5話「恋する乙男」
恋する乙女は止まらない。まさしく今の皇真はその状態だ。
意中の彼の数歩斜め後ろの位置をキープして校門をくぐり。
玄関を入ってすぐ、目の前に設置してある掲示板に張り出されたクラス分けの前で目を凝らす彼の一挙一動に見入って。
階段を上り二階の廊下を進み。「1ーA」のプレートぶら下がる教室へ行き。今度は黒板に書かれてある座席表と、彼の座った席を照らし合わせ情報収集に勤しむ。
ピアスが揺れる耳と違い、首元はネックレスもなければ学年指定のネクタイもないシンプルな装い。
全学年の生徒の名前が並ぶ大きな表を見るのに、4歩下がっていた。皇真より5、6センチ低いと思われる。多分160前半ぐらいと推測する。遠目で見た印象より背は低い。
机のフックに鞄をかける指は傷だらけだった。それでもその指には絆創膏ではなくシルバーリングが光っている。横長のレザー鞄も、登校初日にも関わらず擦れた跡がついていて。黒地に白い線が目立つ。
黒板に書かれてある名は
「息吹武信」
実に勇ましく男らしい。背が低いのを除けば、どこからどこまでも完璧だと皇真の目を輝かせた。その背だって成長期に伸びるものだ。学年も同級生とわかり心も明るくなる。
その間、クォーター特有の整った顔に熱い視線を投げる女生徒は、皇真の視界の端にすら映っておらず。
また、クラス分けに彼と同じく記された自分の教室も眼中になく。靴を履き替えなかったのは上履きがない校風なので、そこは良しとしても。
自分の席はどこか。そもそもクラスが合ってるのかすら皇真の頭には欠片なかった。
席につくなり腕を枕に爆睡決め込む彼の寝息が、他生徒が集まり出した騒がしさにかき消されたことで。皇真はようやく自体に気付いた。
ハッと周囲を見れば座席表に人が群がっている。幸い、彼の名前が席順で黒板前だったので、さほど違和感なく佇んでいられた。けれどいつまでも立っていたら怪訝な目を向けられてしまう。
黒板上にある壁時計の長針が三つ進むと始業ベルが鳴るだろう。
最速な行動は玄関に戻り正しいクラスに行き直す。ただそれだけだ。
ところが、皇真の足は地に根を張った。堂々とその場に立ってみせた。
今教室を出て階段を降りようとしたらどうなるか。
女子が皇真に群がる。
自意識過剰でも何でもなく、そうなるのだ。皇真は自分が注目を集める存在と知っている。
彼女達は口々に言うだろう。
「どうしたの⁇ え、クラス表⁇ 私見て来ようか。名前教えて」
「えーと、私と同じだよ。一緒に行こう」
「間違えたの⁇ かわい〜。あ、私〇〇っていうの。よろしくね」
ここぞとアピールして恋人の座を得ようと捕食体制を取るのだ。現に彼女達の視線は、他の女子と皇真の間を忙しなく行き交っている。きっかけを、声をかけるタイミングを見計らっているのがピリピリ空気に伝わっているのだ。
そんな水面下の争いを繰り広げる彼女達へは、無駄だと言わざるおえない。
何故なら、皇真には心に決めた相手がいる。
皇真は、その子以外の女子にくれてやる時間もなければ優しさも言葉も与える気など微塵も持ち合わせていないのだ。
面倒ごとに巻き込まれたくない。極力彼女達と目を合わせずに皇真は前を見る。
座席表を睨む皇真の心中は、受験番号を探す時より緊張していた。
あいうえお順に配置された座席表に視線を滑らす。どこからか生唾飲み込む気配がしたが、皇真は無視した。
息吹武信から下に横へ、また下に。合ってくれと願う。
か行に入り「九坂」まできた。ありがちな苗字「小林」を通り
皇真の名前は「小林」の下の下にあった。
五宝皇真。今までこんなに自分の名前を尊く思ったことがあろうか。心の中でガッツポーズをして跳ね回った。
鼻歌を歌い席に向かう皇真を見るクラスメイトの視線は実に温いものだった。
確かに女子は互いに牽制し合っていた。熱を含んだ目もしていた。しかし、そこに心配の色も含まれてるのを皇真は感じ取れていなかった。
心配していたのは女子だけではない。男子も肩唾飲んで見守っていた。
始めからして分かりやす過ぎた。教室に行けば目立つ金髪が見えて、先に来ていた彼は見るからに不良な男子を凝視して座る様子がなく。
そろそろ先生くるんじゃね⁇ と周囲が壁時計を確認した時に、ハッと顔を上げた彼の目は「あ、やべー」と言っていた。
