23話「サイトウ」
5月になり世の中はゴールデンウィークに心を弾ませる。されど、その楽しみは休日でも働く人々の労力あってこそ。表があれば裏がある。光ある場所には影が生まれる。
つまり皇真は今回、裏役で影側にいる。そう言う事だ。
「去年からいる人員はわかっているかと思うが、この時期は犯罪が増加傾向にある。まだシフト提出してない者、急な変更がある者は必ず今日中に俺か宮下に出すように」
淡々とした調子で業務内容を告げる軸屋。それに耳を傾ける少年達。さながら学生にして社会人になった気分を味わう。
ボードに張り付いている紙には個人の勤務スケジュール。その横には以前の事件発生日時、注意地点等が事細かに情報連なる、巡回経路とある地図がケイサツの尊厳を表していた。
「五宝君」
「はい」
「君の担当教官が後10分くらいで来る。それまですまないが待機しててくれ」
「わかりました」
壁時計が9時50分を指しているのを確認した皇真は、周囲の者が機敏に動くのを尻目に空いた席に座る。待っている間、部屋を観察するしかない皇真は目的の為にも軸屋に注目した。
(簡単にはお近づきになれねぇか)
軽い人だかりの中、指示を飛ばしては予定の調整はスマホに指を滑らせて。報告内容や仕事の資料は紙にペンを走らせてまとめては、長机で束になっている書類を山に変えていきこなしている。書類に埋もれ目元にクマまでこさえている軸屋の姿が、皇真には母の姿と重なった。
もっとも、母はペンではなくパソコンのキーボードを叩いているが。
「普通パソコン使わね」
ぼそりと口から漏れた、皇真の声に出すつもりはなかった小さな呟きを拾う者がいた。
「隣、署長の隣に居る僕が期待の新人君には見えてないんスかね」
声をかけられ皇真は始めて、軸屋の隣でデータ入力をしている宮下の存在に気づく。
端にいたわけでもなく、むしろ目立つ位置にいる。軸屋とその周りは皇真の瞳に確かに映っていた。にも関わらず宮下の存在を認識していなかったのだ。
軸屋にばかり注目がいっていたのもあるだろうが。流石に存在感が薄いと思ったのは胸に秘めて、皇真は失礼だったと謝罪を口にする。
「見えてはいたんだけどよ、ワリィ」
「いいっスよ。僕そういう人間だから」
本当に何とも思っていないのだろう。宮下は平然とした声色で言う。
暫しの間、書類で山を作る軸屋と山を削る宮下を眺めていた皇真はコンコンっとドアを叩く音に視線をやり顔を顰めた。
「お疲れ様です。息吹、只今戻りました」
皇真にとって悩みのタネである息吹が、後ろに2人の男女を連れて帰って来た。現時刻はちょうど10時。つまり今入って来た3人の内の誰かが、皇真の教官になる訳だ。
可能性で考えれば同級生で接点もある息吹が高いだろう。けれど後ろの2人なのもあり得る。
まず目が行くのは男の方。ニット帽の下にあるキリッとした眉、ガッシリとした体格によく似合う、ミリタリージャケット。
本来なら真面目で硬派な印象を与える装い。しかしジャケットに的当てかとツッコミたくなる程に散らばる美少女物の缶バッジが、雰囲気を台無しにしていた。おまけに事務所に来た時点から、顔も上げずスマホをリズミカルにタップする手を休めない。
軸屋に報告している息吹の横を通り過ぎ、部屋の端で丸くなる男。その男を見る皇真の瞳が暗く濁る。
一方、腰程の髪を真っ赤に染めた、原宿にいそうな女は社交的なタイプなのだろう。部屋にいる仲間に朗らかな笑顔で声をかけては飴を配っている。
どちらに担当をしてもらいたいかなら、大多数が女を選ぶ。皇真もその内の1人なのだが。
(中の上)
女の顔を勝手に評価する皇真を世の女性が知れば、それこそ皇真が男を見ていた時と同様の目を向けていたに違いない。
しかし皇真はそういう意味でなく、自分が周囲に及ぼす影響を考える材料として見たに過ぎなかった。
「五宝君、待たせたな。こっち来てくれ」
手招きする軸屋の元へ、長机をぐるりと回り込み寄る。
「改めて挨拶する仲でもないだろうが、君の担当教官は息吹になった。息吹、一言」
「……よろしく」
息吹にしてはしおらしい態度に、ここぞとばかりに先輩風を吹かされると思っていた皇真は目をパチクリさせた。
出会ってまだ短いが、覇気がない息吹はらしくなく調子が狂う。かと言って自分がそれを指摘するのもおかしい気がした皇真は、とりあえず無難に返した。
「お、おぉよろしく」
「それで今日なんだが息吹はこの後別件があってな。少しだけ抜ける。副教官も紹介するから、息吹が戻るまではそっちに教わってくれ」
「え、あぁ、はい」
「サイトウ、五宝君を頼む」
