希愛来との変化2
「本読んだり、雑誌見たり、絵も描いてる。散歩もするし。色々だよ」
「……普通、だな」
拳はひとまず解かれた。
「気がついたらボウソウゾクにいたんだよな。そん時の状況詳しく教えろ」
まさかいきなり降ってきた訳ではあるまい。聞きたい謎は、それこそ遠くに見える山ほどあれど。皇真が知りたいのは、たった一つ。
森口華恵の記憶を持っている。目の前にいる少女の正体だ。
「詳しくって言われても。ええと」
子首を傾げ、頬に手を当てて唸り、言葉を探す希愛来をじっと見つめる。
(多分、コイツ自身もわかってねぇんだろうけど)
言動を観察するに、希愛来は自分を華恵と思いきって信じている。体は別人だと言うのに。
精神の入れ替わり。
厨二によくあるSFチックな展開である。
(小学生の時か。そんな映画あったな)
当時世間で話題になっていた作品だ。クラスでも騒がれていた。
(起きたら入れ替わってて、また寝て起きたら戻ってた……みたいな話だったような)
皇真が持つのは流し聞き程度の情報である。他に思いつくのは古典的な、階段から落ちたら入れ替わっていたぐらいの知識だ。
落ちる、の言葉に皇真の表情が歪む。
「ううんとね、えーとって。え、え、なに。頭何か付いてる⁇」
たじろぐ相手に構わず、皇真は無言の真顔で迫り両手を希愛来のふわふわ雲の髪に突っ込みかき分けた。
成すがままに頭皮をくまなく探られる希愛来の顔が、じわじわ赤く染まる。
「ねえなに⁇ 頭に何かあるの」
「ないな」
「ないの⁇ じゃあオウ君は何してるの」
傷跡がないのを確認した皇真は応えず何事もなかったように座り直した。
「そんでボウソウゾクにいたってのは⁇」
「ねえーってば、なんなの。なんで頭わさわさしたの」
「なんもねぇわ。早く応えろ」
ポケットからスマホを取り出して見れば、既に結構な時間が経過している。
「えー教えてよ〜」
「しつけぇ、いいから詳しく言え」
「む〜わかったよ」
不満げに頬を膨らまして希愛来は応えた。
「私ね、目覚ましたら『南君』の部屋にいてね、ここどこって聞いたらボウソウゾクのアジトだって。歩君もいて私を保護して看護してましたって言ってた」
「南君⁇」
「南君はボウソウゾクの副リーダーで、歩君のビジネス仲間なの」
「ビジネス仲間、か」
ニュアンス的に、利害の一致で協力している皇真と同じ関係者だろう。
ボウソウゾクを極悪非道と軸屋は述べていた。実際はどうなのか。己で確認した体験が全てで真実の信条掲げる皇真からすれば、今確かなのは軸屋がボウソウゾクを目の敵にしている。この一点のみが事実で真実だ。
(善人だろうが悪人だろうが構わねぇけど。面倒くせー奴だったら嫌だな)
なんにせよ南君とやらにも話を聞く必要があるのはわかった。
「そんで保護して看護ってのは⁇ お前行き倒れてたのか」
「それが、その辺りの記憶がなくって。すんごくガリガリだったから、ずっとベッドにいた」
裾をまくった希愛来が「今は大丈夫だけど」と腕を見せつける。
「あ⁇ 今もほっせーわ。折れるぞ」
「折れちゃうの⁉︎」
「もっと食え」
「はぁーい」
「ん、いい返事だ……ってちげぇわ!!」
「何が⁉︎」
どうにも調子を崩される。皇真は顔を再度手で覆い項垂れた。
バスがそろそろ来る時間だ。ちゃちゃっと済ませなくてはいけない。
「それより前から記憶があったような感じってのがわからねぇ。昔を夢見てたっつーのは、お前は保護される間、華恵の記憶を夢の中で追体験してたってことか」
「んーと、だいたいそんな感じ。誰かが、いつも一緒にいた気もするんだけど。夢みたいな感覚で、こう、ゆりかごに揺られてるイメージ⁇」
ゆりかご、口の中で転がす。
(誰かに抱えられてた、のか)
小柄な希愛来ならば充分腕に囲える。半年前は痩せ細っていたと言うのなら尚更だ。
目を細め皇真は次にすべき行動を定めた。
「あっバス来たよ」
声につられ顔を上げる。話に熱中してる間に、夕日が差していた田んぼ道は暗くなっていた。少し遠くからバスのライトが近づいてくるのがよくわかる。
「話はここまでだ」
