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ケース1・2・3

◇ケース1




「その日が何だかわかっているの?」

「ああ、わかっているよ。でも体が勝手に」




 意に反して体が動いてしまう、彼は今そんな状態に陥っていた。




「今度の日曜日、六月二日。私の学校の運動会の日よ!」

「でも……どうしても行かなければいけないんだ。なぜだかわからないけど」

「娘の晴れ舞台を一体何だと思ってるの!」


 妻と一人娘から叱責を受けながらも、彼の体は約束を破るためだけに動いていた。


 この北海道だけでなく近年全国的に増えつつある六月の運動会が行われる、二日後の娘の晴れ舞台を見過ごさねばならないほどの要件とは一体何なのか、子煩悩気取りだった彼は話そうとしない。


「お前たち、とりあえずさ」

「言い訳なんか聞きたくない!」

「道を踏み外すなよ」

「何よ唐突にそんな事なんか言って、もっともらしい……」


 頭に血を登らせて怒鳴りかかろうとしていた妻は、夫から差し出されたスマートフォンを見るや、これまでたぎらせていた血の気を全て捨て去り深々と頭を下げた。




「私も一緒に行く」

「ちょっと母さん、何それ!」


 一緒に父の不実を責めるつもりでいた母の寝返りと言うべき物言いに、小学校六年生の娘は顔を真っ赤にして母に噛み付いた。


「思い出したわよ、そう去年の九月九日」

「その時何があったっての!」

「見せたわよねあなた」

「ああ、見せたな。ちょっとこれ見なさい」




「……私も明後日行く」

「運動会はいいの、こんなこと言っておいてなんだけど」

「けじめをつけなきゃ運動会なんてできないよ」




 まるでおしゃぶりか何かのように激しく抵抗していたはずの娘も急に素直になり、全てをすっ飛ばして両親に同行する事を決めた。


 誰よりも子供思いであり、娘を立派な人間に育てたいと考えていた夫とその妻、その両名の愛情をたっぷりと受けて育っている親子三人は、運動会を事実上放棄することを決めたのである。




◇ケース2




「社長!?」


 同じ頃、とある名古屋のオフィスの中でも社長と秘書が揉めていた。




「ああ、明日中にはここを起たんと間に合わんのだ」

「どうなるんです、取引先との」

「君に任せる」

「そんなメチャクチャな!」




 大事な取引先との商談をふいにしてまで行かねばならないとでも言うのかと秘書は社長に迫ったが、幼稚園児の孫を持つ社長の決意が揺らぐ事はなかった。




「わかったわかった、だったらこの写真を先方に送ってくれたまえ」

「そんなんで何とかなるんですか……」

「とにかく頼むよ、じゃあな」

「じゃあなって……」


 取り残された四十代半ばで高一の息子を持つ秘書は愕然とした表情でパソコンの画面を眺めたが、すぐさま社長の命令通りに表示されている写真をメールに添付し、取引先の社長へと送った。


「わたくしも共に参ります」

「来てくれるのか」

「ええ、我が社のトップである社長が誠意をもって責任を果たさねば、わが社全体の信用に関わりますから。先ほどは短慮によりあのような事を申し上げてしまい申し訳ありません」

「いいよいいよ、それで写真は送ってくれたかね」

「はい」


 そして北海道に住む少女と同じようにその秘書も考えを急転させ、その謎の出立への同行を願い出た。




「そうすれば向こうの社長もついて来るだろう。まあ私もあと2年で定年だしな」

「そう言えばあちらの社長のお孫さんは確か小学校の……」

「四年生だよ」

「そう言えばこの件は」

「専務に任せておく。今からその旨を告げに行くから待っていてくれ」


 社内の混乱をしり目に、社長も秘書も謎の出立への準備を整えた。




◇ケース3



 

「意味わかんない、一体何のつもり!?」

「いやさ、僕はどうしても行かなきゃいけないんだ……」


 とある会社の社長と秘書が唐突な出立を決めてから一時間後、横浜の山下公園で男女が揉めていた。




「何、もしかして女!?」

「女性……と言えば女性だな……一応」


 女性の右手が風を切り、仕事熱心な小学校教師である男の頬に跡を刻み込んだ。反動で男が右手で持っていたスマホが飛び、ガランと言う音を立てた。

 静寂の包む夜の公園の中で、何よりも自分の存在を激しく主張したそのスマホには一枚の写真が写っている。


「あんたみたいな先生に、子どもは預けらんないわよ!」

「先生だからこそと思って……」

「もう知らない!」


 愛想が尽きたと言わんばかりに大股に男から離れようとする女性の足元には、男のスマホが転がっていた。

 スマホは地面に落ちた今でも、健気にかつ雄弁に一つの動画を映し出している。


 暗闇に薄暗い明かりばかりが際立つ夜の公園で光るそのスマホに、女性はうっかり目をやってしまった。




「……………ごめん、私も行く!」

「どうしたんだ急に」

「私がバカだった、こんな重要な問題を抱えてるなんて全然知らなかった、ごめんねワガママ言っちゃって……」

「おいおい、僕が悪いんだからさ、そんなに謝る事は……」


 内心では急な態度の変化に戸惑いながらも、男の顔は緩んでいた。


 やはり、自分の気持ちを自分が好きな女性に理解してもらえた事は嬉しいのである。

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