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沈黙の列車

「ただいま……」

「お帰りなさい、なんか随分疲れたみたいだけど」

「お父さん、お母さん……もう大変だったよ」


 夜六時、那須野家の玄関を歩がくぐり、母であるみちるが出迎えた。


 歩が土曜日に塾に通うのはいつもの事であり、それをみちるが出迎えるのもいつもの事である。その出迎えに歩の父である京太郎が混ざっているのは少し珍しく、そして歩がもたれかかりながら帰って来るのはかなり珍しかった。




「良かったね、こんな日にお父さん仕事じゃなくて……」」

「どういう事だよ」


 京太郎は家の最寄り駅から3駅先の駅長を務めている。狙った訳ではないが、歩が通う塾の最寄り駅と同じであった。


「塾の駅の近くのホテルがもう、なんていうかぎゅうぎゅう詰めだって。それで何か父さんが勤めてる鉄道の駅の近くがみんなそんな状態で」




 歩が通う塾の最寄り駅はそんなに大きな駅ではない。各停・急行・特急と言う三種類の電車の内止まるのは各停だけで、一日の昇降客数も一番多い駅から比べると数分の一であった。 

 それでもオフィス街や新幹線に直結している駅から近いためか鉄道会社の系列である宿泊施設はそれなりにあったが、それがどこも満杯状態だと言う息子の報告に、父親は目を剥いた。


「行きの電車も結構混雑してたけど帰りはそれ以上で……ああ疲れた。父さんは偉いよね、あんなにたくさんの人を」

「お父さんは主に内勤を経て駅長になったからあまり体験してないけれどな、でもどれぐらい混雑してたんだい」

「乗車率が250%とかって言ってたけど」


 乗車率250%と言うのは一般的に通勤ラッシュの、その中でもピークの時間帯の数字であり、歩が電車に乗った土曜日夜五時半と言う時間帯の数字ではない。


「まあいいじゃない、これでお父さんの会社も儲かるんだし。と言うかその人たち一体どうしたのかしらね」

「…………ああそうだな、でもどうしてなんだ。歩、乗客の人たちは何か言ってなかったか」

「それがさあ、何にも言ってなかったんだ。時々なんでこんなに混んでるんだってぼやいてる人がいたけど、後はほとんど熱いとも痛いとも言わなくて」

「何だ、不気味だなおい」

「あのねえ歩、そういう時は無駄にしゃべったりして体力を減らしちゃいけないの。だからみんなしてじっと我慢してたの」

「で……ほとんどの人たちがぼくと同じ駅で降りてさ、そしてほとんど何にも言わないまま改札を降りてさ、それでやっぱり駅の近くのホテルへと入ってって……ああ良かったな早めに宿を取っといてってさあ……」

「何かイベントとかあるのかしら」

「知らないよ!」


 みちるはぎゅうぎゅう詰めの満員電車に押し込まれると言うこれまでの人生で最も過酷な体験をした歩をまるで顧みることなくマイペースに話し続け、歩の目付きと言葉がだんだんと反抗的になって来ていた上でなおその物言いを崩そうとしなかった。


「わかった、いったん休め。風呂に入れ」


 京太郎の言葉に従いカバンを下ろして入浴する事にした歩であったが、その目から殺気は取れていなかった。


「塾で何かあったのかしら」

「まあな、後で聞いてみようか。

 しかしみちる、お前さっきの物言いはちょっと不用意だぞ。あいつがいかに頭がいいからってまだ中二だぞ、未知の体験となればいろいろ戸惑う事だってあるはずだ」

「あんな満員電車なんて、社会人になれば否応なく体験するじゃない。むしろ今日体験できてラッキーなぐらいだと思うけど」

「なあ……お前のデジカメかスマホ貸してくれる?」

「いいけど何に使うの」

「仕事仕事って忙しいのが悪いんだろうけどさ、俺ここ一年ぐらい歩の笑顔ってあんまり見てないんだよな。お前ならば何枚も撮ってるだろ?」

「それはもちろん……でもどうしてまた?」


 みちるは京太郎に言われるままにデジカメを渡した。


 そのデジカメには那須野家の三人の笑顔がたくさん映り、家族の思い出を強く残していた。もっとも歩だけと言うのがかなり多く、みちるが映っていたのはわずかだったが。




「歩があんまりにも疲れた顔をしてたもんでさ、親として歩のいい顔って奴を見ておきたかったんだよ。お前も見ただろあの歩の顔、歩だってどんな顔になりたいのかってのがあるだろ、整形とかそんなんじゃなくてさ」

「誰だって大変な時はあるわよ。あの子はもう十三歳よ、そろそろ」

「あのさ、お前は歩がどれだけ今日疲れたかわからないのか?」


 四六時中人の声や電子音が響く都会において静寂に出くわすのは難しい。

 そんな都会に生まれ都会で十三年間生きて来た歩が、乗車率200%越えの列車の中で、めったに遭遇できない強烈な静寂と言う状況に、唐突に放り込まれれば心理的打撃を受けるのもむべなるかなと言う話である。


「どうしたのよ溜め息を吐いて」

「歩ももう中学二年生だもんな。そろそろ俺たちの手をじわじわ離れて来る頃だろうな。俺らには言えないけど友達にならば言える事とか出て来るんだろうな」

「私たちの手で、なるべくいいお友達に出会わせたいけれどね」

「そう言えばさあ、まだダメなのか、隣の遠藤さんの」

「そうみたいね……ったくどうしてああなったのかしら。店長さんは未だに怒ってるみたいだし、まあ仕方がないけどね」



 歩が元気に帰って来たような顔をしながら、みちるは麻婆豆腐を作り始めた。


 歩が部屋の中でぐったりと倒れ込んでいても、京太郎が夕食中も何も言わなかったのに対しても、みちるは普段と何一つ変わる事なく配膳し、食事し、食器を洗い、そして眠った。

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