37話「作戦開始の秒読み」
翌日、澄み切った空気を肺に、朝日を浴びて走る皇真がいた。
心地よい風を体に受けとめて、葉の擦れ合う自然を耳に。右・左・右・左と、足を前へ押し出す動作の繰り返し。木々が囲う土道を踏みしめる。
近所の公園を一回り、二回り。中間地点の辺りで速度を緩めた足がベンチの前で止まる。ちょうどいいような、生温くもある酸素を吸い込み、皇真は体をのけぞらせた。
(青いな)
清々しい空に上がりかけていた口角は、しかしながら。広がる青に浮かぶ白に、への字を描く。
神妙な顔つきのまま。首に下げていたタオルで汗を拭き、ベンチに座ったところで。
視界に入った、こちらへ近づいて来る人影へ片手を軽く振る。
「よぉ、おはよ。時間通りだな」
揺れる草木の音に乗って、待ち合わせの人物の声が風に運ばれて届く。
「おはようございます。五宝様」
黒髪、グレーのパーカーにジーンズ。ベンチの傍、チシャ猫仕様でない。むしろ皇真にとっては見慣れている方の歩が、いつもの胡散臭い笑みで寄って来た。
「お前、実はこの近所に住んでたりする⁇」
始発が動き出す時間帯に約束通り現れた歩に問いかける。
「いいえ。知り合いに近くまで送ってもらいました」
「……あー、あの、帽子屋。とかいう奴⁇」
「残念、ハズレです」
狩人の騒動から逃げた時のように、車で送迎してもらった想像は違ったらしい。
クスクス笑いながら隣に腰をつけた歩が、殊更唇を左右に伸ばした。その仕草をジト目で皇真は見つめる。
「南、って奴の方か」
「正解。本日の協力者、ですよ」
協力者のワードに首を傾げる。
「なんで連れて来なかった。顔見せ必要だろ」
いくら綿密に練った作戦があろうと。初対面の人間同士が事前の打ち合わせもなく、ぶっつけ本番で連携をとるのは危ぶまれやしないか。
最もらしい建前を述べる一方で、希愛来の正体に繋がる組織のリーダー。以前バス停で希愛来から聞いた、その腹心たる重要人物と落ち着いた場で接触をしたかったのが本音だ。
不服に睨む皇真へ、歩が苦笑して応える。
「あの人は大変奇抜な格好していましてね。同伴して頂くには目立ち過ぎてしまう」
「こんな朝っぱらからケイサツもパトロールしてねぇだろ」
「念には念を、ですよ。五宝様や息吹さん同様、能力者は身近に潜んでいる。どこから漏れるかわかりません」
「用心深いこった」
有りとあらゆる可能性に考えを巡らす。徹底的に警戒を怠らない有様は、薄ら寒くなるほどだ。
自身がミスを犯さない限り、今日の計画も順調にことは運ぶだろうな。口にはしないが、皇真は思う。最初こそ何故こんな奴と手を組んでしまったのかと悩んでいた。それが今ではコイツが味方で良かったなどと。
本人に伝える気は毛頭ないが。敵に回したら面倒な相手には違いない。
ゴソゴソとパーカーのポケットを探っている横を眺める。
「ご安心下さい。察しの良い、アクシデントが起きても即座に対応出来る方です。目印などなくとも、見ればその人だとわかりますし。それで、こちらがって。どうされました」
「いや、人は見かけによらねぇなーって」
「それは。褒め言葉として受け取ってよろしいですか」
「褒めてはいない」
「残念」
影を伸ばす緑が人目を遮断している、閉ざされたかのような空間。
「それで、これが昨日電話でお話した──」
「シンプルだな。てっきり、もっと派手な──」
枝葉の合間から差し込む光だけが、計画を確認し合う2人をぼんやり照らし見ていた。
***
ノカノ駅から徒歩15分ほど。一昨日、サトウ等と居たビル街とは正反対の方向に位置する住宅街。
発展していく駅とは逆に、時代に取り残されたまま放って置かれている。表通りにある綺麗な高層マンションで蓋をしたような、某裏通り。ケイサツの間で廃墟通りとも呼ばれている、荒れ果てた場所に、間隔を空けて佇む廃屋の内の一つ。
元はそれなりに豪邸だったであろう。今は伸び放題の草木のせいで森になりつつある庭の真ん中に、根を張るように存在する一軒家。その蔦が這う木造建築の空き家から少し離れた曲がり角で。息吹と皇真達は身を潜めていた。
朽ち行く空き家にキョロキョロ視線を巡らす皇真の腕を息吹が掴む。
「顔出すな。お前ただでさえ、すごい金髪なんだから。見つかって逃げられたら大変なんだぞ」
「お、おぅ」
「なんだよ」
足を広げしゃがむ。俗に言う、うんこ座り。もしくは肘を膝の上に乗せて凄む様はヤンキー座りとも言える姿勢で咎める息吹に、皇真は目を逸らして返した。
「いや。あー、その。廃墟はロマンだよな」
あまりの稚拙な口調に、小学生と話てる気分だった、なんて心境を悟られぬよう。雑に投げた皇真の話題に。力強く頷いた息吹の顔が、そうじゃなくてと引き締まる。
「ワクワクすんのはわかる。でも、緊張感持てよ。これから『暴走族の隠れ家』に突撃すんだ。それに……」
言葉を一度切り、角の向こうを睨み言う。