右を向く軸屋につられて皇真もそちらへ顔を逸らし、首を傾げた。呼ばれた名前は1人。対して返ってきた声は2つ。こちらに来たのも先程観察していた2人だったからだ。
ケイサツにはサイトウが2人いるのか。皇真の疑問の眼差しに気づいた軸屋が一瞬不思議そうな表情をして、直ぐに言わんとしている事に察しがついた顔をする。
「すまんすまん。そら変に思うよな」
軸屋は聞けばわかるからとだけ言って、目の前に立つ2人へ自己紹介を促した。
「私が佐藤」
「ボクが伊藤」
「合わせてサイトウでっす」
「よろれいひ」
息ぴったりの挨拶に皇真は驚きたじろぐ。そして納得する。平凡な苗字がこんなインパクトを持つとは。一見忘れそうな苗字はあっという間に色濃くなった。難があるとすれば──
「いやーこの定型文を言うの久しぶりだな」
「肯定」
悪戯が成功した子供のように笑う2人の、どっちがサトウでイトウか間違えそうなところだ。
頭の中で皇真はひたすら女の方のみ苗字を繰り返す。
(サトウが女。サトウが赤い方。サトウ、サトウ。サトウの……)
握手を求めるサトウに皇真はチラッと周りを目で探る。
部屋に居る女性陣の欲を早い段階で皇真は気づいていた。現在進行形で皇真の顔に刺さる視線、そこに彼女へ負の感情が込められていないのを感じ取った皇真は安心して伸ばされた手を握った。
「よろしくサトウの○飯」
「頑張って覚えようとしてくれてるのは伝わった」
直後皇真の背後下方から吹き出す声が漏れた。
「さすが期待の新人く、んんふふっぶふぅ」
イトウがハッとした顔で呟く。
「赤飯」
「ちょっ赤飯って、ぶはぁっアハハ」
宮下の笑いを皮切りに室内の所々から笑い声が溢れ出す。
「んん"っ五宝君、それじゃあ、ちょっと息吹借りていくぞ」
「はい」
肩を震わしながら軸屋は息吹を連れて外に行く。心なしか息吹の肩も震えていた。
***
「アイツ今日はヤケにおとなしかったな」
「アイツってノブ君の事⁇」
「ノブ君⁇」
「サトウ言う。ノブ君。息吹武信」
「ああ、なるほど」
笑いも収まった頃合いに互いが同い年なのが発覚した3人の間に敬語はない。
「ノブ君のアレは寝不足だよ」
「んなにケイサツってのは急しいのか」
「わりとねー。五宝君、ここが給湯室」
息吹が戻ってくるまで、事務所の各場所について説明を受ける流れになった皇真はサイトウに続いて左手の部屋に入る。
「飲み物とかあったら冷蔵庫使っていいよ。但し名前書いとかないと捨てられるから気をつけてね」
言いながらサトウが冷蔵庫を開けて何本か飲み物を取り出す。
「お湯、ポット、自由」
「結構揃ってんな」
リビング件会議室と比べれば狭いが3人いても十分な広さ。設備も整っている。ここでふと皇真は家賃が気になり尋ねてみると、無料でネリーが貸してくれているという。
駅近の、しかも20人は過ごせる場所をタダで。女王様と呼ばれるネリーがそんなお人好しには見えなかった。
そんな思いが伝わったのだろう。サトウが捕捉する。
「無料、だけど無償ではないよ」
「労働で払ってる訳か」
「それでも、たまーに店番するくらいかな。ネリーさん誤解されやすいけど優しい人なんだよ」
給湯室を後にして、隣が男女共有のトイレ。奥の部屋は資料室で、普段は鍵が掛かっており、入るには軸屋の許可がいるのだとサトウは説明する。
「以上でおしまいだよ。聞きたいことがあったら遠慮せず言ってね」
「資料室の許可はどういう時にもらえんだ」
「ノブ君とか宮下さんみたいに報告をまとめる立場にいる人が入る所だからなぁ。知りたい事あるなら私達か署長に聞いてもらえればいいよ」
「資料室には入れないのか」
「私達も資料整理の手伝いぐらいでしか入った事ないし、許可ほしいなら軸屋さんに聞いてみなよ」
目尻をピクリと反応させた皇真がサトウをじっと見下ろす。
「何々⁇ どしたの、そんなに資料室に興味ある」
「勉強になるかと思ってな」
「熱心だね〜」
横でイトウも頷くのを適当に流し、皇真は給湯室に入る前はいた少年達が居なくなった会議室を見回した。広いだけに人が減ると寂しく感じる。
「皆、パトロール」
イトウが椅子に座りボードへ視線を飛ばす。
「ふ〜ん。……なぁここの」
同じく腰をかけたサトウと同じく、座ろうと椅子を引いた皇真は言いかけて止める。
どうしたのかと疑問の眼差しを向ける2人に、皇真は少し考える素振りを見せて「なんでもない」と首を振った。
(聞くのは怪しまれそうだな)
もう一度室内を見回し座った皇真は、この事務所への違和感をサトウが差し出したお茶で飲み込んだ。