15話「直観主義者」
「署長。スンマンセン」
直角九十度の綺麗なお辞儀をもって謝罪する息吹に軸屋の方が申し訳ないと顔をしかめた。
「お前が謝る事じゃない」
捕獲用に持ち歩いていた縄で縛りつけ、部屋の中央に転がした連中に鋭い視線をやる。あっさり捕まり背中合わせに仲良く団子状態の4人は後ほど事情聴取をするとして──
「コイツは⁇」
丁度よく投げられた質問に、半端放置になっていた少年へ2人の視線が揃う。
訝しむ息吹に軸屋は少年を手招きして、事の経緯を彼がドアの前で竦んでいたのを伏せ掻い摘んで言う。途中途中、少年が何か堪えるみたいに渋顔をしていたのは、結局助けたのが軸屋である事実から来る恥かプライド辺りだろうと軸屋はニンマリと頬を緩めた。
「礼言えよ。クラスメイトを心配して来てくれたんだ」
「はぁ」
息吹の気乗りしない返事に、奇襲が増加した影響で息吹はろくに学校に通えていないのを思い出しハッとなる。
少年は息吹を覚えているのに、息吹は少年の名前がわからない。どころか顔すら覚えていない可能性に行き当たり、それとなくを装い軸屋は口を開いた。
「俺は軸屋匠、この子の保護者代わりみたいなもんだ。俺からも礼を言わせてくれ。えっと」
わざとらしかったかもしれないが致し方ない。こういうのは警察時代も、組んでいた相方が口達者なもんで任せっきりだったのだと心中言い訳しながら少年の様子を伺った。
「五宝。五宝皇真です」
少年は特に気にした風なく名乗ってくれた事にひっそり胸を撫でおろす。
「そうか、五宝君か。五宝君、ありがとう。うちの子心配してくれて」
さぁこれで問題ないだろう。息吹の方を向いた軸屋は「あれっ⁇」と内心、目を丸くした。
息吹武信という子供は勘が鋭く空気の読める子だ。自身が能力を使えていた事。軸屋が皇真を引き止め、こうして場を取り持っている意図を正しく理解している筈だ。
にも関わらず露骨に不愉快だと皇真を睨みつけているのはどういった了見か。二人の合間に立つ軸屋は、このままでは暗雲立ち込めそうな雰囲気を払うべく息吹の背を叩き笑って見せた。
「ごめんな。この子無愛想で。一匹狼な気質あるんだ。ところで五宝君も能力者だよね。何処の所属」
「所属⁇」
上手く話題転換に成功した。軸屋はさりげなく息吹を自分の影に隠し続ける。
「能力者同士にも徒党があってね。横に転がってる連中みたいに能力で暴行に及ぶ集まりもあれば、それを取り締まる俺らみたいのもいるんだけど」
一歩近寄り皇真の顔を覗き込む。今の説明の意味にどれほどの危機が伴うか。目の前の少年はわかっていない。だからどうしたと物語っている双眼に、能力者になって日が浅いのを感じ取る。
目蓋を閉じ、開ける。ほんの刹那の合間、巡行した罪悪感に似た苦いものを飲み込み。軸屋は言葉を紡いだ。
「五宝君。キミ──」
***
汚れて曇る窓ガラスから、小さくなる人影を見届ける。無効化の能力で室内に張っていた氷は消え冷気も拡散していた空間は今、それとは異なる寒さに包まれていた。
「さて無駄とは思うが聞くぞ」
およそ温度のない声色が軸屋の口から発せられる。皇真がいれば怯えさせてしまっていただろうが、彼は既に帰した。気を使う相手もいない現状、気怠げに首を軽く傾け見下ろす。その顔を見た4人は喉を引きつらせる。
「誰に言われた」
待てども返ってこない答えに、軸屋から盛大な舌打ちが漏れる。ビクリ肩を震わす彼らの前にしゃがみ、少し声を和らげ再度問う。
「ん⁇ どうした。腹のダメージはもう引いてんだ、話せるだろ。お前らの独断じゃないのはわかってんだ。誰に言われて息吹を襲った」
「……み、『南』さんに」
軸屋の目の前にいる少年が唇を震わしながら告白したのをきっかけに、他の三人も口を開き始めた。
「そう、そうだよ俺ら南さんに命令されて」
「仕方なかったんっすよ。あの人に逆らったらどうなるか」
「あっ俺らのスマホに証拠だってある。見てもらえば」
口々に同じ名前を言い、責任をその人に押し付け助かろうとしてるあからさまな姿のなんと醜い事か。何度見ても気持ちの良いものではない。
「もういい」
耳障りな言葉を遮る。数歩離れた場所で様子を見ていた息吹が没収したスマホの内1つを手に取り顔を上げた。
「指紋認証のロックかかってます」
「まぁそうだろな」
適当に1人解除させるかとスマホを受け取る為、息吹の元へ近づいた。瞬間──
視界がぶれた。「地震!?」と背後から飛び交う戸惑いの声に軸屋は無意識に違うと呟いていた。足から伝わる揺れの違和感。曇ったガラス窓の外の景色。
誰よりも早く現状に気づいた軸屋の瞳孔が殺意と軽蔑に開く。脳裏に今この場にいない、けれど自分達をどこかで眺めているだろう人物の笑みがよぎり怒りが湧く。
