4話「最悪」
朝の目覚めは最悪であった。叶空はアラームの役割をしっかり果たした。おかげで皇真は起きれた。だが最悪であった。
「トアだよ!! ト・アだよ!! 起きて。起きてくださぁーい」
「喧しいわ!!」
まず寝覚めに「昨日の出来事全て夢オチでした」そんな薄い希望を、甲高い声により秒で打ち砕かれ。
「トアです!! 起き」
「喧しい!!」
叶空を遮断するように布団にくるまっていた故に、ドアが開いたのに気づかなかった皇真へ訪れた次の最悪は誤解であった。
「皇真、皇真!!」
切羽詰まった母の呼びかけに、心臓が飛び跳ねた。体も飛び起きる。
何事かと見れば、ドアノブを持ったままの状態でこちらを凝視する母に皇真は目を白黒させた。
皇真以上に目を見開き動揺した様子の母は、辿々しく言葉を紡いだ。
「ここどこかわかる⁇」
一体何を言っているのか。他人なら理解に苦しむ問いかけの意図を、皇真はすぐさまに察した。わかってしまうからこそ、皇真の表情は酷く歪んだ。
だがそれも一瞬で、隠すように口端をキュッと上げ気丈に振る舞う。
「大丈夫だよ。アラームが止められなくてムカついたんだ」
チラッとスマホを伺う。煩わしい声の主も驚いたのか、ピタリと声が止んだ。また喚かれる前に、母を追い出さなくてはと皇真は内心焦る。
「アラーム⁇」
「そおアラー……ム」
おうむ返しに言ってから、やらかしたと皇真の顔が青ざめる。
今、自分はどういった状況にいるのか。叶空は甲高い、女声にも聞こえるかもしれない声を張り上げていた。その内容は
『トアです。ト・アだよ。起きて。起きて下さい』
萌えキャラかよ。そんなツッコミとびそうな、アラームをかけていた。オタクに目覚めたと勘違いされたっておかしくない。
それにしては母の様子は変ではあるが、後から冷静になった母が「あの子も年頃かしら」なんて生温い目で皇真を見る可能性もある。
「初期設定、初期設定だかんな。あれは!!」
ビシっとスマホを指差す。自分の趣味では断じてないと主張する。言い訳に聞こえるそれに、母の反応はぼんやりしたものだった。
「アラーム、そう」
皇真の声が聞こえているのかいないのか。瞳も皇真を見ているようで、どこか遠い場所が見えてるかのように揺らいでる。
「お袋⁇」
「アラームね。ごめん、お母さん疲れてるわ。全然聞こえなかった」
「は⁇ あの声が⁇」
「声⁇」
「いや、音」
「うん。だから聞こえてなかったの。皇真が、また魘されてるんじゃないかってビックリした」
勘違いならいいの。ごめんね驚かせて、と早口にまくしたてドアが閉まる。
「聞こえてなかった⁇」
叶空は皇真に負けず劣らずな大声だった。皇真のは聞こえ、叶空は聞こえないなどあるのか。言い知れぬ悪寒が背筋を撫でる。
なんにせよ、あらぬ誤解は免れた。しかし違う意味の誤解をさせて、いらぬ心配をかけてしまった。
(こりゃ高校生活ガンバんねーとな)
友達の1人2人連れて来て、母を安心させたい思いが皇真の胸に広がる。
「スイッチオフ。カーテンオープン」
声に反応して、昨日寝る前に消し忘れていた部屋の電気が消え。代わりに左側から、カーテンの開く音と共に温かい光が部屋に差し込む。
ベッドをおり、窓ガラスのロックを外しベランダへサンダルを履いて出る。近くの公園に咲く桜が太陽を浴びる景色は美しく。目覚めは最悪だったが、外は最高の花見日和である。
落ち込んでいた気分が持ち上がり、戻ろうとした矢先だ。皇真の耳にテレビの音が入った。隣のリビングを覗き込むと母がテーブルに突っ伏していた。
窓ガラスを叩くと、億劫そうな動きで母は上半身を起こす。
「寝るならベッド行けよ」
これまたゆっくりした動きで片手を振り応える様は疲れがにじみ出ていた。こりゃダメだと皇真は日課の朝のランニングは諦め、早々に朝食の準備に取りかかるべく部屋に戻る。
掃除の行き届いた綺麗なカーペット。当然、ポスターも本棚も机も室内に変わらずあって。枕元のスマホもある。ほっとくわけにもいかない。苦々しい表情で見下ろし声をかける。
「おいオッさん、大声は出すなよ」
「ですからト・アで・す!!」
「大声出すなっつてんだろ。お袋に聞こえたらどうすんだ」
