14話「軸屋匠」
部下がカチコミに合ったかもしれない。軸屋がその話しを聞いたのは日が沈んだ時だった。
電話口に慌てているもう1人の部下である宮下の連絡に「またか」と、軸屋は舌を打ち、煙を燻らせていたタバコを灰皿に押しつけた。
その様子に軸屋の隣でパソコン作業をしていたセセラギが、椅子をくるり回転させこちらを見る。軸屋と似たりよったりの表情を浮かべる彼女は多分に疲労滲む声色を発した。
「タッくんマズいでござるよ。本日そっちに回せる人手はないですぞ」
セセラギがキーボードを叩き画面を指差す。スケジュール表は誰も空いてなければ、直ぐに応援に向かわせれる者もいない時間であるのを示していた。
「ノブノブのGPS反応は切れてるから襲った彼奴らの中に恐らくジャミング出来る能力者がいる。GPSの最終履歴は5分前、繁華街の中間」
素早く今度はスマホへ指を滑らせたセセラギの情報を元に、軸屋の頭は高速で回る。
交通規制。人通り。繁華街の現状。連れ去られてからの時間経過。応援は見込めず、今動ける人員。最も近くにいるのは──。
連絡をよこした宮下もバイトに行く途中、隙間時間を縫って件の部下をここへ届ける役割だったのだ。ガシガシ頭をかき軸屋は椅子にかけていたジャケットを手に立つ。
元より無理を言って護衛を頼んだ宮下に、更に休めなんて言う気は軸屋にはない。電話の向こうで待たせていた彼に連絡の礼を告げ、バイトに行って来いと通話を切る。
「留守を頼む」
間延びした返事を背に事務所を後にした。
事務所への経路たる繁華街は看板の光が所々灯り出し、軸屋と同じスーツに身を包むサラリーマンもいれば、サークルの飲み会か大学生らしき集団やらで道はごった返していた。
目的の人物を探すのは困難な状況。しかし軸屋は平均より頭二つ抜きん出ている身長に熊を思わせる堅いで人混みを容易にかき分け、道行く人々を見下ろす視点でハリネズミのような銀髪を探す。
建物の隙間、路地裏も忘れず視線を巡らし足早に歩く。
部下を連れ去った者たちの検討はついていた。自身が立ち上げた組織『ケイサツ』とほぼ同時期に現れた敵対組織『ボウソウゾク』だと。元より相入れない組織だった。攻撃も幾度合い、その度抗戦してきた。
ケイサツの主戦力たる部下を目の敵にするのも道理。疑問は何故今になって活発な行動に出始めたのか、だ。急激に奇襲が増えた。しかも件の部下のみを狙い。
当初はいつもの怨恨が爆発した突発的なもので、すぐに収まると予想していたのが。
1カ月。1ヶ月経過しても一向に収まらない。偶然と片付けるには無理な時間が過ぎてしまっていた。
これはボウソウゾクでなく、何者かの作為が働いているのを軸屋も部下も感じ取っていた。けれど肝心の犯人が、容疑者候補すら捜査に上りもしない。そうして、また、部下は敵襲に合っている。
こんな事態を招いたのが自分でもあるのを自覚してる軸屋は往来を憚らず盛大に舌打を漏らした。周囲の人々は思わず顔を背ける。
人手不足。ケイサツの現状だ。人がいるにはいるもののボウソウゾクに対抗し得る人材が圧倒的に足りないのだ。
加えて件の部下が腕も立ち、時間もある学生なもんで甘えていた。彼ばかり矢面に立たせてしまい恨みを買いやすい状況を、他ならぬ軸屋が作ってしまった。
彼は「こんくらい、へっちゃらっすよ」と笑っていた。だが、学校にすら満足に通えていないのを知っていた。可哀想に。やっと受験を終え入学したというのに。友を作る大事な時期だ。学校で浮いた存在になってる筈だ。傷だらけで行けば教師に睨まれてもいるだろう。
「○ァック」
ボソリ自身に対し口にしてしまう。人生で一度も染めた事のない髪をスポーツ刈りにして整えてある頭は、普段の彼を知る者でさえ一目でギョッとする剣幕をあらわにしている。行き交う人々は狭い足場を更に狭め軸屋を避けた。
親の仇でも探しているのかと言わんばかりにギョロギョロさせていた瞳は、ふとある一点に留まった。
「いた」
車道の向こう。柄の悪い連中に囲まれている銀髪を。肩を組み仲良さそうに歩いている。しかし常人なら気づかぬ、彼の腰辺りで光るナイフを軸屋の目は逃さなかった。
歩くペースを落とし信号を渡る。ここで声をかけて逃す気は毛頭ない。
自身の巨体はどうやっても隠せない。自ずと大幅に距離を取り連中の後をつける。だからこそ、軸屋は気づいた。一定の速度を保ち数分。「二重尾行」になっていると。
なんだあいつ。軸屋の視線が1人の少年に集中する。
金髪など今代珍しくもなくが、その少年は人混みの中でも殊更輝く綺麗な髪をしていた。人垣の合間から見える横顔は彫りが深く整っている。ハーフだろうか。とすると金髪も自前か。
気が強そうな凛々しい目を、先行く部下を連れて歩く連中へピタリ向けている。
彼が部下を襲わせている奴か。中々部下が潰れないもんだから焦れてついに重い腰を上げたのか。
自問自答に長年警察を勤めて養った勘が告げる。NOだ。違う。
その証拠に彼の手にはコンビニ袋がある。僅かに透けて見える中身。形状からして弁当だ。今から部下をリンチにする予定で買う訳ない。もっとも彼が暴力を受ける人間を前にメシを食う狂人でなければ、の話だが。