壁時計を見て目を点にし、ドアを一瞥して瞳を揺らし、黒板へ神様に祈るような目線を注ぎ、忙しなく動く視線は迷子のそれだった。
こんなに目は口ほどに語る、を体現した人間そうはいまい。
クラスを間違えたのか。単純に名前の見落としか。
彼の瞳が下から横へと動く。眉間にシワを寄せ口をへの字に結び名前を探している。
険しさに声をかけあぐねたクラス一同から、誰ともなくゴクリと唾を飲む音がした。
結果、彼は満面の笑み。クラス一同は微笑み。始業ベルに合わせてきた教師が首を傾げた。
学校初日と言えば自己紹介から始まるのが通過儀礼である。新入生にとって避けれぬイベント。
まずは手本だと、市松人形を連想するパッツン前髪が特徴的な先生が黒板に名前を書き、淡々と語る趣味と担当教科を右から左に流す皇真の視線は、未だに机に伏している息吹武信にあった。
生徒側になれば彼の順番は直ぐだ。そして案の定、あっという間に回った彼の番へ先生の目つきが厳しくなり、教室の雰囲気は重苦しくなる。
「おい、おい。起きろ」
女性にしては乱暴な言葉が息吹に呼びかける。だが教卓からの先生の声にピクリともしない。完全に夢の世界に落ちている。
「息吹武信。息吹」
連呼しても起きる気配がない。先生はため息を吐き、早々に諦めて次の生徒へ自己紹介を促した。
おずおずと彼の後ろに座る生徒が席を立ち話し始めたのをきっかけに、自己紹介は流れを取り戻す。
皇真も「ハーフでなくクォーターで髪は地毛であること。趣味は写真」とあらかじめ考えていたもので無難に済ました。
皇真の時に女子の歓声で少し雰囲気は緩まるも、息吹は全く起きず。先生の無表情に、皆が皆気まずそうに話す。このまま終わるかと思いきや、空気は終盤のある男子生徒の紹介で変わる。
「えっと、先に言っときまーす。縁起の良い名前だって」
生徒達が「なんだなんだ」と見る。皇真も視線を向ける。もっとも皇真の興味の対象は袖口からチラリ見える水晶玉の付いたオシャレなミサンガと、若干チャラ男っぽい事からの不良の匂いだが。
「苗字は、不可能の「不」に死ぬの「死」に草原の「原」。下は玄関の「玄」で
不死原玄でーす。
言った通り死を否定した長寿を意味する苗字だから。おまけに寺育ちのご利益たっぷりで生まれてます」
言い回しも珍しければ苗字も飛び切りの名前に教室はどよめく。皇真も目を丸くし彼を見る。
「趣味は座禅、はウソでー。食べんの好きです。特にハンバーガーとホットドックとポテトとフライドチキンと肉まんと──」
いつまで話す気だ。むしろよくそんな出るなと、指折り続くファーストフード語録は、挑発的な笑みを浮かべた先生の言葉で口を閉じた。
「そうかそうか。寺生まれか。奇遇にも私も寺生まれでな。お前の趣味は親御さんとの話のタネに覚えておこう」
「うっそぉ〜ん!!」
ドッと教室に笑いが立ち込める。近くの席に座る生徒達が「なんだそれ」とツッコミ。「寺生まれとか嘘だろ。髪染めといて」なんてその男子生徒をからかえる程、重苦しかった教室は息がしやすくなる。
「私の家では肉は禁止だった。さてさて、お前の仏教はどうなのか興味深いな」
怖いが先立っていた先生も、生徒のノリに乗るお茶目な人とわかり次第にアットホームなクラスに様変わりだ。
「午後の部活見学は任意。今日は委員会を決めたら授業は終わりだ。せっかくの午前授業、午後にならないよう決めていくぞ」
明るい返事に包まれる教室。皇真はくじ引きで体育委員に決まり、不死原はクラス満場一致で委員長になった。
顔見知りがいない高校において、立候補者がいなければ自ずと多数決になる。目立つ者に票が集まるのは自然であった。
「うっそぉ〜ん」
過半数に支持された彼からまた出た言葉は、暫く1ーAの流行語となる。
委員長の下に記された名前。一見不気味に感じるそれを、人柄のインパクトですっかり覆した彼。そんな彼の名前を、皇真はまだ目を丸くしてを見ていた。
「偶然か」
人に囲まれ揉まれる彼をジッと観察して、首を振った。
「やっぱり見たことねぇ。偶然、だな」
独言て皇真は、それよりも息吹が気になり前に視線をやる。
いつ起きたのか。息吹は先生と一緒に教室を出るところであった。生徒指導室行きだろう。
話しかけるタイミングを逃した皇真も、泣く泣く鞄を手に教室を後にする。
肩を落とし出て行く皇真を、不死原が睨んでいたのに。皇真は気づかなかった。