「例の狩人に狙われてる女の子も、ひょっとしたらいるかもしれない」
膝を伸ばす息吹に習い立った皇真が、疑問の声を上げた。
「そうは言ってもよぉ。あそこが当たりかどうか。入ってみなきゃわかんねぇだろ」
「おいっ顔出すなって」
チラっと廃屋を覗き見た皇真は、再度引っ張り戻した息吹へ口を開く。
「あれじゃ外の景色なんて見えないだろ」
くいくいっと親指で示したそこは、とても人が住める場所ではない。
家付近すら背の高い雑草で視界が悪く。玄関口の両脇にある備え付けの窓など、チリと埃による天然曇りガラスと化している筈だ。
同意を求める皇真に、息吹が首を横に振る。
「今も居るかは調べてみないとわからないのはそうでも、人の居た痕跡が残ってる」
「痕跡⁇」
頷き視線を、皇真の後ろで静かに2人の会話を聞いていたイトウ。通りを挟んだ曲がり角に控えるサトウと仲間数人にやる。
皆が耳を澄ます空気の中、息吹が告げる。
「外見は酷いが、窓だけ綺麗に拭いてある。襲撃に備えてる証拠だ。おい、五宝。確認しようとするなよ」
先に釘を打たれた皇真がギクリと体を揺らす傍ら、イトウが待ったをかけた。
「ノブ。草原、痕跡皆無」
雑草だらけの庭だ。家まで辿り着くには、膝丈の草を踏み、かき分けなくてはならない。
皇真も見た限り、足跡らしきものはなかった。もう撤退した後ではないのか。すると、警戒しているのもバカらしいのでは。
気の抜けた表情で首を傾げる皇真に、またしても息吹は否を唱える。
「痕跡残さないように浮遊能力を使って、入ってるかもしれない」
狩人も背に生やした翼で飛行していた。確かに可能性はある。
「裏は⁇」
皇真がポツリと声にする。
「裏口、か。それも──」
「五宝君さ、宮下先輩の書類ちゃんと見てなかったの」
息吹の話に、棘が含んだ口調が被さった。
聞こえた方を見れば、サトウが呆れた顔をしていた。
「wonderlandの協力で得た目撃情報。そこから割り出された潜伏場所。宮下先輩が選定して、わかりやすくまとめてくれた書類に、見取り図あったよね」
ケイサツ本部で開かれた任務の復習会議。ホワイトボードを背景に、栄養ドリンク片手に説明していた宮下が配った数枚の紙。
そこにはサトウの言うように、ここ周辺の地図から家の構造まで記されていた。
勿論、皇真も読んでいる。だからこそ言ったのだ。裏からの逃亡を否定するサトウに、皇真は言葉を重ねる。
「裏口がないのは俺も覚えてる。けどよぉ、あんだけ老朽化してりゃ壁の一部ぐらい蹴飛ばせば壊れるんだろ」
「えー、そんなわざわざするかなぁ」
訝るサトウの伺う視線を受けた息吹が「ありえる」と呟く。
「五宝の意見採用」
「ノブ君でも裏手は結構な高さの石塀があるんだよ」
「それこそ浮遊能力者にとっては都合が良い」
「あっ、確かに」
全員が納得する。そして否定したことに、ばつが悪そうにサトウが小さく「五宝君ごめん」とこぼす。浅慮だったと縮こまる姿へ構わないと返す皇真の背を、息吹が手の平で叩く。
「五宝お前なんだかんだ言いつつ、やる気満々じゃんか。静電気対策までしてきてよ」
殊更明るく言うと、皇真の指にはまるシンプルな黒いリングに視線を落とした。
「……まぁな」
「照れんなって。そんじゃあそんな、やる気ある五宝はイトウと組んで裏手に回ってくれ」
「え、イトウと」
「なんだよ。なんか文句あるか」
ギクリと肩を揺らした皇真の横でイトウが眉を潜める。
「ボク、不満⁇」
「あっいや、その。イトウ病み上がりだしよ」
「検査、問題皆無」
任せろとイトウが美少女バッヂ散りばる胸元を張る。それでも表情をくもらす皇真へ、息吹が言い聞かせるように語りかけた。
「ケイサツは万年人手不足なんだよ。狩人みたいに飛ぶ奴がいたとしても、木が邪魔して逃げる時は手間取る筈だ。仮に裏に大きい抜け道があるならwonderlandの目に引っかかってる。だったら塀に抜け穴があっても、一気に人は通れないサイズだ」
今いるメンバーの人数は皇真も合わせて6人。相手の状況は、家に居ては袋のネズミ。裏手は非効率。必然、表からの逃走が想定される。であれば、その突入部隊が戦いの中心になる。
先程の子供じみた話し方をしていた人物とは思えぬ。論理的に述べる息吹は、まるで別人だ。
「裏は塀をよじ登る奴がいようと重力操作を持つ能力者、機動力の高いイトウ。中継連絡役の1人いればこと足りる」
ケイサツのトップ軸屋が、最も信を置く仲間。幾多の抗争を乗り越えてきた人間の顔を垣間見る。
穏やかなようで、瞳の奥に鋭い光を灯した眼差しが皇真を映す。
「戦闘はイトウに任せればいい。五宝、お前は逐一オレとイトウを繋げろ」
有無を言わせぬ命令に反して、妙な心地よさを感じる。同時に重い息苦しさが胸を締め付けて。皇真はグッと喉に力を入れ「了解」の短い一言を絞り出すのが、やっとだった。