服装にしたって部下のように黒Tにジーンズならそれっぽいが、赤いパーカーは雑踏に溶け込むには不適切だ。
前を向く瞳にも恨みの色は見当たらず、ただ連中の後を歩いている。偶々家が同じ方向かとも思ったがその可能性は消えた。
段々と人が減り店もなくなり、薄暗くなる道を軸屋と同じく。曲がり角や自販機の物陰に隠れ進んでいるのだから。
そうして着いたのは、住宅地から切り離された場所にポツンと経つ廃ビルだった。
老廃し錆び付いた立ち入り禁止の柵を連中がこじ開けビルに入って行くのを見届けた軸屋は、即座に突入したい足を踏み止める。足元に転がるゴミや砂利は一歩進むごとに音を立ててしまう。
尾行をしていた少年もまだ外にいて、軸屋との距離はそう離れていない。正体がつかめない今、部下を執拗に狙う輩への手かがりかもしれぬ少年を逃す愚行を犯す真似はしまい。
腰を落とし、いつでも捕獲出来る態勢で柵の影に身を潜める。柵の中、廃ビルを見上げる少年がポケットから何か取り出した。
暗闇に浮かぶ光りの形状。片手に収まる大きさ。それが端末であるのがわかった軸屋は目を細める。
「なぁおっさん。どう見ても不良の喧嘩、だよな」
ギクリと身が強張る。気づいていたのかと驚くも少年の目線に自身への語りかけではないと理解して、ゆっくり息を吐く。
端末に向け話す光景は軸屋には馴染みのあるものだった。イヤホンを付け一方的に話す行動は電話をしているようにも聞こえるが、能力者のそれだ。警戒を深めなくてはならない。だが軸屋はどうにも沸きらない気持ちになる。
暗闇の中、ぼんやり端末の光で見える少年の顔に困惑と迷いが窺えるからだ。敵か味方か判断がつかない。部下のことを考えれば時間もない。ひとまず捕まえておくかと動こうとした軸屋は、次に少年が呟いた内容に固まった。
「シチュエーション的によ。はぐれ者同士のクラスメイトと背を合わせて戦う。そっからめくるめく不良生活が待ってる、筈だよな」
唸っていた少年は踏ん切りがついたのか。最後に一言。
「くそっ。漢なら拳一択。ここでうだついてんのはダセェわ」
自身に言い聞かせ廃ビルへ入って行った。
時間にしてどれ程か。口から「ふっ」と息が漏れたのを皮切りに喉を鳴らし軸屋は笑った。あまりに予想外な事態に肩まで震えるぐらいに。
なんたる幸運か。この舞い込んだチャンス。見逃しはしない。
「掴むぞ」
上層より僅かに響いてくる物音を追い、軸屋も廃ビルへと足を踏み入れた。
外で確認した四階建てのビル。ボロボロの外装の通り中も荒れ放題で、埃っぽい空気に袖を口に当てる。塗装がハゲている階段を上がるにつれて大きくなる音は最上階からのようだ。
ケイサツの応援を警戒してだろう。事実、宮下の連絡が遅れていたら1分、1秒を争う展開になっていたかもしれない。
階段を上り見えたのは意外な光景だった。少年はまだ迷っていたらしい。飛び交う怒声に物が倒れ、壊れる激しい音に部下の声が漏れる部屋の前。ドアの僅かに開いている隙間に顔を寄せ、涙目で中を伺っていた。
部下が問題なく戦えているのなら能力者なのは確定だ。少年の実力を測るよい機会だと期待してたのだが。嗚咽を堪えてか両手で口を覆って、ブルブル体が震わせている。ここまで来ておいて度胸は弱いみたいだ。
残念ではあるが、それを差し引いても部下のクラスメイトで能力者な点は軸屋に少年をケイサツへ勧誘させるには充分な理由であった。
加えて怯えながらも知り合いを助けようとする正義感がある。放っておくには惜しい人材だ。
ゆっくり近づき少年の肩に手をかける。
ビクリ体を跳ねさせ驚愕する少年に「大丈夫」と声にせず口だけ動かし安心させるように微笑む。こちらの意図が伝わった少年は怯えていた姿から一転、軸屋にキラキラと目を輝かせた。物わかりの早い子供だ。頭も悪くないだろう。
「そんじゃま。期待に応えないとな」
呟き肩を回す。ジャケットに手を入れ内ポケットからスマホを取り、中途半端に開いていたドアを開け広げた。
部下の能力によって至る箇所が凍りついている室内は、軸屋の体を冷気で包む。部下の足元には氷が円状に張っていて、その周囲を囲む人数は四人。身体機能を鈍らす温度。足を滑らす床。上手い事、時間稼ぎをしていたのが察せられる。
壁には巨大な鉤爪で引っ掻いたみたいな新しい傷跡が残っていたり、床に散らばる元は椅子やデスクだったろう破片は相手の力によるものなのも。
まともに食らえば致命傷なのは明白。対策しようにも敵の具体的な能力は不明。されど軸屋には関係ない。
「ケイサツだ。捕まえんぞ」
宣言と同時に能力を発動。相手がどんな力を持っていようが。
「無効化」
軸屋の前では全て無意味なのだから。
突然の乱入に唖然とする連中が事態を把握するより早く、猪の如く、1人2人3人と腹に拳をめり込ませる。蹲り地に今日食べたであろう物と胃液をぶちまける仲間を前に、最後の1人が抵抗を試みるが時すでに遅し。軸屋の影を捉えさえ出来ず訳のわからぬまま鈍い衝撃を腹に味わった。
「息吹!!」
部下の名を呼び連中のスマホの回収も忘れずさせる。瞬く間の完勝であった。