ベンチを立つ皇真から一足遅れ希愛来も追いかけてバス停に並ぶ。
「え、私もバス乗るよ」
「んなのわかってるわ」
キョトンとしている希愛来へ、皇真は腕を組み、向き合う。
「いいか。バスの中で記憶がどうたらの話はすんな」
人気のない車内では会話は丸聞こえ。うっかり希愛来の詮索中「超能力」の単語が出て、運転手に痛々しいものを見る目を注がれたらどうするのだ。
皇真は今後も華恵が目覚めるまで。否、意識が戻った後のリハビリも込めればもっと長い付き合いになる。気まずくなるのは御免だ。
事情を説くと希愛来は困惑を顔に浮かべた。
「えーじゃあ何話せばいいの」
「黙ってろ、口開くな」
「一緒にいるんだから話そーよ」
「うるさい、いいからっと」
言い合ってる内にバスが2人の横で停車したのをいいことに、話を打ち切り乗り込む。
ちらっと後ろを見る。希愛来はまくって見せた腕とは反対を出して支払いをしていた。
「スマホ。持ってないんじゃなかったのか」
当然のように隣に座った希愛来の腕、スマートウォッチを着けている方に視線をやり問う。
「これは歩君がくれたの。肌身離さず『お守り』だと思って付けてて下さいって」
「スマホの代わりか」
聞きたいことだけ聞いて、背もたれに寄りかかり寝る体制に入る。希愛来が何やら言っているが無視して数分。直ぐになくなった横からの語りかけに薄目で様子を伺う。
希愛来は、静かに外を見ていた。窓に映る物思いに耽っている表情にドキリとなる。
(表情一つで別人みたいになるのも、同じか)
騒がしかった子供が大人しくしている落差だけでない。扇状に伸びる、白く長い睫毛がかぶる目元は、妙な色気すら感じる。
ふと、窓越しに目が合う。
今にでも、キスされるかと思う瞳だった。
慌てて顔を逸した皇真の指先に、熱いぐらいの体温が当たる。
小さな手が、触れた指を拾い皇真の手の平を返す。そして空いている片方、立てた指が皇真の平に触れた直前、乾いた音が空気を裂いた。
「お前、それはないだろ」
今、希愛来がやろうとしていたのは、皇真には到底許せない行為だった。
手書き文字。目と耳が不自由な盲ろう者とのコミニケーション方法。
目の前の少女は、皇真と華恵、互いだけの大事な合図をなぞらえようとしていたのだ。
小学4年生、皇真が華恵に深く関わったきっかけ。華恵が夏休みの読者感想文に選んだ一冊。『ヘレンケラー』言葉を覚える為に、教育者のサリバン先生が主人公へ施した指文字。手の形を文字に対応させた学習方法を真似した合図の意味を、少女は正しく理解して使おうとしていた。
「安い芝居やめろ。絶対に二度とするな」
自分の手の平に添えた指が、何を書く予定だったのか。指先の位置でわかってしまった。
覚えて欲しい言葉、大事な言葉を伝える方法で「名前を呼んで欲しい」の合図。
希と華は始めから違いすぎる。
華恵が自分の名前を嫌っていたのは知っている。それでも、
「華恵は親から貰った名前を捨てる女じゃねぇんだよ」
走行中だろうが構わず立ち上がる。引き止めようと伸ばされた手を払い退けて、見下す。
「お前、一言でも親の名前を口にしたか。心配したか」
初めて出会った時に抱いた猛烈な拒絶反応が形になる。
「俺が知ってる華恵は、お前みてぇな自己中女じゃない。おばさん達を大事にしてて、人への優しさに満ち溢れた最高の女なんだよ」
あの時、少女は真っ先に皇真の容姿を誉めた。今日も少女の口から出るのは自分のことばかり。
優しさが欠片も感じられない。他者に対する思いやりが、ない。
飛び降りをして、どれほど親が、皇真が傷ついたか。追い詰められていようと、それがわからぬ人間では決してない。
「今回でよくわかった。お前は華恵の記憶を持ってるだけの別人だ」
視界に収めたくもないと後部座席へ移動して座った。瞬間、叫び声が車内で弾けた。
「オウ君は私がどんな思いだったか知らないじゃん!!」
涙声の、つっかえながらの、震える喉から出た言葉が皇真を刺す。
「私がママとパパを好きな分だけ苦しんでたの知らないでしょ!!」
何を言っているのだろう。
