36話「孤独の決意」
そもそもにして、皇真の機嫌が最高潮に悪かったのが原因か。はたまた原因を作ったネリーがいけなかったのか。
どちらにしろ皇真の言動が招いた問題だった。
時間は皇真が能力者としての準備を終えた頃に遡る。
「はぁ⁉︎ 返せねぇだ‼︎」
リサイクル店に怒声が響き渡った。
狩人の事件について軸屋に報告を済まし、翌日からの任務の説明も聞いた。残すは新装備たる機器の試運転だと。能力使用を渋る皇真が息吹に無理無理、上へ連れ出された時に。それは起こった。
急かす息吹の足を止めたく、悪あがきも込めて「またカメラを忘れては困る」と。入店の際は居なかったチャイナ服姿をカウンターに見つけたのをいいことに、ネリーに話かけたのだ。
手を出す皇真へ、彼女が言い出したのは唐突な要求だった。
「返さない、など。いつ言いました。私は明日にでも、寺へ供養に出しなさい。出来ないのならば、あのカメラは預かっておく。そう伝えたのですよ」
皇真は思わず間抜けな声を出してしまった。
「安心なさい。信用の置ける寺を紹介します。ああ、それとアルバムなどカメラに関係する物も包んでいきなさい」
返されるのが当然のカメラが手元に来ない理不尽に口調を荒げる皇真と、社長椅子の背もたれに体を預け斜めに構えるネリー。側にいる息吹がハラハラした面持ちで視線を左右に行ききさせる。
ネリーの顔色を伺う横に構わず、皇真は天井へ向けていた手のひらをカウンターに叩き付けた。
「アンタは人の物を返さないってのか」
「お前は人の言葉を理解出来ないのですか。私は寺へ出すのなら返すと言っているのです」
間を置かずしての高飛車で淡々とした物言いは、まるで相手の方が駄々をこねている風にさえ思わせる。有無を言わせぬ迫力に、一瞬呑まれそうになるも。横目に自身を映す黒曜石の瞳を負けじと睨む。
不穏な空気にマズいと感じたのか。様子を見ていた息吹が割って入った。
「落ち着けって。なんかよくわかんないけど、寺出したら返してもらえんだろ。出したらいいじゃん」
「……お前、マジでバカなんだな」
本当にわからぬまま言ったのだろう。全く理解していない発言に、皇真は呆れ半分、怒り半分の目で見やる。
そして視線を受けた息吹が、カチンときましたとばかりに反論しようとするより先に口を開く。
「寺に出したら二度と返ってこねぇから怒ってんだ」
「へ⁇ 供養って除霊みたいなのじゃないのか。何か悪いもの憑いてるならとってもらった方がいいぞ」
除霊と供養を一緒くたに捉えている息吹へ、今度はわかりやすい2人分の憐れみの視線が注がれた。
「お前、それよそでは言うなよ。で、カメラの条件だが。俺の物をどうするかは俺が決める。アンタにとやかく言われる筋合いはねぇ、返せや」
あからさまなバカにしている声色の一言。
「息吹、お前はそのスマートフォン(おもちゃ)にでも説明を受けていなさい。それで、私の言うことを聞かないと⁇ せっかくの忠告を無碍にすると。愚民が」
耳を指先で軽く叩き、面倒だとばかりに背ける瞳。
「なっ‼︎ オレを無視して話を進めないで下さいよ」
ぞんざいな扱いに口を挟むも、皇真とネリーの注意は既に互いへ向かっていた。
息吹のかけ声など意に介さない口論は相手が言い返すたび、片や熱を帯びていき、片や冷めていく。
「返さないってんなら仕方ねぇよな。勝手にさせてもらうわ」
「ふふ、家探しをする気ですか。先ほどの無礼は見逃してやろうと思っていたのに。教えてあげましょう。カウンターを叩き付ける行為は、立派な恐喝罪なのですよ。さらに営業妨害に不法侵入と、罪を重ねるだなんて。救いようのないクズね」
互いが互いへ侮蔑をぶつける。会話の域を越えたのは皇真であった。
カウンターの奥へ回り込もうと移動する体をネリーの瞳が追う。
「待てってば、それはマジでやめとけよ‼︎」
静止すべく伸ばされた息吹の手を払い、さらに一歩横へ。後半歩も足をずらせばカウンターの敷地内。
ネリーの半身がゆらりと揺めき──
「そこまでだ」
皇真の進行を止めたのは息吹でもネリーでもなく、呟き程度にも関わらず聞く者へハッキリ届いた声だった。傍らで小さく「署長」とその人物の名が呼ばれる。
いつの間にいたのか。熊を連想させる巨体が皇真を背後から見下ろしていた。
天井照明の逆光でかかる影の中、静かに見つめる視線とかち合った皇真の顔が苦々しく歪む。重い沈黙が数秒、軸屋の脇をゆっくり皇真の体が通る。と、そのまま出入り口へスタスタ足を運ぶではないか。
振り返り、事情を説明しようとしていた軸屋は目を瞬かせた。止まる気配のない足は、放っておけば迷わず外に出るであろう。
「五宝君、事情を」
軸屋が咄嗟に声をかけていなかったら、それが当然のような堂々っぷりに、一同あやうく見送っていた。
「聞いて何になるってんです。結論は同じなんでしょう。俺は自分の意思曲げねぇすよ」
歩を止めはしたものの、皇真は背中を向けたまま言う。
不遜な態度に息吹が強めた視線を、頭上へ傾ける。軸屋は無言で首を振った。
「だとしても、だ。事情を聞けば状況は変わる。少しでいい。時間をくれないかな」
柔らかな口調で説得を試みる軸屋の横で、「そうだそうだ」と息吹が腕を組み頷く。3人の目が皇真の背中に集まる。
考えているのか。僅かに天を仰ぎ、次いで俯いた姿から、ため息がこぼれた。こちらを向いた体にほっとしたのも束の間。皇真の唇が言葉を紡ぐ。
「それはよぉ。アンタらにとっての都合の良い状況に、だろ」
今まで軸屋にだけは敬う姿勢をとっていた言動が一変した。子首を傾げ挑発する様にギョッとしている軸屋と息吹へ、皇真は吐き捨てる。
「心配しなくても明日からの仕事はしっかりこなしますんで。イトウにも頭下げますよ」
用は済んだと再び足を方向転換させ去って行く背中を、誰も呼び止めはしなかった。
この時から亀裂は走っていたのだろう。帰り道、息吹に無理矢理装着された、イヤーフック型の骨伝導式イヤホンがレインの通知を知らせた。それもまた、一因となる。
眉根はキツく寄り、唇も固く結ばれる。取り出したスマートフォンを胸元に仕舞い、家に着いた皇真はその日。母がいないのを確認して直ぐに冷凍庫を開けると、久々に風呂へ直行した。
ドボドボ水を張った桶に氷を落として、顔を突っ込む。
「ぼぼびっでぶだ‼︎」
意味のなさい叫びが泡になり縁から溢れ出る。
「ぶはっ」
減った水面から顔を上げて、雫が垂れる頭ごとタオルを擦り付ける。
まだ湿りを帯びるぐちゃぐちゃの金髪を後ろへ撫で付けて、露になった瞳に。危うさを含む光を宿し、呟いた。
「やってやろうじゃねぇか」
決意を固めた皇真の宣言は、誰に言うでもなく。顔を拭う布に吸収された。
キリのいい場面で区切り書いているので、短いと感じられても温かい目で見守って下さい。