見舞い話1
窓から見える木々が緑に変わり、気温も落ち着いて来た。テレビでも目まぐるしく新たな情勢を伝えている。あたかも世界は常に変わっているように見えるが──
その実、視聴者は大して変化のない日常を過ごしている。
森口華恵は今日も変わらず眠っていて、彼女を見守る皇真の図にも変化は訪れていない。しかし皇真の心境は以前と違っていた。
珍しく彼女の母たる佳恵がいない病室を、穏やかな話声と規則的な機械音のみが彩る。
「でさ、その詐欺師がとんでもなく面倒くさい頼みをしてきたんだ」
せいぜい季節の話題ぐらいしか思いつかず寂し気に語りかけていた皇真の表情は、話す内容と異なり明るいものへなっていた。
「息吹武信と仲良くしろって。そんで軸屋匠の持つ『ノートパソコン』と『手帳』を取って来いって。その2つがありゃお前を助けられんだと」
何故なのかを聞いても「手に得れればわかる」の一点張り。希愛来についても、歩は未だ口を割らない。
「だったら息吹いらなくねって思わね⁇ けど息吹は、そのありかを知ってて、隠し場所に入る鍵らしい」
スパイ作戦の説明の折に、ケイサツ組織の内部壊滅より優先事項だと告げた、歩の胡散臭い笑みが脳裏に蘇る。
(勿体ぶりやがって)
単に自分への信用が足りていないのもあるし、彼の性質のせいでもあると皇真は踏んでいる。皇真の方も歩を完璧に信じてはいないのだ。
(自分の手は汚さず、高みの見物って感じが気にくわねぇんだよな)
もし敵に囲まれた時があったとして。共に戦おうと背中を預けた相手が、歩だったらどうなるか。皇真が想像する彼は、自分を囮にして軽やかに避難したあげく。「五宝様は残念でしたね」なんて素知らぬふりして、ほくそ笑んでる人物なのだ。
(あの詐欺師、俺ばっかり働かせてねぇか)
非日常の中で、信用出来る人間がいないのは堪えるものがある。
考えれば考える程、皇真の表情は険しくなっていく。
敵陣に単身潜入、既に何人もを手がけている通り魔の存在。
本当に自分の選択は正しいのか。
動かぬ華恵を見つめる空白の時間は続き、ふっと皇真の目尻が下がる。
「お前を助ける為なら、戦うよ」
胸を締め付ける甘い渇望が言うのだ。
彼女の下がった形の眉が好きだ。丸い目が好きだ。
ちょっと低い鼻も小さい口も、笑うとハッキリくぼむ頬もみんなみんな好きだ。
痩せ細り痩けようが。青白い肌だろうが。目を覚まして、感情を乗せて動く彼女は、きっと、とびきり可愛いのだ。
彼女の表情が、見たい。
舌足らずな声が聞きたい。可愛いのに意外とドライなところとか、自分にしか見せない一面をもっと瞳に映して脳に焼き付けたい。
「今度は『逃げていいんだ』って言うよ」
泣き虫なお前を抱きしめたい。
「あぁ、やっぱさ」
どんな不安も恐怖も、
「好きには敵わねぇな」
***
額縁に収まる堅苦しい歴史と、改築時に撮られた前代院長の写真が壁に並ぶ見慣れた受付内。窓口で退出のやり取りをするいつもの職員のおじちゃんへ、皇真は『歩が言っていた』事実を調べる為に話しかけた。
「おじちゃん、珍しく佳恵さんがいなかったんだけど。なんか聞いてる」
「森口さんか。あまり体調が良くないみたいだ。今はそっとしておいてあげた方がいい」
「……うん。親父さんは相変わらず⁇」
「お仕事が忙しいみたいだよ」
まん丸の眼鏡の端にシワを寄せる顔からは同情の色が滲んでいる。何年も此処に務めているベテランなのに、酷く悲しげなのが、優しい人なのだと改めて感じ取れる。
「あの、さ。他に華恵の見舞いに来た人っていない⁇ 一度でも、誰か来てない」
「ご家族以外で⁇」
「うん、友達とかさ」
預かっていた皇真のカメラと携帯を乗せたトレーを受付台に置いたおじちゃんが、「う〜ん」と唸り、ためらう素振りを見せた。
親族ならいざ知らず。所詮は他人の皇真には教えられないのかもしれない。
「おじちゃん頼むよ。名前とか教えろってんじゃないんだ。佳恵さんや俺以外にもさ、アイツを気にかけてる人いないか知りたいだけなんだ」
「それはどうして」
「佳恵さん今あの状態だろ。そしたら病室には俺だけじゃん。情けない話、心細くって、よ。いたら会いたいって訳、でもあるけど、無理矢理会おうとは思ってない。俺以外にも華恵を気にかけてる人がいたら、そんだけでマシになるっーか」
しどろもどろだが正直な言葉は、足繁く通っていた皇真を知るおじちゃんの心を打つ。
穏和に、けれど社会に生きる大人の顔で皇真を見ていたおじちゃんは視線を逸らして。
「本当はダメなんだけど、特別だよ」
僕が話たのは内緒にしてねと、朗らかに笑った。
「1回だけ、彼女が此処に来てそんなに経たない内にお友達が来てる」
欲しかった言葉に、皇真は台に身を乗り出す。
「それって俺ぐらいの歳の男と5歳ぐれぇの子供⁉︎」
ガラス越しに居るおじちゃんの驚く顔が、図星を指していた。
「2人は佳恵さんの紹介で⁇」
「知り合いかい」
「まぁ、そんなところ」
「う〜ん。知り合いならいいかな。2人は刑事さんと一緒に訪ねて来たんだ」
「刑事⁇」
思わぬ単語に聞き返すと、おじちゃんはバツが悪そうに身じろぎして顔を俯かせる。
「ほら彼女がああなったのは、理由が理由だけにね。現代病なんて言葉が存在する酷いこのご時世、色々あるんだろう」
「刑事……おじちゃん、ひょっとしてさ。その刑事さんと友達っていう男、苗字同じじゃなかった」
「そこまで知ってるのかい。うん、ご兄弟だそうだよ」
問い詰める勢いで話ていた声が止む。どうしたのかと、様子を伺ったおじちゃんは、次いで暖かな眼差しを皇真へ向けた。
「君にとってもお友達なら、森口さんに話を通してあげるといい。血縁者の紹介があればいつでも来れる。森口さんも、彼女も喜ぶさ」
「うん。ありがとな、おじちゃん無理聞いてくれて」
カメラを首にぶら下げて、携帯をポケットに仕舞い手を小さく振る皇真の後ろ姿を見送る。
自動ドアが閉まったタイミングでおじちゃんは呟いた。
「初めて見たな」
彼と知り合い、彼と幾度も接していた月日で。
「嬉しそうな顔しちゃって」
晴れやかに彼が此処を去る姿に、困ったなと溢し白髪を撫でた。
病院に務める身として患者に入れ込み過ぎてはいけないと理解している。シワの分だけ積んだ経験も傷つくぞと囁く。
空のトレーを棚に片付けデスクに座る。机上をぼんやり眺めて、ため息一つ。
「泣いちゃうかもな」
時計を確認して新聞を広げる。存外この病院の受付員は暇なのだ。