「頑張れば頑張るほど、うっ、ひっく、バカにされる、勉強もバカで、頑張ってもバカなまんまで。何にも出来なくっ、て、何したって皆より遅れてて」
知っている。天然で不器用で、負けず嫌いなのを。
しゃくり混じりの声が、胸を締め付ける。
「なんでそうなのか私だってわかんない。そんな私に優しいママとパパに苦しくなってしょうがなかった。ごめんなさいって何度も思って」
開いた口が、息を呑む。名前を呼べない。呼びたい、のに舌は「き」とも「は」ともならない宙ぶらりんな動きで形をなさない。
「オウ君と一緒にいた時、周りがなんて言ってたか知ってる⁉︎ 隣にいてどれだけ自分が惨めに見えてたか。不釣り合いな顔を変えようと頑張ってたの。スキンケアもお化粧も頑張ってたの!!」
急に話の矛先を向けられた皇真が目を瞬かせる。
耳から伝達した声を、脳が言葉と認識して意味を出した途端、皇真も叫んだ。
「不釣り合い、だぁ⁉︎ ふざけんな、華恵は最高に可愛いわ!!」
ついでとばかりに、運転手がクラックションを鳴らした。
***
「大変お世話になりました」
駅前で待ち構えていた歩は、深々と頭を下げた。
「次はない」
希愛来を背負っていた皇真が彼女を横抱きにする。
荷物の運搬の如く。皇真から歩の腕へ抱えられた希愛来は、睫毛に雫をつけたまま、寝息をたてていた。
言葉少なく改札口に行く皇真に、歩はいつもの彼らしくなく、必要最低限の言葉のみ去りゆく背へ送った。
「この度はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
謝罪が無人の駅内を通る。返事はなくとも聞こえてはいる筈だ。
すれ違いざまに見えた皇真の表情に、重い息を吐いた歩へ揶揄い混じりの声が飛ぶ。
「なんや失敗ですか」
「いいえ。まだ、ですよ。選択を間違えていたとしても。まだ失敗はしていません」
「ほぉ〜それは。間違えてたんなら、どこぞからやろな」
カツン、カツンと。
柱の影。改札口正面の死角になっているところより、高らかな足音を響かせ現れた南が、その長い腕を蛇の尾のように歩の首へ後ろから絡ませる。
「始めから、なら。もうリセットした方が早いかもしれんちゃいます」
「馬鹿いいなさい。初手は間違いなく間違っていません」
希愛来の頬をつっつく腕を軽く叩き、自分の肩に顎乗る横顔に耳打ちする。
「希愛来さんがケイサツの手に渡っていたら、僕達の目的は詰んでました」
「ん〜師匠がそう言はるなら、そうなんやろな。ケイサツの特攻隊長さんと、さっきの、おもんなさそうな子ぉとの『本来』の出会い方も。ワイの兵隊で潰した念の入れようやったし」
「息吹さんは本当おまけだったんですがね。僕との接触前に仲良くされてたら困りましたし。印象って大事ですよね。にしても……」
少々やり過ぎでは。もらした小言に南が笑う。顎の振動がくすぐったいと身を捩り、離れた歩は南を睨む。
「僕がお願いした期間は一ヵ月です」
「ええやないですか」
「良くありません。息吹さん、相当ご機嫌ななめらしい。今後の計画に影響が出たら、どう責任をとるおつもりで⁇」
「指詰めましょか」
「結構です。バイク出して下さい、帰ります」
「ほな準備してきますわ」
駅の裏へ回った南を待つ間、両手は希愛来で塞がっていてスマホを弄ることも出来ず。歩は腕の中へ話しかける。
「希愛来さんもですよ。五宝様に『超能力者になられた日付と、能力について』至急確認して下さいってお願いしたでしょう」
寝ている少女を抱え直して思考する。
「能力者になる日は、僕が干渉出来ない事柄なのに」
知り得る知識との異なりに胸騒ぎがした。何者か。自分以外の『逆行者』がいるのでは。いたとしたら考えられるのは、ただ1人。
まさか、と首を振って考えを否定する。
(もしそうなら五宝様はとっくに『乗っ取られて』いる。少なくとも、正常な精神でいられる筈ないんだ)
今回の希愛来と皇真の衝突は、いずれ訪れる確定事項だった。
どんなに変えようと起きる事象、皇真が能力者になるのもそうだ。
「たかだか些細な日付の擦れ。そう。そうだ。杞憂ですよね」
言い聞かせて、歩は希愛来を抱きしめた。