怒鳴りたいのを堪えて、渋々皇真はしゃがみスマホに顔を近づけた。
朝の最悪はこの時、叶空が語った事実で締め括られる。
「ご安心下さい。ワタシの声・姿が認識可能なのは基本、五宝様のみです」
「ちょうのうりょくしゃ、でないとダメってことか」
「いいえ。ワタシの声・姿が認識可能なのは基本的に五宝様のみです」
理解するのに数分は要した。そうして時間をかけて皇真の口から出たのは冗談めかしたものだった。
「幽霊じゃあるまいし。俺だけって。基本的にってなんだよ」
「ワタシと波長の合うものでないと、ワタシを認識は出来ない。という意味です。確率は極めて低いので基本的に、となります」
幽霊と変わりないではないか。先程背筋を撫でた悪寒が皇真の全身をかけ巡る。
叶空を認識出来るのは自分だけ。逆を言えば自分しか叶空を認識していない。
他人から皇真は、見えない相手と会話しているようにしか捉えようがない。その事実に目眩がした。
同じ超能力者すら見えないなら、どう証明すればいいのだ。
五宝皇真は正常だと。狂ってなんていないと。
絞り出したような声で皇真は縋った。
「他の、超能力者も同じなのか」
「同じ、ではあります」
ひっかかる答え方ではあったものの、ほんの少し光明がさす答えに皇真は部屋を出た。
卵の焼ける匂いに、随分と時間が経過していたと知って気落ちする。疲れている母に朝食を作らせてしまった負担も、皇真を落ち込ませた。
偶然にも皇真は今日病院に用事があった。スマホを変えたと連絡先を幼なじみのおばさんに渡す為に。
この際、先生に診てもらうか。けれどなんて伝えろと言うのか。不安にぐるぐる頭が回る。
答えが出ぬまま洗面台に着く。鏡に映るなんと情けない顔か。皇真の特徴である鋭い目つきは泣きそうに目尻が下がっている。
血の気も失せ、やや青白い顔に水を浴びせ頬を叩く。
「悪い思考は悩むだけ無駄だ」
次いで金髪をとかし、うねる毛を無理矢理伸ばすようにジェルでオールバックに固める。
もう一度鏡を見たそこには、髪を上げたことで更に整った顔つきが際立つ少年がいた。
「よしっ」
皇真は今日も俺はイカツイ、ザ・不良だと、気合いを入れて母の手伝いに行く。
出かけ際、ニュース速報で流れた「通り魔事件」が妙に皇真の印象に残った。きっと被害者がついに10人目ともなり、連日テレビで話題になってるからだろう。
今回の通り魔事件現場が、ノカノ区の隣のスンジュク区だったのも一因だ。
クラス分けに席表。必然的に生徒が集まる混雑時を避けて家を出たので、人通りはまばらだ。ジョギングに汗を流す人とすれ違ったり、犬の散歩をする近隣住人を眺めて進む。
そうして十数分歩き続け、受験・入学式と二度訪れた景色が見えてきた。
校舎をぐるり囲う番人たる塀の肌が、いく年も雨風と戦い続けシミだらけなのは以前皇真が来た時と変わらない。対して頭部はハゲから一転、ファンキーなピンク色の毛髪を生やしている。
これから緑、橙と色を変えまたハゲる頭皮を、皇真は感慨深そうに目を細め見やった。
受験時にスプレーの入れ墨がないか、こっそり探しひっそり落胆した壁を曲がったところで。
皇真のように早くに登校している生徒がチラホラ見受けられ始めた。
朝っぱらから最悪続きで、世間もよろしくない事件に嫌な感じ。学校はまさかなと、皇真の歩みは遅くなっていく。ハッキリ見えて来た校舎の前でその足が止まった。
最悪づくしだった視界に映る最高に目を奪われる。
皇真は入れ墨だらけの不良校に通いたかった。でも母を思えば選択肢から外しざる追えず。他に行きたい学校もなく。
家の近所で、そこそこの偏差値。つまりは普通の高校を選んだ。期待はしてなかった、とまで言わないが望み薄だよなと。どこか諦めもあった。
だが今、数メートル先に、皇真と同じグレーのブレザーに身を包む「彼」が居た。
脱色で傷んだ銀髪をざんばらに整えた威嚇してるような髪型。横顔に光る大量のピアスを揺らし。猫背でダルそうなオーラを放つ。どこに出しても立派な不良の彼が、皇真の届く距離に居た。
あわあわと恋する乙女と化した皇真の頭の中では、決闘書を渡すところまで走馬灯の如く想像が巡った。