゴホッオウェ。いいで、ウェ。せなかさすって下さいっ!!」
横で「ずるい」と文句を垂れる少女は比較的、治まった様子だ。初対面で図々しい奴と思えど。とりあえず皇真は少年の背中に手をつけ、違和感に片眉を上げた。
(見た目より薄い⁇ いや違う。なんだ。なんか変だ)
何が、なのか。背中をさする皇真は少年を改めて観察するように全身に目をやる。
少女と対比して黒髪に、グレーのパーカーに身を包んでいるせいだろう。こうして少女と皇真に挟まれているとオセロに見える。
木製の屋根が見え始めた頃には少年も呼吸が落ち着き、さすっていた手を離した。
少年がくの字に曲がっていた背筋を伸ばすと、ちょうど皇真と同じ位置の目線だ。ここで増した違和感に首を傾げる。
「ありがとうございます。申し訳ありません、いきなり押しかける形になり。ひとまず座りましょう」
誰もいないバス停に頷く。わからない違和感もひとまず置いて、皇真は端に腰をかけた。すかさず少女が隣を陣取る。
怪訝な表情をする皇真を見上げる少女は、うっとりと瞳をとろかせ無遠慮に皇真の顔を見つめている。
実を言えばバス停までの道すがら、ずっとこの視線を皇真は感じていた。見られるのには慣れていても、ここまで不躾なのは初めてだ。睨みを利かせるが、より少女の視線は強まる。
どうにかしろと言わんばかりに、皇真は少女の隣に立ち苦笑している少年に話しかけた。
「テメーら誰だ。俺に何の用だ」
二人はこちらを知っているみたいだが、少女に関しては皇真は初対面だと言い切れる。こんなに目立つ存在、いくら人間関係が薄い自分でも忘れようがないと。
少年は中学時代の同級生の可能性もあるが、元よりクラスメイトを認識していない皇真にとっては初対面と変わりないだろう。
皇真の質問に。ゆったりとした口調で少年は自身の名前を言った。
「名乗るのが遅れ失礼いたしました。僕は舎人歩と申します。どうぞ、歩、とお呼び下さいませ」
うやうやしくお辞儀をした歩が八重歯を覗かせニッコリ笑う。普通、だった少年の雰囲気が一変する。
普通、なら子供が執事の真似事をしてるにしか見えない馬鹿にされる動作でも、歩のは妙に様になっていた。気品すら感じる。
道化師。
真っ先に浮かんだ言葉に、頭の中で警報が鳴り響く。
嫌な予感はしていた。していたが、こんなに早く来るなど予想外であった。
皇真の勘が告げる。「厨二」だと。
耳を塞ぐ間もなく、歩が少女を手のひらで指して続ける。
「こちらは」
「いらない」
「はい⁇」
「必要ない。わかってるもん」
恥ずかしげに頬を染め少女は確信に満ちた双眼を向ける。
「待て、待て待て」
厨二よりもっと恐ろしい。聞いてはならないことを告げられる気がして。皇真は激しく首を振った。
「美人になったね。髪型のせいかな。昔はどちらかと言うと可愛かったよね」
彼女は、こんなにぱっちりした目でなく、つぶらな一重だ。
「でも、きっと優しいのは変わらない。みんなの中心で、強い男の子」
最初に少女が叫んだ言葉に、まさか、と思ってはいた。でもありえないのだ。
だって彼女は今も病院で寝ている。
出会った時点でいつもの皇真なら勘に従い、咳き込む二人を置いて行った。それをしなかったのは、ありえない、と油断していたせいだ。先に行ってもバス停で会うとわかっていたから。
決して、期待したのではない。
「オウ君、オウ君」
畳みかける少女に、心の隅で蹲る想いを否定すべく拳を握る。
少女と彼女に共通点は皆無、だった。なのに、笑みが。赤ん坊を彷彿する可愛いらしい笑顔。彼女と少女が重なって見えた。
「私が誰か。わかるでしょ」
皇真の拳が振り上がる。