「うわっわっ!!」
より一層大きくなった揺れに転倒しかける息吹の背を咄嗟に支える。捉えている4人も脱出させないと、と振り返り。軸屋のこめかみに青筋が立った。誰も居なかった。ほんの数瞬。意識を逸らした隙に。
「テレポーターまで準備してたとは念入りなこった」
能力者の顔さえ拝めず、まんまとしてやられた。
「息吹、没収したスマホ今直ぐ捨てろ」
確かに後ろにいた4人分の空白を睨む。地面に落ちるスマホを確認した軸屋は、青ざめた顔で踏ん張る息吹を小脇に抱える。
「飛ぶぞ。腕で顔覆って歯食いしばってろ」
さらなる揺れについに地盤が傾く。揺れて立つのも困難な床を、その巨体を活かし着実に登りガラスを蹴破り、足をかけ、力を込める。脇で息を呑む気配に、軸屋も喉を鳴らし、窓枠を蹴った。
軸屋と息吹が外に浮かんだと同時に鼓膜を突き破るビルの崩れていく音が、ビリビリと二人の体に響く。飛来する石粒を腕で防ぎ、宙に舞うコンクリートを足場に跳ぶのを繰り返し、傾く壁に両足がついたのを、好機だと膝を曲げる。体全体にぶつかる風が空中に投げ出さんとするのを、身を低め押し返し斜面を滑る。グングンと近づく地上。
常人離れした身体能力により軸屋の足は瞬く間に地に着地した。が、ここで安心して止まれはしない。背後で崩れるビルに巻き込まれぬよう。衝撃で沸き起こる土煙を裂き、痺れる足を無理矢理進ませ走った。
「人生ベスト2の体験っした」
「恐怖の⁇」
「っす。署長ホントに大丈夫なんですか」
繁華街を歩く人々の刺さる視線に軸屋は「ああ、職質なら安心しろ。ここらの警官とは知り合いだ」とスーツを摘んで笑う。
「いやじゃなくて、怪我。無理してません」
ボロボロに裂けたスーツの隙間、隣を歩く息吹のちょうど目線。肘あたりに滲む血が痛々しい。足元はスーツは破けていないにしろ、平然と歩けているのが驚愕である。
「骨まではいってない。一週間もすりゃ治る」
「マジでキツかったら言って下さい。無理しないで欲しいです」
「そりゃお前だろ」
「オレなら平気っすよ。今度奴らが来たらコテンパンにして即行逃げます」
「それだよ、それ」
キョトンと見返す息吹へため息で返した。
「学校。ほっとんど行けてないだろ」
指摘するやいなや、言葉を濁し身を縮める気配に無事な方の左腕で頭をガシガシかきながら続ける軸屋の声は。ともすれば雑踏に揉み消えそうなか細さだった。
「怒ってる訳じゃない。相談しろって話だ」
「はい」
軸屋に負けず劣らずの小さな返事は不安を誘いざるおえない。この様子だと体を引きずってまで登校する気さえする。
「それにだ。今回ほど大掛かりかつ綿密……違うな。命を狙ってきたのは初めてだ」
何度も奇襲を受け危ない目に息吹はあってきた。だが、どれもあくまでスマホを奪い能力者から落とそうとする行為だった。
だからこそ息吹は大人しく連中について行った。もしこれが街中でスマホを奪おうとされていたら暴れていただろう。
連中に人を刺す覚悟などありはしない、と。
それが始めから殺すのを目的にした動きに、なってしまった。
即座に能力を発動出来るよう。常にピアスに紛れさせ付けている、骨の振動で聴覚神経を伝える骨伝導式イヤホンで音声ロックを外せる防備をしていようが──
今回助かったのは運が良かっただけ。
より注意しろと口を開きかけた軸屋は、ふと横を見て、真っ直ぐ自身にぶつかる視線に言葉を飲み込んだ。
「死にません。オレは死ねませんよ」
思わず足が止まった。つられて息吹の足も止まる。人の流れを止める2人に文句を言う者はいない。皆が皆、巨体に強面の軸屋と関わりたくと避け人混みの中に穴が空く。
「すまん。野暮だったな」
先に歩き始めたのは軸屋だった。口元に笑みをこさえ喉を鳴らす。
「だとしても、だ。保険をかけとく事に越したことはない。『五宝君』いい子じゃないか」
途端、息吹の顔が怪訝に歪む。
「アイツ、仲間にするんすか」
「何がそんなに気に入らない」
廃ビルで自己紹介し合った時の光景を思い起こす。輝く金髪。凛々しい目つきに埋まる琥珀の瞳。同性の目から見ても非常に綺麗な容姿が印象的だった。女子に「王子様」ともてはやされてても、おかしくない程に。
息吹がそれをやっかむ奴ではないのは長い付き合いで知っている。「ああ、でも髪をワックスでガチガチにオールバッグに固めてたのが、気が強そうな感じだった。学校で喧嘩したとか⁇」と軽く考えていた軸屋は息吹の言葉に重く考える事になる。
「署長」
「うん」
「アイツはくせ者です」
「はぁ!?」
時代劇か、そんなツッコミは群衆に紛れた。